自分の目標を追うことはいかに大切か

 

一九九八年のカルガリ冬季オリンピックで、英国のマイケル・エドワーズ、通称「エディー・ザ・イーグル」のジャンプを見た人は、その滑稽さに驚き、同情し、尊敬の念さえ覚えた。彼は英国で最初のスキージャンプの選手。前年の世界選手権でもダントツの最下位であったが、一応英国記録の保持者となり、オリンピックへの出場権を得た。スポンサーも金もない彼は、苦労をしながらオリンピックに出場を果たした。そして、そこでもダントツの最下位であった。しかし、彼自身は、自分の技術が世界のレベルに達していないことを気にしていなかった。彼には他人との比較はどうでもよかったのだ。オリンピックに出るという夢を果たした満足感に浸っていた。

彼のように、自分の目標を達成したときの満足感は大きい。しかし、自分の目標だと思っていたことが、実は両親の期待だったということも多い。自分のものと思い違いをするほど、両親の期待というのは、子供にとって深く根差している。それに気付くには、一度危機に遭う必要があるし、それに気付くと空虚さを覚えると同時に、両親の期待に沿えなかったという罪の意識に陥ることもある。しかし、それに気付くことは我々に手がかりと構成を与え、人生の意味について知る努力をする機会を与えてくれる。生きる意味について考えることは、満足した人生を送るのに大切なことである。生きることの意味、自分のとって大切なものは何かを知っている人は、満足度も高い。また遥かに穏やかな生活を送ることができる。

人生の意味を知ることは、危機に陥ったときの抵抗力となる。ユダヤ人の心理学者であるヴィクトル・フランクルは、第二次世界大戦の際強制収容所の中に居た。彼は、人生の意味、目的、希望を失った者から順に死んでいく様を観察していた。逆に、「ここから出たらこんなことをやりたい」という確固たる目標を持っていた人は、生き延びるチャンスが多かった。彼は後に、そのことが精神病の治療にも使えることを証明している。人生の意味を知る、目標を持つことが大切であることは、色々な状況で証明されている。シカゴで、千二百三十八人の老人について調査を行われた。意識調査をした数年後に、生存率を調べたところ、目標を持っている人の方が、生存している確率が高いということが証明された。

 

人生の意味は見つけるものではなく作り出すもの

 

人生の意味は見つけるものではなく、自らで開発するものである。それは最初から大きなものでなくてよい。家族、職業、ボランティアというようなものでよい。まず、「何のためなら戦う価値があるか」を考えてみる。もちろん、その対象は年齢と共に変わる。そして、その方向性は各自の世界観から決定される。フランクルやソクラテスは、極限状態の中でも、自分で判断する自由をキープするということ、人間としての尊厳を守り自分の置かれた状況をコントロールすることに、自らの存在価値を認めていた。人生の意味を得るには、何かに属しているということも大切である。そこで自分が必要とされていること、そこにいる他のメンバーに奉仕することが人生の意味になることも多い。また、「理路整然」、「一貫性」ということも大切である。自分の本来の目標は何であったかを再認識し、そこからどれだけ離れているか、どうしたら元に戻れるかを考えると、そこに自から生きることへの意味が生まれてくる。

 

バランス感覚を持って目標を定める

 

まずは、理性的な目標を定めなければならない。これまでの習慣から距離を置き、何を止めるのか、何を続けるのかを冷静に考えることが大切である。逃がしたチャンスと考えていたものが、本当は不要なものだったかも知れない。そこで立てた目標だが、それに向かう道には多くの罠が隠されている。そもそも、これまで目標を達成できなかったことには、それなりの理由があったからである。その時と同じような障害は依然として存在している。また目標は漠然としたものではなく、具体的なものの方がよい。「もっと身体を動かす」というよりは「週に最低二度ジムに行く」というように。また、あまり楽観的過ぎる目標も、モティベーションが起こらないのでよくない。モティベーションは、困難を分析して、予期する上で大切なことである。

 

直感が決断の決め手となる

 

目標が形成されたら、次にそれを始める決断が必要となる。しかし、他にも色々な可能性がある中で、ひとつのことを決断することは難しい。たとえば、ヘッドハンターがあなたに外国での仕事をオファーしてきたとする。やり甲斐、報酬、将来のためのキャリアは申し分ない。しかし、一方、長い労働時間、重い責任、上手くいかなかった場合の危険性、外国への引越しなどデメリットもある。人生の行方を決定するような決断をするのは大変難しい。家族や余暇など他の価値観もあるし、間違った判断への怖れもある。悩みだしたらきりがない。

そのような場合思い悩まず、自分の中にある判断力、直感に頼ることだ。「直感」、「第六感」は天から舞い降りたものではなく、これまでの経験に基づくものである。そして、それが正しいことが多い。極端な状況で自動的に現れる本能と違い、直感はこれまでの経験の中で形作られた英知である。そして、本人はそれに気付いていない。これまで直感は過小に評価されていたが、チェスのチャンピオンが最初に直感的に最善だと思った手が、よくよく分析してみたらやはりそうだったいうことも多い。ある方面で数多くの経験を積んでいる人は、直感的に最善の方法を思いつくことができるものなのだ。専門家が考えられる可能性を全て考慮したとしても、その結果が直感に勝るとは限らない。アインシュタインも「理性に反して判断しなければ、何物にも行き着かない」と述べている。

