ロードス港の巨像

 

昔巨像の立っていた場所には今は一対の鹿の像が立っている。向こう側は灯台。

 

昼前にジョギングに行っていたマユミが帰ってきたので、一緒にプールで泳ぐ。ジョギングしているときは日差しがきつくて暑かったそうだが、プールで泳いだ後は、寒い寒いと言いながら、暑い風呂に浸かっている。熱したり冷ましたり、忙しいことだ。

海岸を散歩していた義母も帰ってきた。海岸にいると、見知らぬ大男が近付いてきたそうである。

「ちょっとびっくりしてると、男の人がニコッと笑ってこんな物をくれた。」

義母はその大男から貰ったという巻貝の殻を見せてくれた。

今回、スケッチブックを持ってきていたが、まだ一度もスケッチをしていないのに気が付く。暇なのでスケッチでもするかと、午後二時ごろ、独り車で五分のロードスシティーに行く。岬の水族館の前に車を停め、岬を回ったところでベンチに座り、港の入り口にある灯台のスケッチを始めた。

ロードスシティーにはふたつの港がある。ひとつはかつての軍港、もうひとつはかつての商港である。今僕が座っているのは軍港の入り口。港の出口には雌雄一対の鹿の像が並んでおり、これがロードス島のシンボルらしい。この場所には、かつてピラミッドなどと並んで世界の七不思議に数えられた、巨像が立っていたそうだ。ニューヨークの自由の女神に匹敵する大きさで、港の入り口をまたいで立っており、その股の間を大きな船が行き来できたという。以下は、「ロードス島攻防記」からの引用だ。

 

「しかし、ロードスの最も輝かしい時代は、アレキサンダー大王の死後からはじまったと言ってよいだろう。エジプトとの間の密接な通商関係が、この東地中海の小さな島に、エジプトのアレキサンドリアやシチリアのシラクサと並ぶほどの繁栄をもたらしたのである。古代世界の七不思議の一つとされる、ロードスの港の入り口をまたいだ形の、巨像が作られたのもこの時代だった。

この銅製の巨像は、西暦二二七年のすさまじい地震で崩壊してしまうが、古代世界の七不思議とは、エジプトのピラミッドをはじめてとして、人間技では不可能と驚嘆された巨大な建造物であったから、ロードス島も、当時の最高の技術水準をもっていたにちがいない。」

 

日本では弥生時代、ようやく細々と稲作が始まっただけの時代に、当時のギリシア人がそんなものを作ってしまう技術を持っていたことに、驚嘆するしかない。そして、

「その巨像の足があった場所に今自分はいるんだ。」

と思うと感慨深い。

灯台の反対側からのスケッチを仕上げ、港をぐるりと回って、灯台の足元に行ってみる。海に突き出した突堤には風車が並んでいる。風車の周囲には数匹の猫がいた。どれも細い猫だ。午後の太陽が水面に反射しキラキラと眩しく、係留された白いヨットが、かすかに揺れていた。風は治まってきたようだ。

 

大きな船が巨像の股の間を行き来していたという。

 

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