最初の夜

 

 哲学者は、アルフレッド・アドラーの心理学について若者に説明する。アドラーは、フロイト、ユンクと同時代に生きた、ドイツの心理学者だ。アドラーの心理学は「個人心理学」と呼ばれ、フロイト、ユングの考えて大きく違う。その根本は、「誰も自分を変え、幸せになることができる」ということだ。若者は言う。

「誰もが自分を変えたいと願っていますよね。でも、そのこと自体、それがいかに難しいかを示すものではないでしょうか。難しいからこそ、人々は宗教やカウンセリングに頼るんじゃないですか?」

彼は、自分の友人の例を挙げる。友人は、部屋に閉じこもっている。友人は、常々、そんな自分を変えたいと思っている。しかし、それを試みるために、外に出ると、パニックになってしまう。友人自身は、過去の両親から虐待と、学校でのいじめが、自分の今の状態の原因であると考えている。

 哲学者は、反論する。過去の出来事が現在の状態の原因だとすると、両親から虐待を受けた者には、等しく結果が現れなければならない。原因と結果を結び付けるという考えは「決定論」と呼ばれる。過去の出来事によって現在が「決定」されるからだ。

「アドラーによると、過去の出来事は、現在の自分に何の意味を持たないんです。」

哲学者はそう言う。

「じゃあ、私の友人が外に出られないのはどうして?」

若者は問い詰める。

「アドラーの心理学では、『原因』ではなく『目的』に注目するんです。言い換えれば、人間の行動原理は、『過去』とではなく、『未来』と結び付けて考えるべきなのだと。」

と、哲学者は答える。その友人は、「もし、外に出たら何が起こるか」を想像し、その目的に達することを怖れている。そのために、過去の出来事を、それをしなくていい「言い訳」に使っている。パニックも、将来外に出なくていいように、そのような症状を作り出している、哲学者はそう断言する。「過去との結び付け」にこだわっている限り、人間に進歩はないと。若者が不満げな顔をすると、

「もし、きみが風邪を引いて医者に行ったら、医者に何を期待するかね。」

と、哲学者は若者に尋ねる。

「もし、医者が、風邪の原因について、あれこれ詮索し始めたら、きみはどう思う?」

「原因はどうでもいい。早く、治療をしてくれって、そう言います。」

若者は答える。哲学者は、現在カウンセラーが行っていることは、風邪の人間に対して、原因を探ってやっているようなものだと一蹴する。

「『きみは悪くない』、その言葉は慰めにはなっても、実際には何の役にも立たない。トラウマなど存在しないのです。」

 哲学者は、フロイトの心理学と、アドラーの心理学の根本的な違いについて説明する。フロイトは、過去と現在の因果関係の分析に特化しているが、アドラーは、人間が目的とする姿、未来との関係により、現在の状態を解き明かそうとしている。過去の出来事に影響を受けることはあるだろうが、それによって人間が固定化されることはない。自分の人生は自分で選ぶもの、方向を決定するのは自分なのであると。

「きみの友人は、自分の意思で、自分がそうしたいから、部屋に閉じこもっている、そう考えるべきでしょう。それは、そうすることが、彼の『目的』だからです。彼はまず、自分で不安を創り出しています。例えば、彼が引きこもれば、両親は心配するでしょう。彼は、両親の注目を引こうという『目的』をもって行動し、それに成功している。彼が一歩外に出たらどうなるか、彼は顔のない人間になり、誰も彼に注目しないでしょう。彼は今、引きこもることで、『注目されたい』という『目的』を果たしているのです。今の彼は、自分でその生き方を選び、『目的』を果たしたことに満足しているのです。」

哲学者は、そう解釈していた。若者はそれに納得できない。若者は、自分の体験を語りだす。

「今日、カフェでコーヒーを飲んでいたら、ウェイターが買ったばかりの僕の上着に、コーヒーをこぼしたんです。僕は、思わずウェイターを怒鳴りつけました。これにも『目的』があるというのですか。『怒り』は、突然の感情の爆発で、目的について考えている暇などないはずです。」

