イースタッドの犯罪率

 

   

イースタッド駅と駅の裏から出ているポーランド行きのフェリー。(筆者撮影)

 

マルメーから「スコーネ交通」の切符を買うときに、Ystadをどのように発音していいかわからない。無難に、抑揚をつけず、

「イスタドまで。」

と言ったら、

「イースタードですね。」

と駅員に念を押された。「復活祭」を表す「イースター」という英語があるが、それに「ド」を付けたという発音。また、ケネス・ブラナー主演のBBCのドラマでは「イスタード」と発音されているが、ウィキペディア日本語版では「イースタッド」となっているので、それを尊重させていただく。

 イースタッドは「クルト・ヴァランダー」シリーズの舞台になっている、スウェーデン南部の町である。主人公は、その町のマリアガタンという通りに住んでおり、丘の上の水道塔の向かいにある警察署で捜査課の警視として働いていることになっている。殺人事件は、町の中や周辺で起きる。そして、物語に登場する場所、警察署は言うに及ばす、通り、海岸、レストラン、ホテル、ファストフードの店まで、実在するものである。

 私はその日の午前中、マルメーの郊外にあるストルップ空港に着き、空港バスでマルメーに移動した。そこから、「スコーネ交通」の電車でイースタッドに向かう。電車は十一時十五分発、イースタッド経由、シムリスハム行き。二両連結、外観も内装も薄い紫色で、ソフトな感じがする。

スウェーデン最南部のこの辺りは、スコーネ地方(Skåne)と呼ばれている。「A」の上に「O」のついている母音は、かなり硬い「オー」という発音だ。スコーネ地方はスウェーデン随一の穀倉地帯であるとのこと。飛行機の上からは平らに見えたが、電車の窓から見ると、結構波打っている。車窓には畑と森が交互に現れる。広い土地に家がポツンポツンと立っており、木に囲まれた家は富山県砺波平野の散居村を思い起こさせた。鳥が池の凍っていない場所の周りに集まっている。車窓から海が見え始め、十二時ちょうどにイースタッドに着いた。

電車を降りる。二月にしては天気が良く、太陽が眩しい。駅の裏は港で、その向こうはバルト海、太陽の光をキラキラ反射している。

「なかなか、可愛い街。」

というのが、私の第一印象だった。駅を出て私がまず驚いたのは、その町の小さいこと。こじんまりしすぎている。それもそのはず、人口は三万人に満たない。その小さな町とその周辺で、ヴァランダー・シリーズでは合計二十一人の殺人事件の犠牲者が出る。こんな小さな町でそんなに沢山の人が殺されたら、もの凄く高い凶悪犯罪率になってしまう。ヴァランダー・シリーズを読んでいて、少し引っかかってしまうのは、その舞台の小ささと、起きる殺人事件の件数の不釣り合いである。

私は、前もって「イースタッド観光協会」に地図を送ってもらっていた。「ヴァランダー巡礼」用の地図で、物語に出てきた重要個所はおおよそプロットしてある。その地図を見ながら、私は自分の泊まるホテルに向かって歩き出す。駅前の通りの角を曲がると、「ホテル・コンチネンタル」と「フォッフォのピザ屋」があった。このホテルとピザ屋はどの作品にも必ず出てくる。いきなり旧知の人から出迎えを受けたようで嬉しい。

私の泊まったホテルは、「一七九三年創業・セシェルゴルデン・ホテル」、イースタッドで一番古いホテル。もちろん、このホテルもヴァランダー・シリーズに頻繁に登場する。第二作「リガの犬たち」では、漂着したゴムボートの中で発見されたふたりの男の死体の確認のため、ラトヴィアから派遣されたリーパ少佐がこのホテルに泊まっている。また第七作「真夏の殺人」では、コペンハーゲンから派遣された女性警察官ビルギッタ・ツルンが、やはりこのホテルに泊まっていたことになっている。ホテルはイースタッドでは典型的な平屋で木組みの建物、古いので少し傾いていた。部屋は小さな中庭に面していた。ひなびた農家に下宿しているような雰囲気で、悪くなかった。

イースタッドの街並みは、石畳の通りにカラフルな家が並び、可愛い印象だった。海岸は殆どの場所が砂浜。海岸も、ヴァランダー・シリーズでは重要な役割を果たす。ボートが漂着したり、海岸に伏せられたボートから死体が見つかったり(1)、霧の中の海岸で捕り物が行われたり(2)。冬の最中で、海岸を歩くには不向きな時期だったが、一度夏に訪れて、海岸を歩いてみたいと思った。(今日まで実現していないが。)

さて、このような小さな町、イースタッドだが、スウェーデンにとっては重要な場所である。それは、ポーランド行きのフェリーが発着していることである。「リガの犬たち」でも、ラトヴィアからのゴムボートが漂着している。また「ピラミッド」では、東側からの飛行機が、イースタッドに現れ、密輸品を投下していく。古くから、そして現在も、バルト海対岸の、ヨーロッパ諸国への窓口、接点であったのだ。

もうひとつは、デンマークへの近さである。ヴァランダー・シリーズを読んでいると、コペンハーゲンの警察とチームを組んで捜査活動をするというシーンに度々出くわす。例えば、第七作でヴァランダーは、事件の重要参考人として、「ルイーゼ」という女性を追っている。ある夜、ルイーゼと思しき女性がコペンハーゲンに現れたという知らせを、デンマークの警察から受けったヴァランダーは、コペンハーゲンに急行して、バーで「ルイーゼ」の横に座り、彼女と接触する・・・そんなことが可能なのか、と思ってしまうが、可能なのである。イースタッドからマルメーまでは車で四十分くらい、そこからデンマークのコペンハーゲンまで橋が架かっている。そこを通れば、更に四十分くらいでコペンハーゲンに着く。その「オレスンド橋」は二〇〇〇年に完成した長さ十六キロの長大な橋。鉄道と道路の二階建てだ。スウェーデン側に料金所があり、通行料は二〇〇五年当時で二百八十八クローナだった。当時のレートで五千円弱。リンダが高い通行料についてぼやいているシーンを思い出す。

さて、何故、マンケルがこのイースタッドをシリーズの舞台に選んだのか、それを述べていそうな資料、参考文献を調べてみた。しかし、理由を書いた箇所は見つからなかった。彼が、かつてイースタッドに住んだという事実も見つからない。更に調べてみて、あれば追記したい。私が想像するには、

@     イースタッドの町の小振りさゆえの、ハンドリングの良さ、

A     市街、海岸、港、畑、森、牧場等、異なった舞台背景が使えること、

B     海外との接点があるため、国際的な犯罪と絡めやすい、

そのようなところだ。

先ほども書いたが、夏場に、ノンビリと滞在するにはよい場所だと思う。この駄文を読んで、イースタッドを訪れてみようという方が出ることを望む。

 

    

一七九三年創業のセシェルゴルデン・ホテルと、パステルカラーが可愛いイースタッドの街並み。(筆者撮影)

 

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1)「「赤い鰊(Villospår)」1995

2)「白い雌ライオン(Den vita lejoninnan)」1993

 

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