「コリーニ事件」

Der Fall Collini

 

フェルディナント・フォン・シーラッハ

Ferdinand von Schirach

2011

 

 

<はじめに>

 

動機の全く分からない殺人。ふとした偶然から、その被告の国選弁護人を引き受けることになった新米の弁護士カスパー・ライネン。頑固に口を割らない被告、百戦錬磨の検察官や相手方の弁護士が相手。しかも、殺された老人は自分の恩人。そんな四面楚歌の状況の中、彼の孤独な戦いが始まる。

 

<ストーリー>

 

二〇〇一年五月二十六日、ベルリンの高級ホテルの一室を訪れたイタリア人のファブリツィオ・コリーニは、泊り客のひとりである八十四歳のハンス・マイヤーを射殺する。その後、彼は、顔が変わるほど、靴で被害者を踏みつける。フロントに戻ったコリーニは、フロントの職員に殺人事件の発生を報告、警察を呼ぶように依頼する。

事件の発生は週末であった。その時たまたま週末の当番弁護士を引き受けていたカスパー・ライネンは、主席判事のライマーに呼ばれる。ライネンは弁護士になってまだ四十二日目の「駆出し」てあった。彼は、コリーニの官選弁護人を引き受けることになる。ライネンは、商法の弁護士に保障される裕福な生活を敢えて蹴り、刑事事件の弁護士として、キャリアのスタートを切ったところであった。ライネンはコリーニに面会する。コリーニは大男であった。彼はイタリアからドイツに出稼ぎに来て以来三十五年、ずっとダイムラーの工場で働き、三年前に定年退職をしていた。コリーニはライネンに、何も語りたくないと言う。

ライネンは、母が男を作って家を出たため、父親に養育され、ずっと寄宿生の学校に通っていた。夏休みやクリスマス休みの間、ライネンは自分の家には戻らず、友人のフィリップの家で過ごすのが常だった。そこは、ミュンヘンの近く、ロスタールという村にあるフィリップの祖父の家だった。祖父は、裕福な実業家であるとのことだったが、ライネンには優しく接してくれていた。フィリップにはヨハンナという姉がいて、彼女は英国の大学に行っていた。カスパーは、休暇の際、英国から帰って来るヨハンナに密かに恋をしていた。ところが、フィリップは休暇が終わり、学校に戻る途中、両親の車が事故に遭い、両親と共に死亡する。

コリーニの弁護士を引き受けた来年は、ヨハンナから電話を受ける。そして、コリーニが殺したハンス・マイヤーが、自分が少年時代世話になった、ヨハンナとフィリップの祖父であることを知る。殺されたハンス・マイヤーはドイツ実業界の重鎮であった。老弁護士マッティンガーは、ハンス・マイヤーの会社の顧問弁護士から依頼を受け、被害者側の弁護を引き受けることになる。ライネンは、自分が被害者の家で育ち、被害者と強い利害関係があるので、自分は加害者の官選弁護士にふさわしくないという上申書を作成し、判事に提出しようとする。しかし、マッティンガーはライネンに、引き続きコリーニの弁護をするように忠告し、ライネンもそれに従う。

ライネンは殺されたハンス・マイヤーの検死を見学する。初めての検死、ライネンは気分が悪くなる。検死の結果、犯人は跪く被害者を一方的に射殺、その後、顔の半分が崩れるほど被害者を蹴り続けたことが分かる。マッティンガーは、若いライネンに興味を持ち、彼の学校時代の成績を調べる。優秀な学生であったライネンは、数々の誘いを断って、刑事事件の弁護士として、そのキャリアをスタートしていた。ライネンは何度か拘置所にコリーニを訪れ、殺人の動機や背景を知ろうとする。コリーニは、ライネンの熱意に対して礼を言うが、動機に対しては依然として口をつぐんだままである。

