ウォーキング・ツアー、その三

 

ジョン・レノンの壁。壁の持ち主の修道院は認めているという。

 

 僕たちのウォーキング・ツアーは、午後一時、「ジョン・レノンの壁」の前で終わった。カミルさんは、この壁の前で、最後の説明をした。

「ジョン・レノンが死んだとき、彼をしのぶ言葉を、誰かがこの壁に書きました。当時は、共産主義体制であり、ビートルズなど西側の音楽を聴くことは禁止されていました。警察はそれを消して、書くことを取り締まりました。しかし、多くの若者が、夜中にここに来て、壁に自由を求めるメッセージを書きました。僕の父も、その一人でした・・・」

つまり、この壁は当時、自由を求める若者の象徴だったのだ。今でも、色々なメッセージがギッシリと書き込まれている。

 僕たちはそこでカミルさんに「御心付け」を払って、解散した。彼に払う金は、決められていない。ツアーに参加した人たちの満足度によるのだ。僕は、日本円で四千円くらい彼に渡した。このエッセーを書くネタを、色々教えてもらえたし、「取材協力費」とでもいうところか。他の人がいくら渡したかは知らない。

 僕は、カレル橋に向かって歩きだした。同じ方向に、やはりツアーに参加した、二十代のカップルが歩いていた。僕は彼らがハンブルクから来たことを知っていた。

「あなた方、ハンブルクからなんでしょ。」

彼らは、僕がドイツ語を話すことに驚いたようだった。しばらく、話しながら歩く。驚いたことに、彼らはハンブルクから、鉄道でプラハまで来たという。男性が、ハンブルクから、ベルリン、ウィーン、プラハに至る行程について説明してくれた。僕がロンドンから来たと言うと、

「去年、ロンドンも行きましたよ。もちろん、全部鉄道で。」

ロンドンから、『海峡トンネル』を抜けてアムステルダムまで行く電車が走っているので、一日あれば来られるだろう。

「うらやましいな。鉄道の旅って独特で、僕も好きなんですよ。でも、時間がなくて。」

一度、ヨーロッパを列車でノンビリ旅してみたい。

 ドイツ人のカップルに別れを告げて、僕は道ばたにあったカフェに腰を下ろした。もう一時半。朝から三時間以上歩き回って、ちょっと疲れてきた。ウェイトレスのお姉さんに、ビールとフライドポテトを頼む。ビールは「ライト」だ。

「昼間のビールは美味いなあ。」

僕はフライドポテトをつまみに、ビールを飲んだ。あっと言う間に飲み終わる。

「すみません、もう一杯ください。今度は『ダーク』で。」

結局、昼から中ジョッキに二杯も飲んでしまった。その後、坂道を登って、王宮に向かう。午後は、王宮の中を観光する予定。

「ビールを飲んだ後の上り坂、きついわあ。」

 

王宮に向かうダラダラ坂。ビールを飲んだ後はきつい。

 

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