理性が常に理性的であるとは限らない。しかし、啓蒙主義の頃から、デカルトが「我思うゆえに我あり」と言い出した頃から、人々は表面的な意識の下に存在する、直感という才能を余り信じなくなっている。しかし、無意識そのものがおそらく合理的な決断に関与している。論理的な考えのメリット/デメリット分析が、そこでは感情と経験によってなされている。考えようとする者は、まず感じなければいけないのである。いかなる場合も直感に頼る判断は想像以上に正しいと、デヴィッド・マイヤースは述べている。他人を判断する、歴史を読む、状況を判断するなどの局面において。彼は被験者に教室での授業のビデオを数秒間見せた。見せられた人の授業に対する評価は、半年間授業を受けていた人の評価と、殆ど変わらなかった。自動車や携帯電話など、自分が詳しくない物を買うときは、自分が必要とする機能が付いていればそこで決断し、それ以外の点に調査をするのは、時間の浪費である。

決断をするとき、五時間後、五日後、五か月後、五年後など、将来どうなるかを予測するとよい。そうすると決断が楽になる。今しようとしている決断が、それほど長く効力を発揮しないことに気付くこともある。直感が働かないときは、他のことに目を向け、距離を置いて考える、静かに考える時間を持つとよい。突然、良い考えが浮かぶことがある。それでも決断がつかないときは、プラス/マイナス、メリット/デメリットのリストの登場となる。しかし、その際、両側とも項目が少ない方がよい。最高五項目。少ない方が、直感が働き易いからである。いずれにせよ、完全な解決策はないと考えることである。全ての決断にはデメリットが付き物で、それが完全に悪いということはなく、ある程度計算出来ていれば、受け入れることが可能になる。

 

仕事における満足

 

職場で満足を得ることは、仕事へのモティベーションを高め、ストレスを和らげ、欠勤率を下げることになる。しかし、単純作業から満足を得ることは難しい。ドイツではわずか十五パーセントの人だけが職場の仕事が自分の感情とピッタリきていると感じている。仕事をすることは、何をするかが問題ではなく、いかにするかが問題であると、マイケル・プラットは述べている。例えば三人の左官がレンガを積んでいるとする。「何をしているのか」という問いに対して、

@       「レンガを積んでいる。」

A       「壁を作っている。」

B       「教会を建てている。」

とそれぞれが答えた。同じ仕事をしていても意識が違う。どれだけ自分のやっていることに意味を感じているかが違う。それは達成感にも影響を与える。そこには何が良い働き方で、何が悪い働き方であるかの明確な基準を示す必要がある。報酬の高さではなく、いかに働くことに意味を見つけるかが、満足度の基準となる。マイケル・ステーガーは、職業に就いている人を対象に、二年間の間を開けて意識調査を行った。その結果、「職業で成功した、仕事が上手く行った」と自分で判断している人の満足度が高かった。主観的な判断が、満足度を決めていることがこれでも分かる。

毎日仕事をしていく上で、より意味を見つけ出すための三点

@       仕事と自分を結び付け、一日に一度は自分が満足したと思うことにする。

A       職場で良い人間関係を築く。仕事は社会的な作業である。

B       自分のやっている仕事を、より大きな範囲と結びつける。

 

ケース・スタティー、アンドレア・ファルクの場合

 

 アンドレア・ファルクは現在四十代半ば。薬局を経営している。彼女は両親の世話にならず大学の薬学部を卒業した。在学中から、彼女は薬局でアシスタントのアルバイトをして、学資を稼いでいた。卒業後、病気や、休暇中の薬剤師のカバーの仕事をした後、三十五歳で、借金をして最初の薬局を手に入れた。彼女は文字通り、借金を返すために昼夜を透して働いた。十年が経った。薬局経営は軌道に乗り、彼女は二件の薬局を経営し、その薬局を信用のおける後輩に任せた。彼女は時々店に顔を出すだけでよくなった。最初は自由な時間が出来て喜び、買い物、カフェ、映画、ホリデーなどに時間を使っていたアンドレアだが、次第に暇を持て余すようになった。彼女は多すぎる余暇が、必ずしも自分にプラスになっていないことに気付き始めた。彼女は自由な時間や、その間の活動に意味を見つけることが困難になってきていた。明日も時間があることは分かっているので、やりたいことを後に延ばす。その結果一日を終えた後の達成感がなくなっていることに気付いた。緊張感の後の報酬であるから自由時間が楽しめるのである。マノリスとロバーツは、どれだけの自由時間が満足と結びつくかの調査を行った。その結果、自由時間が多すぎても満足度が下がることが分かった。仕事の間の限られた余暇であるからこそ、その方向付けができるのである。アンドレアは結局また薬局で働くことにした。人間には規律が必要であることに彼女は気付いた。そして、元の生活に戻って彼女は安心した。