10章:テロ――パニックを起こすな

 

 テロリストは人間の思考をコントロールする名人である。わずかな人々を殺すだけで、何千万人もの人々を恐怖に陥れ、国家や地域を揺さぶる。現在、年間約二万五千人がテロで命を落としているものの、これは百二十五万人の交通事故死の数や、三百五十万人の糖尿病による死者に比べるとはるかに少ない。何故、テロによる死者数だけが、大きく取り上げられるのだろうか。本来、テロは、弱い立場の団体によって行われる。そして、その目的は、敵対者に害を与えることが目的ではなく、人々を恐怖に陥れ、敵対者に対して政治的な変化をもたらすことである。戦争は、敵対者に害をもたらすことが目的であり、恐怖は副次的なものに過ぎない。その点で、テロと戦争は異なる。

 暴力で体制を変えることは決して容易ではない。第一次世界大戦中のソンムの戦いでは、双方で三十万人が犠牲になった。しかし、その結果、力の均衡は何も変わらなかった。ワールドトレードセンターのテロでは、三千人が犠牲になった。しかし、それでも戦争での大きな戦いの死者の比ではなく、交通事故の死亡者よりははるかに少ない。

 テロリストの狙っているのは、相手に物理的な損害を与えることではない。相手の国民に精神的な打撃を与えることなのだ。その効果が得られなければ、テロが成功したとは言えない。それは、陶器店の前にいる牛に対して、ハエがうるさく飛び回ることに似ている。ハエは陶器の一つさえ、棚から落とす力はない。しかし、ハエに苛立った牛が陶器店に飛び込めば、大きな被害を与えることができる。と言うことは、テロリスト自体は、何も決定できないことになる。相手方の反応が、そのテロの効果を決定するのである。つまり、テロに対して、大げさに反応しないことが、得策と言える。それに対して、弱い立場にあり、選択の余地の少ないテロリストは、自らの行いを出来るだけ劇的なものにしようとする。テロリストと、軍隊の将軍とは、全く違った戦法を取るのである。

 九月十一日のテロの際、実は米国国防省、ペンタゴンも標的になった。米国にとって、ペンタゴンかワールドトレードセンターか、どちらが国にとって重要であるかと問われると、ペンタゴンだと言わざるを得ない。しかし、人々の記憶には、ワールドトレードセンターの方が強く焼き付いている。これは、テロリストが狙った、「劇的な効果」が成功している証拠と言える。

 テロリストは、政治的な均衡を暴力で揺さぶろうとしているので、先ずは、誤って過剰に反応しないことが大切であろう。テロリストは、カードをリシャッフルして、「エース」を手に入れようとしているとも言える。そして、たいていは小さな組織である。従って、その組織を摘発し、根絶することも重要であろう。つまり、悪いカードを一枚ずつ潰していくということである。

 しかし、多くの場合、テロを受けた国家は、過剰に反応してしまう。近代国家の「存在意義」は「暴力の排除」であるから、それは、ある程度は理解できる。そもそも、国家というものは、「存在意義」が揺すぶられると反応をする。十四世紀、ペストで国の人口が半分になっても、国王は反応しなかった。それは自分の地位が安泰だったからだ。しかし、テロは違う。国家の存在意義、指導者の地位を危ぶまれるからである。

 中世において、政治には暴力が付き物であった。それどころか、「暴力」を有することが、政治に参加する最低の条件でさえあった。多くの事項が暴力によって解決された。中世にはテロリズムはなかった。それは、少数派が勝利する可能性などなかったからである。しかし、近代になって、政治的な目的で暴力を行使する国は激減した。武力によらない解決が普通になった。そうした背景の中に、少数派によるテロリズムが生まれ、その効果を発揮するようになったのだ。皮肉なことだが、政治的暴力の排除が、テロリストの温床になったと言うこともできる。国家も、国民も、暴力に慣れていないから、パニックになってしまうのである。

 テロに対する効果的な手段は二つある。

@      政府はテロリストのネットワークに対して、徹底的な諜報活動を行うこと。

A      メディアは、テロに対して冷静な報道をすること。

この二つを実行すれば、テロは成功しなくなる。テロリストは十人を殺し、百万人に危険だと思わせようとしている。我々は現実的な視点で見ること、テロリストの幻想と同じ視点見ないことが大切になる。テロが成功するか否かは、我々次第なのである。

 もしテロリストが、核兵器、生物兵器など、大量破壊兵器を握ったらどうなるだろうか。現在のテロは一種にデモンストレーションに過ぎないが、そうなると、テロの性格が大きく変わってしまう。国家による対応策にも、大きな変化が生じるだろう。また、サイバー攻撃で、自動運転の車を、殺人兵器として使う可能性も考えられる。米国は既に莫大な金を諜報活動に使っているが、テロ組織の把握、管理が一層重要になるだろう。しかし、莫大な金を使うことには、必ず反対の声が上がる。また、諜報活動が、正しい方面に対して行われているのかという疑問も出て来るだろう。そして、その正当性、妥当性は、後になってみないと分からない。

 第二次世界大戦後、人々はドイツの脅威の復活を怖れたが、それは起こらなかった。冷戦中、皆ソ連を怖れたが、ソ連は瓦解した。中国とも今では共に行動している。それは、偶然ではなく、努力の結果であることを忘れてはならない。しかし、かつては誰も考えていなかったイスラム過激派を新たな脅威となっている。今、一番大切なことは何だろうか。それは、大量破壊兵器を、テロリストに渡さないということに尽きると思う。もし、それを許してしまえば、我々の世代は、後世の人々に批判されることになるだろう。

 

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