何とかセーフ

 

(写真提供 堀井憲一郎氏)

 

八月中に発表の内容を決め、プレゼンテーション資料を作った。それ自体は楽しい作業だった。九月中旬に、準備をほぼ終えて、発表資料を幹事に送り、妻を相手に予行演習もした。一緒に聴いていた娘は途中で眠ってしまったが。

そこでまだ大きな心配事があった。日本に着く日と、同窓会の日が同じ日なのだ。具体的には十月七日の午前九時に関西空港に着き、そこから乗り合いタクシーで京都に着くのが十一時過ぎ。同窓会の授業が二時半から。つまり、飛行機の到着が三時間以上遅れるとアウトということ。そして、飛行機というものは平気で三時間以上遅れるものなのだ。もう一日早く英国を発てばいいようなものだが、九月末は会社の決算期であり、どうしても金曜日まで働いて、部門の損益計算書を提出しなければいけないという事情があった。

それで、金曜日の昼にロンドンのヒースロー空港を発ち、パリのシャルルドゴール空港で乗り換え午後フランスを発ち、土曜日の朝に関空に着いて、同窓会に駆けつけるという「綱渡り日程」になってしまった。飛行機の遅れないことを願うのみである。

前日の昼過ぎ、大阪行きのエール・フランス機が定時に離陸したとき、

「ああ、これで間に合う。」

僕は安堵の溜息をついた。途中で墜落したり、ハイジャックに遭わない限り、この飛行機は明朝関西空港に着く。

飛行機は無事土曜日の朝九時に関空に着き、昼の十一時過ぎに、無事京都の母の家に到着。東京で働いていて、夕方に関空からシンガポールに発つ息子が母の家に既にいた。彼と少し話す。

迎えに来てくれたYさんと連れ立って、歩いて中学校へ向かう。

「おおい、カワイ、お前発表者なんやから、もうちょっと早う来て準備せんと。」

と幹事のH君。

「ごめん、ごめん」

と言って会場に入ると、僕が先に送っておいたプレゼンテーションのスライドが既に表示されていた。

同窓会への参加者は先生方が三人と、元生徒が三十人ほど。幹事のH君の開会の挨拶の後、僕は話し始めた。

 

「これからイギリスについてお話をさせていただきます。僕は二十六年間イギリスに住んでいます。本来なら、皆さんから質問をお受けして、お答えするところなんですが、いきなり質問されても直ぐに答えられないものもあります。それで、勝手に十個の質問を用意して、それに自分で答えていくという形で進めたいと思います。でも、これらの質問は、これまで日本人の友人からされたことのあるものばかりで、皆さんのご興味と、それ程かけ離れていないと自負しています。」

 

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