「じゃあ、きみがたまたま包丁を手に持っていたら、怒りに任せて、ウェイターに切り付けていましたか?」

哲学者は反問する。そんなことはないと、若者が否定すると、

「きみは、怒りの中でも、冷静に考えているんじゃないでしょうか。人間は突然の感情をコントロールできないと言うが、きみはそれをコントロールできているでしょう。きみは、ある『目的』を果たすために、自分で『怒り』という感情を作ったんです。多分、『ウェイターを支配したい』という『目的』のため。怒りの感情を作ったのではないかと思います。きみは、声を荒げなくても、自分の考えをウェイターに伝えることもできたはずです。そうすれば、ウェイターも、きみの満足に行くような対応を取ることもできたかもしれない。でも、きみはそれをしなかった・・・」

哲学者は、別の例を挙げる。ある母親が娘を強い口調で叱っていた。その時、娘の先生から電話があった。母親は急に丁寧な口調で先生と話す。電話を終えた後、母親は再び娘を叱り始める。母親は、見事に「怒り」の感情をコントロールしているではないか。

「『怒り』は、目的のための手段に過ぎない。」

その言葉に、若者はますます反感を強め、

「あなたは人間の感情、ひいては人間性を否定するニヒリストだ。」

と叫ぶ。

「感情は人間の本質です。感情を否定することは、人間性を否定することです。感情を取り払えば、人間は単なる機械になってしまいます。」

若者は言う。哲学者は静かに答える。

「確かに、人間には感情があります。しかし、人間は過去に支配されていないように、感情にも支配されていません。むしろ、人間は感情をコントロールできる存在なのです。井戸水を環境によって『温かい』と感じたり『冷たい』と感じたりすることがあるでしょう。それと同じように、『今の自分がどう考えているのか』が全てなのです。」

哲学者は続ける。

「タイムマシンが出来ない限り、自分の過去を変えることはできません。自分を過去と結び付けている限り、現在の自分を変えることはできない。したがって、幸せにはなれません。過去に支配され変えられない自分、つまりフロイトの『決定論』こそ、最大の『ニヒリズム』と言えませんか。アドラーの考え方は、ニヒリズムとは百八十度逆なのです。」

「しかし、過去からの影響は余りにも大きすぎます。」

若者がそう言うと、

「人間は変わることができます。自分が変われば、世界観も変わります。それを前提に考えてみればどうでしょうか。」

哲学者はそう答える。若者は、それでも納得せず、反論の糸口を探す。

「僕の学校に、明るく、皆から好かれる男『Y』がいました。それに比べて、暗くて、誰からも相手にされない自分。そんな僕も変われるんですか?彼のようになれるんですか?」

「はっきり言って、きみは彼のようになれませんよ。また、なる必要もありません。変化の第一歩は、まず自分を知ることなんです。その際、他人の意見はまったく価値がありません。ソクラテスは、若い人と議論をしましたが、自分では一冊の本も書きませんでした。アドラーも、人と話すことに主眼を置いていました。そのやり方を、今、ここでやってみましょう。」

哲学者は若者に質問を始める。

「きみは、Yのように、ダイナミックな人間になりたいんですね。」

若者は答える。

「ええ、でも、あなたは、なれないと断言しましたよね。」

「それは、皆、性格、前提が違うからなんです。どれだけたくさん本を読んでも、知識を仕入れても、性格、前提は基本的に変わりません。もし、土台がしっかりしていなければ、どれだけ知識を仕入れても、簡単に崩れてしまうでしょう。まず、どうして『Y』のようになりたいのか。その『目的』を明確にすることから始めましょう。」

「目的? 彼のようだったら、僕はもっと幸せだからです。」

哲学者は続ける。

「じゃあ、今、きみは幸せじゃないんですか?『幸せ』かどうかとは、幸せを感じる能力があるかどうかということなんです。言い換えれば、自分を愛する能力があるかどうかということです。」

「その通り、僕は幸せじゃありません。そして、僕は自分を愛してなんかいません。自分のことが大嫌いです。」

「そうですか。じゃあ、今のままじゃだめですね。アドラーの理論の根本は、どんな境遇に生まれたかということではなく、どんな前提で生きているかのいうことなんです。きみの『前提』が何なのか、一緒に考えてみましょう。」

若者は反論する。

「ある人は、いい両親の下で生まれ、ある者は悪い両親の下に生まれます。人は生まれながらにして平等じゃないじゃないですよ。他にも、国家、人種などがあります。あなたの言うことは理想論で、現実の世界を見ようとしていません。」

