5章:コミュニティー―人間には身体がある

 

 二〇一七年、Facebookの創業者、ザッカーバーグは、新しいコミュニティーの誕生を宣言した。そして、そのために自分たちの果たす役割を明確にした。彼は人々の関係が疎遠になったことを嘆き、その再構築のためにFacebookが中心的な役割を果たすことになると述べた。そして、Facebookの技術者は、新しいコミュニティーの「牧師」であるとも言った。その上、コミュニティーの設立、それをより強固にしていくツールとしてAIを使用するとも述べた。しかし、その後、ケンブリッジ・アナリティカー事件が起き、Facebookに集められた個人データが漏洩し、選挙の操作に使われていることが発覚した。Facebookは信頼を失うことになる。その事件により、その年が「個人データ保護」の元年となり、その後、データの安全を守るため、数々の規制が敷かれることになる。

 人間が集まり、互いを認識できる人数には限界がある。最大百五十人だと言われている。それ以上増えると、情報の共有や伝達が阻害されてくる。果たして、ザッカーバーグの言うような、多人数のコミュニティーの形成は可能なのであろうか。ザッカーバーグの言うことは、ある程度当たっている。ここ二百年ほどの間に、人間の暮らしと密着したコミュニティーは消滅し、国や政党という集団に置き換えられてきた。しかし、人々は、その集団に、コニュニティーとしての親近感を覚えられないでいた。そのコミュニティーの再生という考え自体は正しいと思われる。しかし、利益を上げることを目的とした企業が率いるコミュニティー作りは、果たして成功するのだろうか。そして、それによって作られたものは、本当の「コミュニティー」と言えるのだろうか。

 そもそも、「ハイテク巨人」は金と名誉を求めている。そして、「節税」と称して、税金を社会に十分に還元していない。そのような企業に、個人データを集積させてしまって

よいのだろうか。また、AIがコミュニティーの設立、維持に使用されるということは、人間の感情をコントロールさせるということであり、単なる車の自動運転とは異なる。Facebookのこの試みは、AIに人間社会を動かさせるという最初の試みである。どのような結果になるのか、見守って行きたい。

 コミュニティーは、結局はオフラインで根を下ろさねばならない。もし、インターネットが使えなくても、コミュニティーは存続していかねばならない。ザッカーバーグは、オンラインがオフラインを強化すると述べているが、結局のところ、コミュニティーはオフラインでしか存在できないのではないだろうか。私がイスラエルで病気になったとき、アメリカにいる友人はオンラインで見舞いを言えるが、スープを飲ませてくれるのは、オフラインの友人だけだ。

 人間には頭脳と共に身体がある。しかし、技術が進歩するにつれ、人間は徐々にその能力を失っている。過去の人類は全ての身体能力を生きていた。狩猟採集民が森にキノコを採りにいく。彼らは毒キノコを食べないように、視覚、嗅覚、味覚などの全てを使って、最深の注意を払ってキノコを選ぶ。現在では、人々はスーパーの棚に並んでいるキノコを選べばいいだけだ。そして、現代人はそのキノコを食べる時、スマホをいじくりながら、ロクに味わいもしないで。ザッカーバーグは、「人々は経験が分かち合えるツールを提供したい」と言っている。しかし、人々が本当に望んでいることは、「自分のために役立つ経験を得たい」、「自分が認知されたい」ということだ。

精神が自分の身体から離れていった人間は、疎外感、孤独感を持つ。そんな人々は、宗教や、政治に取り込まれやすい。しかし、何百万年もの間、人々は宗教や政治なしで生きていた。自分の体に安心感を持てない人間が、安心感を持てる場所などないのである。結局は、人類は自分の身体に戻っていくしか、疎外感、孤独感から解放される方法はないのである。

オンラインでの関係にも限界がある。ザッカーバーグは、人間の結合が強まり、意見の交換の場が増えれば、人間の両極化は次第になくなっていくと予想している。またオンラインコミュニティーにより、相手の人の背景を知ることができるので、人と人のつながりが容易になると述べている。しかし、一度も会うことなしに、その人間全体を知ることができるのだろうか。しかも、前にも述べたが、人間が認知できる友人の数は百五十人前後なのである。しかし、人間は複数のグループに同時に帰属意識を持つことができる。また、対人関係は「ゼロサムゲーム」ではない。しかし、結果的に「遠く人には興味を示すが、隣人には興味を示さない」という人が増えるかもしれない。Facebookのエンジニアの一人がこう言っている。「物を買うのは直ぐに、人間関係は時間をかけて」

 Facebookは、金銭関係でないコミュニティーのサポートと、自分のビジネスを両立できるのだろうか。Facebookは、税金逃れと非難されている。人間に身体があるが、企業にも身体がある。Facebookが方針を変えて、そのオフラインの部分にもっと踏み込むことを望む。また同社が税金納付の方法を順守しつつ、なおかつ、利益を上げることを望む。

これまで、企業は政治的、社会的な牽引車にはなれなかった。それは、株主が、そうなることを望まなかったことによる。その代わり、教会、政党、軍隊その役割を果たした。オンライン社会を構築しようとすれば、まず、混乱したオフライン社会を何とかしなくてはならない。人間は頭脳だけではない、身体を持った存在であることを認識することが、Facebookの成功の鍵である。

他の「ハイテク巨人」企業でも、アルゴリズムの限界を知っていれば、オンラインの世界を広げることは難しいと考えるだろう。脳とコンピューターの直接接続が今試されている。これは、コンピューターの限界と、有機的な身体の限界を知ってこそ実現する。将来。身体の全てをコントロールすることが可能になれば、オンライン、オフラインの壁はなくなっていくだろう。

 

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