ピアノマン

 

僕がどんな風に自分で撮った写真を「料理」しているかの例。これは健勲神社。次の章には絵が載っています。

 

二月、僕は、「何かに憑かれたように」絵を描いていた。一カ月の待ち時間、どうしても焦ってしまう心を落ち着けるために、何か集中できることを求めていたようだ。僕は、

「せっかく空いた時間、有意義に過ごそう、何かを残そう。」

と考えた。小さいころから好きだったが、最近殆ど書いていない絵。それを再開することにした。二月二日、次の病院での予約が四週間後になると分かった日、僕は画材店に行きスケッチブックを買った。そして、その夜から、絵を描き始めた。最初から「シリーズ物」にするつもりだった。題材は、「京都の風景」。せっかく京都にいるんだもの。

最初に選んだ題材は「嵯峨、清凉寺山門」だった。どんなテクニックを使おうかと考えたのだが、黒のボールペンと水彩色鉛筆にした。水彩色鉛筆は、普通の色鉛筆のように紙の上に描いた後、水を付けた筆で撫ぜると溶けて水彩のようになるという「優れモノ」。ボールペンとのコンビネーションは、一番手軽で、一番安価な手法であった。

間もなく、僕の生活パターンは大体決まり、午前中は中国語とドイツ語の勉強、午後は、散歩、日本語の授業とその準備に当て、授業が終わり、夕飯を済ませた後、毎日二時間から三時間絵を描く、そんな繰り返しになった。

夜、絵を描いているとき、僕はテレビを点けていた。一枚目の絵も佳境に差し掛かり、清凉寺山門の着色をしていた二月六日の土曜日、その日はテレビにNHKが写っていた。いつも九時からは、ニュースの時間。しかし、その日は土曜日で、ドラマが始まった。「六畳間のピアノマン」という番組。そのテーマ音楽が、ビリー・ジョエルの「ピアノマン」だった。

「時計の針がちょうど九時を指した土曜日

馴染みの顔が続々と集まりだす

俺の隣にはいつもひとりで来てる爺さん

いつだってまずジントニックだ」

土曜日の九時から始まるドラマに、この曲を使い、しかも歌の内容に関係があるストーリーを作る、僕は制作者のアイデアに感心した。特に心に残ったのは、次の部分だ。

「そうだ、そうやって皆孤独って名の酒を共有し合ってる

そんな酒でも独りで飲むよりはずっとマシだろう?」

ドラマは四回シリーズで二月一杯続いた。僕は二月の間に、八枚の絵を描いた。一週間に二枚ずつ仕上げていたことになる。土曜日、僕はドラマを見ながら絵を描いていた。何時しか、「ピアノマン」は僕の絵のテーマソングになっていた。

二月中に八枚を仕上げたが、「シリーズ」と言うことで、必ず守ったルールがふたつある。第一番目は、「絵の中に必ず人物を配置する」という点。二番目は「絵によってテーマになる色を決める」という点。絵は、自分が撮った写真を基にしたが、そこには必ず人を描き、それはほとんどの場合、僕の創作だった。また、絵によって「青っぽい」とか「オレンジっぽい」とか、基調となる色が感じられるようにした。

 

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