体内に何が起こるのか、満足の化学

 

満足を感じるときホルモンの一種であるセロトニンが脳に作用することが知られている。本来、セロトニンは胃腸を動かすホルモンである。そのセロトニンの一部が脳に作用すると、冷静さ、平静さを促し、不安、攻撃性を抑える働きがある。セロトニンはそういった意味で「文明化のホルモン」と呼ばれている。人間の感情をオーケストラに例えると、セロトニンは指揮者の役割を果たす。コップに「半分しか入っていない」と感じるか、「まだ半分残っている」と感じるかはこのホルモンによる。

幸福を感じさせるホルモン、エンドルフィネンは持続性のない一過性の効果しかもたらさないが、セロトニンはじっくりと効き、持続性がある。また、脳で幸福感と満足感を感じる場所も違う。幸福を感じさせるもうひとつのホルモン、ドーパミンは「何かを期待させる」ホルモンである。例えば、百メートル競走のスタートにいる走者にはドーパミンが出ている。その効果のために、人間はリスクを背負うという気になるのである。しかし、脳はドーパミンの効果にすぐ慣れてしまい、幸福を感じなくなる。また、年齢を加えるにつれ、ドーパミンに対する感受性が薄れる。つまり幸福を感じにくくなる。しかし、満足を感じさせるホルモンの働きは、年齢により減少しない。ドーパミンが出続けると、その人間はほかの事を忘れて、危険なことに挑戦し続けることになる。

ドーパミンが出ている状態を「フロー」言う。「フロー状態」はひとつとの事に集中し、我を忘れている状態で、本人にとって決して楽しい状態ではない。フローはストレスホルモンの少ないときに出現するが、そのうちストレスホルモンが増加しフローは終わる。あるミュージシャンは、時折、指揮者の存在も聴衆の存在も忘れ、音楽に没頭する状態になるという。これがフローである。

 

ケーススタディー、パトリック・ハームズの場合

 

医学部の学生であったパトリック・ハームズは医師になるための国家試験を一ヵ月後に控えていた。覚えなければいけないことは山ほどある。彼は夜も昼も勉強をしなくてはいけない状況に追い込まれていた。ある女子学生が彼に「ヴィギル」という名前の薬をくれた。その薬は、突然深い眠りに陥るという病気の治療薬であった。パトリックはそれを試してみる。確かに頭がすっきりとし、眠気が消え、勉強がはかどるように思われた。その薬は、一九四〇年代に開発され、認可後は集中力を要求される職業の人々の間に広まった。多くの健康な人間がこの薬を飲んだ。しかし、この薬には中毒性があり、効果を維持するためには、どんどん量を増やさなければならない。パトリックも最初は口から飲んでいた薬を、最後はすり潰して注射しなければならなくなった。人間はこれまでの数十年間、何らかの薬に頼って生きてきた。それは「脳に対するドーピング」と言えた。幸いにしてパトリックはカウンセリングによって、中毒からは抜け出した。しかし、彼は薬を使った後、性格が変わったことに気づいた。

 

<次へ> <戻る>