ニャマタから連れてきたもの

 

「コーヒー娘」のおふたり。手前にあるのがサンバサの唐揚げ。ビールによく合った。

 

「モトさん、誰かを連れて来ちゃいましたね。わたし、霊感が強いから分かるんです。」

Mさんが言った。そこはキブエの湖畔のレストラン、僕の前には、チャーミングな女性が二人座っている。隊員のMさんとAさん。西部県でコーヒーの農業指導を受け持つ、「コーヒー娘」と呼ばれているお姉さんたちである。ニャマタの記念館を訪れた夜、一度眠りについた僕は、真夜中過ぎに突然パニックと過呼吸に襲われた。

「やっぱり、今日見たもので、かなりショックを受けてるんだ。」

僕はそう思い、精神安定剤を飲み、一時間ほど気持ちを落ち着けた。幸い、その後は、パニックにならないで朝まで眠れた。その話を、「コーヒー娘」さんとの夕食の席でしたら、Mさんから「誰かを連れて来ちゃった」発言が出たのである。そうなのだろうか。

「モトは昨日帰って来たときからちょっと変だった。僕がポーランドのワルシャワにいるとき、モトと彼の友達が遊びに来たんだ。モトは行かなかったけど、友達はアウシュビッツに行った。彼が戻って来たときの様子が、昨日のモトと同じだった。」

Gさんは言った。やっぱり、誰かを連れて来る、来ないはともかくとして、あれはショック。

金曜日の午後、午前中で仕事を終えたGさんと僕は、昼過ぎにキガリを出て、西部のキブエという町に向かった。ルワンダの西部はキヴ湖という湖があり。なかなか景色の良い場所らしい。そこでも二人の隊員さんが働いておられるので、例によっておふたりと夕食をということになっている。その土地の名物、「サンバサ」を食べるのも目的だ。「産婆さん」ではなく「サンバサ」。

キガリからキブエまでは車で二時間余の道のり。道路はかなりひどい状態だった。統一直後の旧東ドイツのアウトバーンのように穴だらけ。雨季の終わりとあって、あちこちに崖崩れが起こっている。途中で峠を越える。そこが分水嶺。東側に降った雨は、アカゲラ川からビクトリア湖に入り、ナイル川を経て地中海に注ぐ。西側に降った雨はキヴ湖からタンガニーカ湖に入り、そこからコンゴ川を経て大西洋に注ぐという。雨にとっても「人生の別れ道」なのである。

僕も半分くらい運転。ルワンダでの運転にもかなり慣れた。キブエに行くと聞いていたのに、Gさんは「カロンギ」という標識の方向へ行けという。実は、キブエとカロンギは同じ町。かつてはキブエという名前だったが、大虐殺の後、カロンギに変わったという。ルワンダにはそんな名前の変更があちこちにあり、三日目に行ったフイエも、大虐殺の前には「ブタレ」と呼ばれていた。グーグルマップを見ると、今でも「ブタレ」書かれている。大虐殺の後、ともかく色々なところで、過去からの脱却の試みがなされたのだ。分水嶺を超えて十五分ほど走ると、前方にキヴ湖が見えてきた。夕日が湖に沈もうとしている。

キブエの町は、海の無いルワンダの人々にとって「水辺の保養地」らしく、ルワンダでは珍しい「リゾートホテル」が何軒かあった。僕たちはそのひとつに泊まることになっていた。

 

崖崩れの後、ボチボチと復旧工事が始まっている。

 

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