「人間は『交換』できません。しかし『更新』はできる。きみが不幸だと思うのは、不幸であることを自ら選んだからです。」

哲学者は続ける。

「ソクラテスは、誰も分かっていて悪いことをしないと、言っています。」

「犯罪者、政治家、役人は、分かっていて悪いことをしているのではないですか。」

「いや、誰もが自分のしたことを正当化する心を持っているということです。強盗犯や殺人犯であっても、自分のやったことが、自分のためになると思ってやるのです。ギリシア語で『良い』という意味は、『自分のためになる』ということで、そこに道徳的な判断は含まれていません。きみは、自ら不幸であることを選んだ。それは、それがきみにとって『自分のためになる』からなんです。これから、そうしてそれがきみにとって有利なものなのか、考えていきましょう。」

哲学者は話題を変える。

「アドラーの心理学では、性格や前提を『ライフスタイル』と呼んでいます。『人生に対する考え方』、『行動の方向付け』と言ってもいいでしょう。ライフスタイルとは『どのように世界を見ているか』と言い換えることもできます。例えば『私はペシミストです』というライフスタイルを取れば、『ペシミスティックな観点で世界を見ている』ということになりますね。そして、『世界の見方』なら、当然、変えること、つまり別の角度から見ることもできるわけです。」

「世界の見方って、『生き方』ってことですか?」

若者が質問する。

「そうですね、自分の人生の中で、自分が進んで行きたい方向と言ってもいいでしょう。そして、それを、皆自分で選んでいる。」

「つまり、僕はこのみじめな性格を自分で選んだというんですか?」

「その通り。」

哲学者の答えは明確だ。

「僕は生まれたときからこんな性格だったし、別に選んだわけじゃないです。」

若者は反論する。

「もちろん、意識して選んだわけじゃない。無意識の内にそうしたんです。他の要素もあったかも知れないけれど。ともかく、選んだのはきみ自身なんです。」

「仮に選んだとすれば、それで何か変わるんですか?」

まだ納得できない若者はそう尋ねる。

「一度選んだものなら、当然もう一度選び直すこともできるでしょう。」

若者は、自分はライフスタイルを変えられないと主張する。しかし、哲学者は何時でも選び直せると断言する。それどころか、人間は常にライフスタイルを選びながら生きていると言う。

「きみは、最初自分を変えたいと言った。しかし、今は、自分は変えられないと言っている。それこそが、人間がライフスタイルを常に変えている証拠じゃないでしょうか。」

と哲学者は言う。

「人間は何か問題があっても、敢えてライフスタイルを変えることは面倒なので、そのままにしておくことが多いものです。古い車に乗っていて、あちこちにガタが来ているが、買い換える面倒を考えれば、多少の不便は耐え忍んで乗り続ける、それと同じです。」

哲学者は続ける。

「ライフスタイルを変えようとすれば、その際、その人の勇気が試されます。変化に失敗したときの失望を怖れてはいけません。不幸な人には、幸せになろうという勇気が欠けている、それがアドラーの理論です。それが、アドラーの心理学が、『勇気の心理学』と言われるゆえんでもあります。「変わることができないのは、常に『変わらないでおこう』という決断をしていると言ってもいいでしょう。」

若者が質問する。

「では、変わるための勇気を持つために、どんなものを原動力にすればいいのですか?」

「『もし、XXだったら』という考えを捨てることが一番大切です。それは、自分に対する言い訳を作っているにすぎません。私の知人に、作家を目指しているという男がいます。彼は、仕事が忙しくて、なかなか作品が仕上げられないとこぼし、完成したら、文学賞に応募するつもりだと言っています。本当のところ、彼は、自分の作品が拒否されたり、批判されたりしたくない、そのための言い訳をしているに過ぎません。このような人間は、五年経とうが、十年経とうが、次々と言い訳を見つけ、同じことを続けるでしょう。彼に必要なことは、今文学賞に応募し、拒絶されても、批判されても、それを糧に成長することなのに。彼は、自分の人生を、自分自身で必要以上に複雑にしているにすぎません。」

若者は、少し感心した表情で言った。

「たしかに、あなたの言っていることは、劇薬のような効果がありますね。」

哲学者は言う。

「しかし、ライフスタイルを変えれば、世界との付き合い方も変わります。そこで道が開けてくることもあります。難しそうに見えますが、実は簡単なことなんです。これまであったどんなことも、きみの人生に影響を与えていません。きみの人生を決めているのは、今のきみなのです。もう夜も遅いですね、続きは次回話し合いましょう。」

 

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