ライン河沿いの城が廃墟であるわけ

 

ドラーヒェンフェルスのテラス。眼下にライン河、対岸のボンの街、ケルン大聖堂の尖塔が見える。

 

テラスからライン河を見下ろす眺めは素晴らしい。ライン河にはたくさんの船が行き来している。対岸は緑の多いボンの町、ずっと向こうにケルン大聖堂の尖塔が小さく見える。ライン河のこちら側には「ズィーベンゲビルゲ」と呼ばれる、山というか、緑の丘が連なっている。

「ドラーヒェンフェルスはもう嫌になるほど見た。」

というクリスティーネを残して、マンフレッドと僕は、城の廃墟を見に行った。昔は大きな城だったようだが、今では壁がわずかに残っているにすぎない。

ライン河の両側の山の上に立っている古城は、大半が崩れ落ち、廃墟になっている。僕は、それらが、経年的に、つまり古くなったから崩れたのだと思っていた。しかしそうではないという。

「ルイ十四世の率いるフランス軍に、徹底的に破壊されたの。」

とクリスティーネが言った。後で、調べたことだが、その破壊は「大同盟戦争」と呼ばれる戦争中に起こったものだった。ルイ十四世の率いるフランス対それに反対する勢力が争った戦争。ウィキペディア、オンライン百科によると、

「大同盟戦争(一六八八−一六九七)は、膨張政策をとるフランス王ルイ十四世に対してアウクスブルク同盟に結集した欧州諸国が戦った戦争である。アウクスブルク同盟戦争とも九年戦争、プファルツ戦争またはプファルツ継承戦争とも言う。主戦場となったのはドイツのライン地方やスペイン領ネーデルラント(現在のベルギー・ルクセンブルク一帯)で、アイルランドやイタリア、スペイン北部、北アメリカにも拡大した。」

と書いてあった。なるほど、ライン地方は主戦場で、フランス軍は、次々とライン河沿いに立つ城を破壊していったわけだ。

「その際、破壊を免れた城は数えるほどしかないの。ひとつがエルツ城ね。」

その一言で、僕が翌日訪れる場所が決まった。

「明日、そこへ行っていい?」

「うん、いいよ。」

破壊されていない、昔の面影を留めた城も見てみたい。

元来た道を降りていく。ワイン山に正面から西日が当たっている。眼下のライン河が、西日をキラキラと反射している。ブドウ畑は西向きの斜面に作られることが多いという。一日の最後まで太陽の光が当たるし、川沿いのV地方の地形は、暖かい空気を保持し易いという。ブドウは元々暖かい地方の作物。ドイツなど寒冷な土地で育てるのはそもそも難しく、それなりの工夫が必要なのだ。

帰りに、マンフレッドは僕を、ペーターズベルク元迎賓館に連れていってくれた。丘の上に聳えるこの建物は、かつてボンが首都であったころは国賓が滞在する迎賓館として使われていた。クリントン大統領も滞在したことがあるとのことで、玄関には彼のポートレートが飾られていた。現在はホテルとして使用されている。

 

ドラーヒェンフェルスとケーニクスヴィンターを結んでいるラック式の鉄道。線路が三本ある。