15章:無知――あなたは自分で思っているほど多くを知らない

 

 これまでの章では、テロやテクノロジーの発達など、人類にとって脅威になることを挙げてきた。では、それに対してどうすればよいか、そう問われると、途方に暮れてしまう人も多い。ここ数世紀、「合理的に考えることのできる個人」への信頼が高まってきた。その結果、「人類は常に合理的に考える」ということが前提になってしまった。しかし、それは誤りである。「合理的に考えることのできる個人」とは、西側の価値観が作り上げた幻想であり、理想的な個人とは、「それらがありもしない幻想であることを見抜ける人」なのである。

人間の判断は感情的で、時にはヒステリックなものである。それは大昔から変わっていない。人々は周囲に流され、自分では考えない。しかし、それは悪い面だけではない。独りで考えないで、周囲と協力したからこそ、人類は成功したと言える。特に現在、一人の人間が知り得る範囲はどんどん低下している。「知っていると思う幻想」、他人の知っていることを、自分が知っていると錯覚する人が多い中、分業を認めることは大切だ。

しかし、かつて人類にとってプラスに働いたものも、今ではマイナスに働くということもある。それは、社会が益々複雑化し、「何を知らないのか」さえ分からなくなってきたことだ。一つのことには精通しているが、他のことには無知という人々がどんどん増えていっている。例えば。「生物学は熟知しているが、地球温暖化には関心がない」というような人が。しかも、更に悪いことに、それに気づいていない人が増えていっているという現実がある。また、熟知していても、何をすればよいのか、対策が分からないという人も増えている。

そのような場合、人間はどのような行動を取るのであろうか。人々の多くは、自分の属しているグループの判断に従うことになる。自分の無知について知られたくないために、グループの考えを、自分の考えのように信じてしまう。例えば、環境問題は、自分で判断するには複雑で難しい。そんなときは、自分の属している政党の方針に従う。そして、いつしか、それを自分の判断だと錯覚してしまう。それを「集団思考」と呼ぶことができる。その集団思考は、政治、思想、科学の世界にまで浸透している。「有権者は全てを知っている」、「客の言うことは全て正しい」というのも、集団思考の一種であろう。集団思考は、国や企業の指導者にも蔓延している。アドバイザーや諜報機関に頼りすぎるのである。それらの指導者は、上に行けば行くほど忙しくなる。自分で判断を下すための時間も無くなってくるからである。権力を持つということは、より真実から遠ざかるということである。それでいて、権力を持つと、何事にも首を突っ込みたくなる。その結果、権力者が通り一遍のことしか言わなくなるのは、正にその理由からである。権力はブラックホールのようなもので、傍にいる者を吸い込み、壊してしまう。

真実を知るためには、そのブラックホールから遠ざからなければならない。また、時間を浪費することを怖れないこと。権力のまん中にいると、革命的なことは思い浮かばない。保守的な者ほど、違う考えの者を排斥しようとする。自分の無知を知ることが、真実へのアプローチの近道である。真理を知るということは、何が正しく、何が間違っているかを知ることである。

 

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