「話さなければならないと神は言われた」

Und Gott sprach; Wir müssen reden!

 

2012

 

 

<はじめに>

 

流行らない精神分析医、ヤコブ・ヤコビの前に現れたサーカスのピエロの格好をした男、アベル・バウマン。彼は、自分が「神」だといい、ヤコブにカウンセリングを申し込んでくる。「神様」のカウンセリングを引き受けたヤコブの経験する悲喜劇。

 

<ストーリー>

 

ヤコブ・ヤコビは売れない精神分析医である。彼はマリッジカウンセリングを専門としていた。しかし、彼が妻と離婚した後は、患者も遠のき、彼はクリニックと、自分の住むアパートの維持に汲々としていた。ふたつとも元妻の名義で、彼は元妻も家賃を払っていた。深夜、彼は元妻、エレンの訪問を受ける。嫉妬深い夫に追われているから助けてくれと元妻はヤコブに言う。間もなく、夫と言う男がアパートのベルを鳴らす。彼女は、夫から別れようとしている。ふたりがモルジブで交わした誓いは、ドイツでは無効だという。

「夫はプロボクサーなの。」

と言う、元妻の忠告は遅すぎた。ドアを開けたヤコブは、顔面に強烈なパンチを受けてノックアウトされる。

鼻の骨を折ったヤコブは、深夜救急病院に運ばれる。しかし「救急」と言っても、患者が溢れ、診察してもらえるまでに、患者は何時間も待たねばならなかった。ヤコブは隣で待っていたピエロの格好をした男と話を始める。ヤコブが自分は精神分析医であると言うと、その男、アベル・バウマンは、カウンセリングをして欲しいと言う。待ち時間に、ふたりは病院の向かいのカフェへ行き、そこでカウンセリングを始めることにする。しかし、ウェートレスにより朝食が運ばれる。しかし、その時、ウェートレスの肘が、ヤコブの折れている鼻を直撃する。彼は余りの痛みにその場で気を失う。

ヤコブが気付くと、病室で寝ていた。母親と弟が見舞いに来ている。彼は、かなり長い間気を失っていたらしい。銀行に勤める兄、ヨナスは母親のお気に入りで、流行らない精神科医のヤコブは母親の悩みの種だった。父親は、著名な精神分析医、バートロモイズ・ヤコビで、最後は酒浸りの生活を送り、五年前に亡くなっていた。ふたりとの会話に辟易したヤコブは、医者に言って、彼らを遠ざけてもらう。その医者の話によると、手術の際医者が麻酔薬の量を間違えたため、ヤコブは一時心臓が停止し、長時間の昏睡に陥っていたとのこと。医者はよくあることと、涼しい顔をしている。

ヤコブが次に目を覚ますと、枕元に白衣を着たアベル・バウマンが座っていた。ふたりが話しを始めて間もなく、警察官が現れ、バウマンをニセ医者として逮捕する。ヤコブは、

「彼は俺の患者だ。」

ということで、後を追う。バウマンは留置場に入れられる。刑事は、バウマンが、ニセ建築家として危険なビルを設計建設したり、ニセパイロットとして資格がないのに旅客機を操縦したり、ニセ医者として診療をしていたことを告げる。ヤコブは担当医として、留置場でバウマンの話を聞く。バウマンは自分が「神」であると述べる。

ヤコブは、弟のヨナスの運転で、警察からアパートに戻る。道中、ヨナスは、母親の気に入るような人間でいること、銀行マンとして働くことに疲れたと述べる。そして、銀行に辞表を書いたことを告げる。

ヤコブがアパートに戻ると、元妻、エレンが再び現れる。前回の詫びに来たという彼女は、伯父からの莫大な遺産が入るので、再び「より」を戻し、遺産を山分けしようという。彼女は、ヤコブが経済的に困窮しているのを知っていた。彼女はヤコブをベッドに誘う。その時、警察から電話がかかる。バウマンが釈放され、ヤコブが身元引受人となったと言う。ヤコブは、エレンを残し、バウマンの住所へと向かう。

バウマンの住所、そこは空地で、キャンピングカーが数台並んでいるだけであった。バウマンはそのキャンピングカーに住んでいるようであった。隣のキャンピングカーに住んでいるという「鉄のハインツ」という元サーカス芸人に尋ねると、バウマンは近所のイタリア料理店で行われる結婚披露宴を見に行ったという。ヤコブがそのレストランを訪れると、果たして、バウマンは宴から離れて、独りでグラッパを飲みながら、披露宴の人々を観察していた。

「この結婚は上手くいかない。新郎には既に女がいる。その女は新婦の妹だ。」

とバウマンはヤコブに話す。果たして、新婦の妹が新郎を、

「裏切り者。」

とののしりだすのをきっかけに、披露宴は無茶苦茶になった。バウマンとヤコブはその騒動から逃れるためにレストランを出る。ヤコブが、何故、その騒動を予言できたのかを不思議に思う。

