行動する人、マンケル

 

国連UNHCRの招請でウガンダ、カンパラを訪れたマンケル。UBHCRの公式サイトより。 20131121日)

 

二〇一〇年五月、BBCニュースを見ていた私の前に、どこかで見た顔が登場した。ヘニング・マンケルだった。当時、パレスチナ人からのロケット攻撃に手を焼いたイスラエルが、パレスチナ人自治区のガザ地区を封鎖してしまった。百万人以上の人間の住むガザ地区が、孤立してしまったのである。ガザ地区の人々に人道的な支援を訴える人々は物資を積んだ船団を組み、ガザ地区へ向かった。その船の中にマンケルが乗っており、BBCのインタビューを受けていたのであった。そのとき、マンケルは「行動する人」だった。その後、彼がどうなったのか知らなかったが、ウィキペディア、英語版によると、彼の乗った船はイスラエル軍に拿捕され、彼はスウェーデンに送還されたそうである。(1

マンケルの「行動する人」としてのもう一つの側面は、アフリカへの支援である。「クルト・ヴァランダー」シリーズと並んで、マンケルの作品群のもうひとつの核をなすのが、「アフリカ」シリーズである。その中でも、頻繁に舞台として登場するのが、モザンビークである。(2)マンケルは、ザンビアを始め、幾つかのアフリカの国に滞在した後、モザンビークの首都マプトで、劇団を立ち上げ、演出家として現地の演劇集団を率いていた。「ヴァランダー」シリーズが世に出た当時、マンケルは、一年の半分はモザンビークに、残りの半分はスウェーデンに住むという生活をしていたという。(3)アフリカを訪れ、単に取材をするだけでは物足らず、そこで行動を起こした。彼は、常に「傍観者ではいられない」人であると、私は想像している。

 マンケルは一九四八年、ストックホルムで生まれ、父母が生後間もなく離婚したため、姉と一緒に父親と暮らしていた。(1)父親は、裁判所の判事であり、いわゆる「転勤族」であった。彼が子供時代を過ごしたのは、スウェーデン北部のスヴェグ(Sveg, ヘルイェダーレン(Härjedalen)であった。マンケルの作品の中でも私がベストスリーの中に含めたい「帰ってきたダンス教師/邦題:タンゴステップ(Danslärarens återkomst)」(2000年)の中に、鬱蒼とした森の広がる北部スウェーデンの風景が描かれるが、その風景はマンケルが子供時代に見ていたものであった。

 彼が十三歳の時、父親の転勤で、西ゲトランド地方のボロス(Borås, Västergötland)に引っ越す。しかし、十六歳の時彼は学校を辞め、パリに向かい、そこで船乗りになる。一九六六年、パリに戻ったマンケルは執筆活動を始め、二十歳の時に書いた戯曲が、最初に当時スウェーデンで最大の劇団「リクステアテルン」(Riksteatern)で上演された。その後、彼はアフリカに注目する。彼は、しばしばアフリカを訪れ、モザンビークのマプトで劇団を主宰、演出家として活動をする他、アフリカを舞台にした小説を発表する。しかし、彼を世界的に有名にしたのは、彼が四十三歳のときに発表した、「クルト・ヴァランダー」シリーズであった。しかし、彼がスウェーデン南部のスコーネ地方にマンケルが住んだという記述はなく、どうしてスコーネ地方のイースタッドがその舞台に選ばれたのかは、私にとって不明である。そこを何とか、解明してみたい気がする。

 彼は若い時から、政治的には左翼思想の持ち主であった。彼は一九六八年の学生運動の最盛期に活動をしている。また、ベトナム戦争、ポルトガル植民地戦争、人種差別などに反対する活動をしている。また、一時ノルウェーに住んでいた時は、毛沢東主義者の女性と同棲していたという。彼が、パレスチナ難民問題にも興味を持ち、自ら行動していたことは先にも述べた。マンケルは、一九九八年に、著名な映画監督であるイングマール・ベルイマンの娘で、同じく映画監督のエヴァ・ベルイマンと結婚している。

彼が死去したのは二〇一五年月五日であった。死因は喉頭癌、六十七歳という若さ、まだこれからという時に病に倒れた。しかし、私は彼の死を何となく予感していた。それは、二〇〇九年に発表された「不安に駆られた男(Den orolige Mannen)」で、クルト・ヴァランダーをアルツハイマー病として、実質的に葬っていたからである。マンケルが亡くなった日、私は日本にいた。日本のニュースでは、彼の死は一切触れられなかった。英国に戻り、彼の死を知り、英国ではかなり大きく取り上げられていたことを知った。英国の名優、ケネス・ブラナーが主演した「ヴァランダー」シリーズのテレビドラマが国内でヒットし、その原作者として、知る人が多かったためと思われる。マンケルの死は、彼やヴァランダーと一緒に二十年間歩んでいた私にとっても、ひとつの区切りになる出来事であった。

 

フランスのコートダジュールで休暇を過ごす、マンケル夫妻。地元紙’nice-matin2011321日の紹介記事より。

 

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(1)  Wikipedia, the free encyclopedia, 英語版「Henning Mankell」の項より引用。以下、マンケルの経歴についても同じソースより引用。

(2)  「火の謎(Eldens gåta)」(2001年)、「子供たちの喜劇Comédia infantil」(1995年)、「汚れた天使の思い出(Minnet av en Smutsig Ängel)」(2011年)、「ケネディーの脳(Kennedys hjärne)」(2005年)等が、モザンビークを舞台にしている。(「豹の目(Leopardens öga)」(2004年)はザンビアが舞台となっている。

(3)  Mörder ohne Gesicht, Henning Mankell, dtv, München, 1999, 作者紹介より引用。

 

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