トンカツと墓参り

 

二次会の最後にまだ残っている皆で記念撮影。

 

土曜日の十一時頃、同窓会の余韻に包まれたまま生母の家に帰ると、姉が居間でまだ仕事をしていた。福岡に住む姉は、僕が帰るのに合わせて京都に来てくれているのだ。明日は、継母と父の遺した物をどうするか相談することになっている。

翌朝、姉と一緒に父の家に行き、そこで継母に会う。最重要課題は、父の遺した家をどうするかということ。継母は自分の家を持っている。そして、継母も高齢になり、二軒の家の面倒を見るのも大変になってきている。それで、父の家は売ることに決めた。

午前中は、父の荷物の片付けをする、年賀状の束、大学の職員録など、父には思い出深い品であるとは思うが、どんどん捨てることにする。殆どが「捨てる」という作業だった。

本棚の中から、誰かの日記が見つる。書いたのはティーンエージャーのようだ。結構流麗な字体で書かれており、僕は性格通りの四角四面の字を書いた父の日記ではなく、父の兄弟の誰かの日記だと思った。しかし読んでいくうちに、それは父の日記であるということが分かった。

「大学の事務室に勤めて、毎日ガリ版を切っているうちに、四角い字になった。」

と父が言っていたことを思い出す。父のあの字体は後天的なものだったのだ。

昼過ぎに、僕が頼んでおいた不動産屋が来る。家を査定してもらうためだ。父の家は築後百年近く経っているので、壊して更地にしないと、買手がないと僕は思っていた。

「最近、今日の町家に住みたいという人が結構多いんですわ。お宅は柱なんかしっかりしてますし、壊さないで、ちょっと昔風に改装すれば、きっと買手がありますよ。特に、大学の外国人教員の方なんかは、そんな家を探しておられます。」

不動産屋のアドバイスは意外だった。

「ふ〜ん、こんな古い家に住みたいという奇特な人もいるんだ。」

と感心する。ともかく、「壊さないで建ったまま売る」という方針が固まった。

 不動産屋が帰り、仏壇をどうするかという話になった。継母の家には既に仏壇がある。

「家にお仏壇がふたつあると良くないとも聞くえ。」

と継母、

「そんなん、『おっさん』(寺のご住職)に聞けばいいやん。」

と言うことで、僕はH寺に電話をし、寺へ向かう。そこでご住職に尋ねると、

「別に、家にふたつ仏壇があってもかましまへん。」

とのことだった。

 H寺での墓参り。僕は父の納骨には出ていないので、父が入ってから初めて、墓に詣でることになる。「親の葬られた墓を訪れる」という映画にあるシーンが遂に自分のものなったと感じる。

 姉は夕方に福岡に戻り、その日の夕食は継母とふたりでトンカツを食いに行った。母のご推薦のトンカツは柔らかくて美味かった。その後継母の家を訪れる。住み易いようにリフォームされていた。話しているうちに、たまらなく眠くなり、半分自転車の居眠り運転で生母の家に戻る。

 

継母と一緒にトンカツを食う。どうして日本の肉はこんなに柔らかいんだろう。