バウマンはこれから家族に会いに寝台列車でミュンヘンに向かうが、一緒に来てくれないかと依頼する。ヤコブはそれを引き受けてしまう。ふたりは寝台車で向い合せのベッドに腰掛けながら、話をする。神として自分はアベル・バウマンの身体を借りているが、最近、全知全能のはずの自分の能力が減退していることを感じている、そのためにカウンセリングを受けたいと話す。バウマンがヤコブに払う報酬は、勝ち番号を知っている自分が、カジノで稼いだものだと言う。また、二人の間に置かれたコーヒーは、飲んでも飲んでも、瞬く間にカップに満たされた。ヤコブはバウマンが神ではないにしても、特殊な能力を持った者であることを感じ始める。

ミュンヘンに着いたふたりは、マリアとヨゼフという夫婦を尋ねる。一応、ふたりはバウマンの養い親ということになっていたが、バウマンは妻のマリアと関係を持ち、子供を作っていた。その男の子、クリスチャンは、現在修道院に入っているということになった。四人は食事をするが、その後、気まずい雰囲気になり、ふたりは追い出されるような形で、マリアとヨゼフの家を出る。ふたりはローカル電車に乗る。バウマンが突然非常ブレーキを引き、電車が停まる。

「この電車の線路の下に、不発弾があり、それが爆発するから。」

とバウマンは言う。車掌が慌ててやってきて、バウマンに非常ブレーキを作動させた理由を尋ねる。そのとき、爆発音が響き、列車の前方に火柱が上がる。爆弾が爆発したのだ。ふたりはそのドサクサに紛れて列車から脱出する。

ふたりはバウマンの息子の住む修道院を訪ねる。息子のクリスチャンは父親には会いたくないと言って、ヤコブとだけ話をする。そして、父親がひょんなきっかけから、自分を神だと思い込むようになった経緯を話す。ヤコブとクリスチャンが物音に驚いて外に出ると、食堂で、老修道士とバウマンがポーカーの勝負をしていた。老修道士が勝ち、修道院側は新しいトラックが一台買えるほどの金を得る。

クリスマスイブにヤコブはベルリンに戻る。自分のアパートに入ろうとするが、鍵が開かない。怒った妻が、ヤコブの持ち物を外に放り出し、鍵を替えてしまったのだ。ヤコブは仕方なく、兄のヨナスのマンションに行く。ヨナスは出かけるところであった。兄はキューバへ向かうと言って、マンションを出て行く。ヤコブは大きなマンションで、独りでクリスマスを過ごすことになる。そのマンションに深夜、警察が突入してくる。警察は、ヨナスを業務上横領の罪で、逮捕に来たのであった。ヤコブは兄と間違えられて警察に連行され、そこで女性刑事クロールの取り調べを受ける。刑事は、ヤコブにヨナスの立ち回り先を白状するように迫る。そこへ、弁護士と名乗って、バウマンが現れる。バウマンは言葉巧みに警察と交渉し、ヤコブは釈放され、ヤコブの時間稼ぎの甲斐があって、ヨナスは無事キューバへの脱出に成功する。

ヤコブは兄のマンションに戻るが、警察が立入禁止にしている。そのマンションの前で、彼はひとりの若い女性、ハナと会う。ヨナスの愛人で、妊娠しているという。行先のない

ヤコブは仕方なく母親の家を訪れる。ヨナスがフロリダで仕事を始めると信じている母親は、これからフロリダへ行くと言い残して、止めるヤコブを残して去っていく。ヤコブはバウマンを誘い、彼等は母親の家で、彼女の残して行った酒と食料で、クリスマスを祝う。

その夜、バウマンはヤコブに「もしもヤコブが存在しなかったときの世界はどうなっているのか」という不思議な体験をさせる。

「別の世界」では、母親はヨナスを身ごもった後、父親とは結婚せず、父親は、それほど偉くもならず、アルコール中毒にもならず、まだ存命で、若い二度目の妻と、健康的な生活を送っていた。ヨナスは太っていたが、銀行員として、不正には手を染めず、結婚して、三人の娘をもうけていた。母親は、ホームレスを助ける組織を率いていた。また、元妻のエレンは、マルコというコックと結婚し、健康食レストランを開いていた。ヤコブは、自分のいない世界の方が、皆幸せになっているように感じて、自己嫌悪に陥ってしまう。しかし、ハナだけは本来の世界と同じ境遇で、ヨナスの愛人であった。ハナは高層アパートの窓際に立ち、今にも飛び降りようとしていた、自分はその世界の人間ではないと知りつつも、ヤコブは彼女を助けようと駆け寄る。しかし、自分も足を滑らせてベランダから落下する。そして、地面に叩きつけられる直前に、ヤコブは目を覚ます。

