にわか息子

 

「サンダーバード」に乗って加賀温泉郷へと向かう。

 

その日は午後から、生母と叔母のチズコさんを連れて、石川県の山代温泉へ行くことになっていた。金沢の義母も現地集合で参加するので、僕は三人の「お婆さん」と言っては失礼だし、「後期中年女性」とでも言っておこう、ともかくその方たちとご一緒することになっていたのだ。

 その日の午前中、僕はもう一人「後期中年女性」に会う予定があった。H夫人、サクラとイズミの母上である。H夫人は僕の実家から歩いて十分ほどの病院に足の骨を折って入院中。

 十時半ごろ病院へ行き、ナースセンターでH夫人の名前を告げる。

「あの、面会は三時からなんですけど、お身内の方でしょうか。」

と看護婦さん。

「はい、息子です。」

といい加減に答えて中に入れてもらう。

H夫人は僕が来たことをとても喜んでくれた。昼から列車で山代温泉に向かうと言うと、「汽車の中ででも読んでね。」

と本を一冊下さった。「京都の裏通り」という本だった。大腿骨を折られて、もうかれこれ四週間ほどの入院生活。退屈で、家に帰る日を指折り数えて待っているとのことだ。ご主人のH先生は、毎日二回見舞いに来られるという。H夫人は、

「わたしはあなたのお母様と同い歳なのよ。」

と言った。一瞬、生母は何歳だったっけと考える。思い出せない。七十八歳?七十九歳?僕は母の歳を忘れるというより、どこか母の歳を知るまいと無意識な努力をしている自分に気付いた。

 H夫人の病院を辞して、一度母の家に戻り、準備をして家を出る。僕自身の荷物は小さなリュックサックひとつだが、ロンドンの妻から預かった金沢の親戚宛の土産がスーツケースに一杯。それを引っ張って道を歩く。バスで地下鉄の北大路駅まで行くと、そのホームでチズコ叔母に出会った。彼女は十二月にご主人を亡くされたばかり、ちょっと元気付けてあげましょうと、今回お誘いした。

 十三時十分発の「サンダーバード」に乗る。途中の小松駅に、義父母が待っていてくれているはず。義母は一緒にホテルに泊まるが、義父は運転をしてくれるだけでホテルに泊まらない。ちょっと可哀想な役回り。一応義父もお誘いしたのだが、義父は運転手だけの方が気楽で良いと言った。

車内、叔母とは久しぶりなので、叔父さんの亡くなる前後の事情など、これまで知らなかった話をいろいろと聞く。このチズコ叔母、母の妹なのだが、趣味が書道、ピアノ、落語、料理と、僕と全く同じという人である。今回、山下家というホテルに泊まるのだが、そこで落語が聴けるというのがそのホテルを選んだ理由だ。

 

雪吊りのある那谷寺の木の根元にはまだ雪が残っていた。

 

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