ヴァランダーの功罪

 

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ヴァランダーを演じた三人の俳優(各シリーズのウェッブサイトより)

ロルフ・ラスゴルド(Rolf Lassgård)、クリスター・ヘンリクソン(Krister Henriksson)、ケネス・ブラナー(Kenneth Branagh

個人的にはラスゴルドが一番私のイメージに近かった。

 

マンケルの警察小説の主人公、クルト・ヴァランダー(Kurt Wallander)は、余りに斬新な設定で、衝撃的なデビューを果たし、全世界の人々を短時間で魅了した。しかし、そのために、ひとつの困ったことが起こった。後の作家が、一斉にその模倣をし始めたのである。ヴァランダーは、私生活でも問題を抱え、組織の中からもはみ出した人物であった。それゆえに、そのリアリティーに読者は魅せられたのである。彼の成功の結果、その後に出た警察小説は、刑事の私生活の乱れぶりと、職場でのはみ出しぶりを競うようになった。そんなことで、別に競争する必要があるとも思えないのだが。

例えば、ノルウェーの作家、ヨー・ネスベーの小説の主人公、ハリー・ホーレは、アルコール中毒であり、捜査中にホームレス同様になってしまう。(1)また、スウェーデンの作家アンデルス・ロスルンドとビョルゲ・ヘルストレーム(Anders Roslund & Börge Hellström)の小説の主人公、警視エヴェルト・グレンス(Ewert Grens)。定年を数年後に控える中年の独身男。オフィスに寝泊りし、常にスウェーデンの女性歌手、シヴ・マルムクヴィスト(Siw Malmkvist)(2)の曲を大音量でかけている・・等々。そのはみ出しぶりに留まるところがない。

「そんなところで競ってほしくない。」

というのが私の正直な意見である。

さらに、「二匹目の泥鰌を狙う」出版社とマスコミが、マンケルとヴァランダーの成功を利用し始めた。これは、二〇〇五年に出版された、ドイツ人の作家ヤン・ゼクハース(Jan Seghers)最初の作品「美しすぎた少女(Ein allzu schönes Mädchen)」のペーパーバック版の裏表紙に書かれたコピーだが、

「ヴァランダーはついにドイツ人の弟を見つけた。」(3

と書かれている。当時、熱狂的に読まれていた「ヴァランダー」シリーズにあやかろうという作戦らしいが、これはいただけない。ヤン・ゼクハースの一連の作品、「ロベルト・マルターラー(Robert Marthaler)」シリーズ、それなりに面白く、私も好きなのだが、このコピーの一言で、「二番煎じ」、「模倣」という先入観を与えてしまう。ともかく、このことは、当時、どれほどヴァランダーが人気を誇っていたかの証しである。

 さて、そんなヴァランダーはどんな人物であったのか、いや、どんな人物として描かれていたのだろうか。彼はスウェーデン南部、スコーネ地方、イースタッド市、イースタッド警察署に勤める警視である。彼の作品はほぼ彼の年齢を追っているので、一九九一年に第一作が発表されたときの年齢が四十歳前半。十八年後の二〇〇九年に最終作が書かれたときには、五十歳後半か還暦を迎えたあたり、要するに、終始中年男である。作者のマンケルは、主人公をその当時の自分の年齢とほぼ同じに設定している。

 第一作で、ヴァランダーは妻のモナに去られた直後。まだ、彼女に未練があり、「より」を戻そうとするが、上手くいかない。父親は、イースタッドの近くの村に住んでいるが、ヴァランダーが警察官になると言った日から、ふたりの関係は上手くいっていない。そして、その父にはアルツハイマー症が忍び寄っている。娘のリンダはティーンエージャー、難しい年頃であまり家に寄り付かない。妻とよりを戻そうとレストランに誘うが、彼女には既に新しい男がいることが分かる。痛飲した帰り道で、同僚の警官に飲酒運転で捕まってしまう。(同僚の温情に助けられるが。)単身赴任の女性検事を夕食に誘い、彼女の身体に触る。(今の時代なら、どちらかひとつで懲戒免職処分であろう。)食生活もひどい。一日に何倍もコーヒーを飲み、それも、警察署の自動販売機からのプラスチックのコップに入ったもの。食事不規則で、街のファストフードの店で、いかにも体に悪そうな物ばかり。妻が去ってから、どんどん太っていく自分に気づきながらも、方向転換ができない。第三作で人を殺したことで、心を病み、一年以上職務から離れていた。しかし、その間は酒浸り。娘の説得でやっと酒を断ち、第四作で復帰の道を歩む。しかし、ひどい食生活がたたって、第七作では糖尿病を患う。 