目を覚ますと、傍にバウマンがいて、彼のキャンピングカーのむ中にいた。今日は十二月二十七日であるとバウマンは言う。ヤコブは自分がこの世に存在している幸福感にしばし浸る。彼は、「鉄のハンス」の顔と、「自分のいない世界」で元妻のエレンが結婚していたマルコと男と似ていることを感じる。果たして、マルコはハインツの息子であった。母親に真実を話すために、母親を訪れることにする。

母親は、フロリダに行って、ヨナスの言っていたことが全て嘘だと悟った。また、ヨナスが横領をしたのも、母親にとって良い息子として振る舞うためだったことを悟る。ヤコブはヨナスから預かったクリスマスプレゼントを母親に渡す。その中には小さな折り畳まれた紙が入っており、そこにはキューバのハバナのカフェの名前が書いてあった。母親は、息子に会うためにキューバに行くことにしたという。そして、妊娠しているハナも連れて行くと言い出す。ヤコブはハナの住所を捜しだし、窓から飛び降りようとしている彼女を引き止め、母親の元に送る。自分は、元妻のエレンを、「バベルの塔」というレストランに呼び出す。そこは、ハインツの息子、マルコが働いている店だった。そこで、滑って転びそうになったエレンを、マルコが助ける。そして、ふたりの間には好意が芽生える。

翌日、ヤコブは母親と一緒にキューバへ向かうために空港へ行く。そこで、母親を見つけるが、それは母親に変装したエレンであった。エレンは、警察を欺くために、母親と組んで芝居をしていたのだ。果たして、ふたりは女性刑事のクロールに呼び止められるが、その間に母親とハナは別の飛行機でキューバへ向かっていた。

空港でヤコブは、ヨゼフ、マリア、クリスチャンが飛行機から降りて来るのを見る。彼らは、バウマンが大怪我をしたため、急いでミュンヘンからベルリンに飛んできたという。ヤコブは三人を車に乗せてバウマンが入院している病院へ向かう。そして、そこで、ヤコブはバウマンの負傷した経緯を聞く。それは世にも不思議な話であった・・・

 

<感想など>

 

この物語の興味は唯ひとつ、アベル・バウマンは本当に神なのか、それともペテン師に過ぎないのか。最初、彼は色々と「奇跡」を起こす。しかし、そのような奇跡は、ちょっとしたトリックで、手品師ならば出来てしまいそうなことなのだ。ましてや、バウマンはサーカスのピエロが本業、手品、トリックはお手の物なのである。また、バウマンはヤコブに「ヤコブが存在しなかった場合の世界」を見せるが、これとて、催眠術を使えば不可能ではない。

 バウマンの家族というのが出て来る。これが傑作である。ヨゼフとマリアの夫婦、しかし、バウマン(神)がマリアを妊娠させ、クリスチャン(つまりキリスト)という息子を設けている。

「マリアとヨゼフの子がキリストだって!?」

とヤコブも驚く。

「ここはバイエルンなので、女性の半分はマリアだ。」

とバウマンは言う。確かに、カトリックの国ではマリアという名の女性が多い。南ドイツのバイエルンはカトリックの土地なのである。私がスペインの田舎の工場で働いていたとき、女性労働者の半分がマリアという名前だという印象があった。(残りの半分がカルメン!)

 ヤコブが「自分が存在しなかった場合の世界」を体験するのが非常に面白い。父親と母親は知り合い、母親は兄のヨナスを身ごもる。ここまでは、「現実の世界」と同じである。しかし、その後、父親と母親は結婚せず、それぞれ別の人生を歩む。父親はそれほど有名にならず、普通の大学教授として別の女性と結婚、アル中にもならず健康な生活を送る。つまり、父親が精神分析において画期的な理論を見つけたのは、悪妻を通じてであったのだ。高慢で見栄っ張りな母親は、質素な格好で、ホームレス救済事業に取り組んでいる・・・

「パラレルの世界」があるという人もいるし、ないという人もいる。歴史が偶然の連続で進んでいくものなのか、それとも歴史的必然があるのかという問題もある。ともかく、どのような道を辿るにせよ、そこには必ず良い面と悪い面があるということが分かる。そして、何より、「それを体験できる自分がこの世に存在する」ということは素晴らしいことなのだ、ということがこの小説のテーマであると思われる。

 夢から覚めたヤコブが思ったことが、この物語のテーマだと私は思う。(201頁)

「鼻が痛い。私が鼻に注意深く手を当てると、絆創膏が手に触れた。自分が貧乏で成功からは取り残されたこの世界にまた戻ってきたのだと考えながら、自分が少なくともこの世界に存在することに対する、無上の幸せが私を包んだ。」

 

20154月)