第11章:戦争――人間の愚かさをけっして過小評価してはならない
過去数十年間は、人類史上、最も平和な時期だった。二十世紀に入り、暴力による死者は、全体の死者の五パーセントに過ぎない。しかし、二〇〇八年以降、軍備への支出が再び増えつつある。小さなきっかけで、戦争が始まる条件は、整いつつある。一九一四年当時、戦争は経済に好影響を及ぼすと考えられていた。しかし、二十世紀後半からは、戦争は何も良いことをもたらさないことが、知れ渡っている。
かつての大帝国、アッシリア、秦などは、大規模な征服戦争により達成された。その後、日本やドイツも、戦争に勝ってその国力を進展させた。英国も数々の戦争に勝利して、最強国になった。米国でさえも、武力で現在の地位を得たと言ってよい。一九一四年、やはり領土拡張、富の独占を狙う国々によって第一次世界大戦が開始された。そこで初めて、国々は戦争が、もはやかつてのような繁栄や富をもたらさないことに気付くのである。
米国のソ連に対する勝利は、武力なしで行われた。中国は武力による覇権達成を諦め、経済力に集中するようになった。日本、ドイツ、イタリアは武力ではなく、経済力で世界の強国になった。これまで武力解決が主流だった中近東でさえ、戦争を避けるようになった。イランも、他の国を隠れて支援することはあっても、他国には攻め入っていない。イスラエルでさえ、一九六七年以降戦争はしていない。それは、戦争で得る物は少なく、失う者が多いことを皆知っているからである。
その唯一の例外が、二〇一四年のロシアによるクリミア侵攻である。ウクライナは国内の混乱もあって、ほとんど抵抗することなく、ロシアの占領を許した。ロシアはこれに味を占めて次なる標的を狙ったが、二匹目のドジョウはいなかった。結果として、ウクライナが西側と接近することを許してしまう。また、ロシアは制裁処置を受け、資本の流出が続いている。その意味では、ロシアのクリミア侵攻は成功したとは言えない。
ロシアのやり方は、学校でのいじめと似ている。一番弱い生徒を叩いておいて、先生がそれに気づく前に止めてしまう。プーチンも、戦争を限定的なものにしようとしている。米国も同じようなものだ。かつてソ連が崩壊した時、米国は旧ソ連の国をNATOに引き込まないと約束したが、それを反故にしている。ロシアの侵攻の背後には、米国の裏切りもある。結果的に、ジョージアやウクライナでの成功がプーチンの野望に火を点けた。しかし、プーチンはスターリン時代のソ連のように、ロシアを強くはできないだろう。米国やEUはロシアの五倍の人口、十倍の経済力を持っている。また、ロシアはテクノロジーの開発でも、西側に大きな遅れを取ってしまった。唯一の望みは、石油、天然ガスなどの資源だが、そこから生まれる富も、オルガルヒなどの一部の人間に搾取され、投資や開発には余り使われてこなかった。何よりも、プーチンには、スターリン時代の「共産主義」のような、他の国をも引き付けるイデオロギーがない。ロシアは、EU内に仲間割れを起こさせようと画策しているが、その効果も余りない。とにかく、ロシアのウクライナやジョージアへの介入が、限定的なものであることを祈るほかはない。
二十一世紀になって、大国が戦争を始められなくなった原因としてもう一つ挙げられるのが、世界経済の構造の変化である。まず、これまでは、鉱物や農産物の資源をめぐっての戦争が行われてきた。それらを戦争に勝つことによって、横取りしようというわけである。しかし、資源は次第に、技術的、制度的なものに変わっていった。それらを戦争によって横取りすることは不可能に近い。仮に、中国がシリコンバレーを占領しても、そこに人がいなければ何の価値もない。戦争に勝ったとしても、失った物ばかり多くて、得られるものが極端に減っているのである。また、双方が核兵器を持っている場合、戦争は、集団的な自殺行為に他ならない。また、サイバー空間の広がりも大きい。昔は、戦争で大量の人々を殺害しても、表沙汰になることは少なかった。現代では、瞬時にして、それらの行為は全世界に広まってしまう。これらのことが原因になり、政治家、指導者たちには「戦争は儲からない」という空気が広まっていった。