 そんなヴァランダーだが、優秀な捜査官として、警察では一目置かれている。そのような優秀な捜査官が何故、何時までも田舎の警察にくすぶっているのかという点は別にしても。彼は何代かの警察署長に仕えるが、押しなべて署長たちはヴァランダーに好意的で、協力的である。そして、同僚たちも、ヴァランダーには尊敬の念をもって接している。捜査は大抵、同僚たちの献身的な協力で進められる。しかし、そんなヴァランダーだが、全作に共通して現れる、ひとつの問題行動がある。それは、物語の後半の「単独行」である。同僚の動きがまどろっこしくなった、時間的に切迫している、そんな理由で、ヴァランダーは単身、犯人との一騎打ちに臨むのである。そして、危機に陥り、同僚が何とか間に合って助けられるというパターン。これが、全作を通じての後半部の「定番」になっている。

 ヴァランダーの捜査手法であるが、一言では「少しでも不自然と感じた事を徹底的に追及する」ということになるだろう。これは、第五作の「赤い鰊(Villospår)」の中の一説である。ヴァランダーは同僚のアン・ブリット・ヘグルンド(Ann-Britt Höglund)と一緒に、被害者の家を訪れた。訪問の後、車の中で、アン・ブリットに対して、ヴァランダーは次のように問う。(4

 

「フレドマンの家族のところへ行ったとき、何か普通でないことに気が付かなかったか。」

「『普通でないこと』って。」

「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような。」

彼はそんな表現を使ってしまったことを、即座に後悔した。アン・ブリット・ヘグルンドは彼が何か不適切なことを言ったように顔をしかめた。

「娘のルイザについて質問したときに、彼らは答えをはぐらかそうとしたんじゃないかと。」

彼は言い直した。

「いいえ、でも、あなたの態度がそこで変わったってことには気づいた。」

彼女は答えた。

 

この「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような」感覚を持ち得るのが、ヴァランダーがヴァランダーである所以である。「不自然なこと」、それは、言葉で表現できないくらい、些細なこともある。ヴァランダーは、その不自然さを、驚異的なねばりによって解析し、真相へと導いていく。

マンケルと、ヴァランダーの登場について、英国の作家であり批評家である、バリー・フォーショー(Barry Forshaw)は以下のように述べている。

 

「『顔のない殺人者』 (二〇〇〇年に英国で出版) はおしなべて好意的に迎えられ、本当の影響力と知性を持った語り口と相まって、このジャンルの新しい呼び声であると評された。読者は先ず、無口で、気難しい主人公と直面する、体調も良くない、せっかち、上司との関係も上手くいっていない。 (後者は、もちろん、この手の小説ではよく出てくるパターンだが。) そして、様々な家族の問題に対処するために苦労している。(シリーズが進むにつれて、読者は、ヴァランダーが をアルツハイマー病の初期の段階である父親と、裏切られたと感じ憤慨している娘となんとかやっていこうとしている様子を知る。) しかし、そのようなことはヴァランダーの性格描写に豊かさを与えており、それは権威のある文学的な作品とも共通するものである。 マンケルの作品の、その性格描写の豊かさが、マンケルの作品を犯罪小説のジャンルでのポールポジションに押し上げた。」(5

 

フォーショーも書くように、まずクルト・ヴァランダーという主人公を作り上げたところに、このシリーズの成功の大きな要因があるのである。模倣者の多さも、その新しさ、衝撃の大きさの証明だとすれば、腹も立たない。

 

***

 

(1)  「こうもり男(Flaggermusmannen)」 (1997)のストーリーの中。

(2)  「野獣(Odjuret)」 (2004)のストーリーの中。シヴ・マルムクヴィスト(Siw Malmkvist)実在の人物。一九三六年生まれのスウェーデンのポピュラー音楽の歌手。特にドイツで人気があり、一九六〇年代にドイツでヒットチャートの第一位になったこともある。

(3)  Jan Seghers, Ein allzu schönes Mädchen, Rowohlt Taschenbuch Verlag, Hamburg, Germany, 2005, 裏表紙の作品紹介にEndlich hat Warrender einen deutschen Bruder.’ Frankfurter Rundshau. とある。

(4)  Henning Mankell, Die falshce Fährete, Deutscher Tashcenbuch Verlag, Munich, Germany, 2001, 273ページ, 翻訳は筆者

(5)  Barry Forshaw, Nordic Noir, The pocket essential guide to Scandinavian crime fiction, film and TV, Oldcastle Books Ltd, Harpenden, UK, 2013, 25ページ、翻訳は筆者   

 

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