雪の京都

金沢最後の晩は、焼き肉レストランでした。食べてばっかりですね。

 

京都で降りると、道路に雪が残っていました。タクシーの運転手に聞くと、元旦に降った雪だとのことです。私は驚きました。金沢の雪に比べればはるかに少ないものなのですが、基本的に京都はほとんど雪が降らないし、降っても積もらないし、積もっても翌日まで残ることはないからです。英国やヨーロッパ大陸では、余り高い山がないので、少し離れた場所でも良く似た天気ということが普通ですが、日本では真ん中に高い山がそびえているため、山の向こう側とこちら側では全然違う天気ということがよくあるのです。金沢と京都は、二百キロくらいしか離れていないのに、冬の間は全く別の天気です。金沢の住人は雪に慣れているので、私が書いたように、道路の雪も皆が協力して短時間で片付けられます。車も冬用のタイヤを履いているので、結構深い雪でも走れます。でも、普段雪の降らない京都の街は、雪が積もるともう大変です。私が乗ったタクシーの運転手は

「危ないから数日間仕事を休みましたわ。」

と言っていました。雪が降るたびに仕事を休んでいれば、金沢の運転手は冬の間に餓死してしまうでしょうね。

京都に戻り、帰りの列車の中で小さな男の子と過ごしたと母に言うと、

「小さい子は、誰が自分と遊んでくれるか、本能的に即座に見抜く才能があるのよ。あんたには、子供が寄ってくる『オーラ』があるわ。」

と言われました。一月七日に、京都の隣にある滋賀県に住む姪の家を訪れました。姪には二歳になる娘がいます。母からは、

「あの子は結構人見知りが激しいから、慣れるまでに時間がかかるよ。」

と前もって「警告」されていました。でも、姪の娘は最初に会ったときから、私にペチョっという感じで寄って来て、その後すぐに普通に話せて、一緒に遊べました。これが「オーラ」なんでしょうか。

 私が京都に戻った翌日、妻も京都にやってきました。彼女は、仕事があるので、京都に一泊しただけで関空から飛行で英国に戻ります。大きな荷物があるので、私は妻を京都駅のプラットフォームまで迎えに行きました。義母が私たちと、英国の孫たちのために、山ほど食料品を買ってくれていました。それを大きなスーツケース四つに英国まで運ぼうというのです。第二次世界大戦中、食糧不足の日本では、都会に住む人々が、列車に乗って(あるいは列車につかまって)地方へ食料品の「買出しの旅」に出たそうです。私たちもそんな雰囲気です。

 京都駅のプラットフォームに妻の乗った列車が着きました。妻が大きな荷物を降ろすのを手伝っている女性がいます。

「親切な人やね。」

と私が言うと、

「あの方、F先生の奥さんよ。」

と妻が言います。つまり、私たちと一緒に雪すかしをしていた、お向かいの医院のドクターFの奥様だったのでした。同じ列車の同じ車両に乗り合わせたとのこと。偶然というものは、不思議なものですね。

 

寒い日の鍋焼きうどんは最高です。お腹が空いたし、早く食べたいですね。

 

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