コリーニは捜査に対して自白を始める。しかし「どのように」という部分には明快に話すが、「何故」という部分に、彼は一切触れない。検察側は、六か月間、コリーニと被害者のハンス・マイヤーの間の接点を探ろうとする。しかし、それは徒労に終わり、検察は「動機不明」のまま、コリーニを起訴する。ハンス・マイヤーとコリーニの関係を知ろうというライネンは、ヨハンナと一緒に、かつて自分が休暇を過ごしたロスタールのハンス・マイヤーの家に向かう。しかし、ふたりは何も見つけられずにロスタールを去る。

いよいよ、コリーニの裁判の始まる前夜、ライネンもマッティンガーも眠れぬ夜を過ごす。裁判の初日、被告人は何も話さずに閉廷する。裁判長も含め、裁判に出席している皆が「動機」を求めていることを、ふたりの弁護士はひしひしと感じる。ライネンは裁判の後、傍聴に来ていたヨハンナと会う。

被告人が口をつぐんだままの裁判は、検察側の一方的な主張のみで進んでいく。ライネンは、犯行に使われた拳銃が、P三十八であることに注目する。彼は、週末をルードヴィヒスブルクにある、資料室で過ごす。そこで見つけた古い書類を持って、ライネンはコリーニを訪れる。裁判は、担当官が病気になったことにより中断する。ライネンはその間に、しばしばルードヴィヒスブルクを訪れる。

マッティンガーの誕生日のパーティーを訪れたライネンは、ハンス・マイヤーのコンツェルンの顧問弁護士に話しかけられる。顧問弁護士は、ライネンがルードヴィヒスブルクを訪れたことを知っていた。顧問弁護士はライネンに、コリーニの弁護を止めれば、金の儲かるケースを紹介すると持ちかける。ライネンはそれを拒否する。

数週間の中断の後、法廷が再開される。ライネンは発言を求める。彼はコリーニの実に意外な過去について語り始める・・・

 

<感想など>

 

作者のシーラッハは、一九六四年、ミュンヘン生まれの弁護士である。彼はいくつかのドイツの歴史に残る裁判の弁護団に加わっている。つまり、弁護士としても一流の人物であるらしい。弁護士としての活動と並行して、二〇〇九年、四十五歳にして初めて小説を発表した。二〇一一年に発表されたこの「コリーニ事件」は、ベストセラーとなり、彼の作家としての地位を固めたものである。この小説を読んでいて、これは専門家でないと書けないという部分が多々あった。種明かしになってしまうが、第二次世界大戦中の事件が発端となっている。戦争中に犯された、人間として許し難い犯罪が、戦後のドイツにおいて、どのように取り上げられ、どのように裁かれたかを知ることができる。最大の戦争犯罪人であると思う天皇居座った日本に比べ、ドイツは過去を反省し、自らの過去を裁いていると思っていたが、そうばかりではないらしい。

二百ページ足らずの短い小説である。最近、五百ページ、六百ページを超える犯罪小説もある中、この小説は短い部類に属する。しかし、ページ数が少ないだけでなく、極めて簡潔な書き方が印象的である。量、質ともに凝縮されている。長くなりがちの最近の犯罪小説とは対をなすものであると言えよう。

コリーニがハンス・マイヤーを余りにも残虐な殺したため、読んでいる誰もが、これは復讐であるということを予感する。そして、正義感に燃えた新米弁護士の努力により、それが何に対する復讐であったかが次第に明らかになっていく。対立するベテラン弁護士のマッティンガーは、新米のライネンなら組み易いと思い、ライネンに被告の官選弁護人を続けるように説得した。しかし、それは図らずも、逆効果を生んでしまう。

この小説を読んでいて一番心に残った言葉、それは裁判の最後にコリーニ自身が述べている。

「死者は復讐を欲してはいない。それを欲するのは生きている者である。」

 先にも書いたが、研ぎ澄まされた、緊張感のある小説で、面白く読めた。

 

201412月)

 

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