イズミからの電話

夜明けの京都の街を発って再び関空に向かう。

 

夕食を取って、布団に横になるまでは何とか冷静でいられた。自分をコントロールできた。その後イズミから電話があった。

「なんでもう帰るの。なんでもうちょっといて、お父さんを看取ってあげへんの。」

と泣きながら彼女に責められた。それをきっかけに涙が出て、十分くらい電話の向こうとこちらでふたりで泣いていた。

 僕はふと、第二次世界大戦のとき、戦争に行く息子を送り出す両親の心を思った。前線に送られれば、高い確率で「死」が待っている。

「もうこれで二度と生きて会えないだろう。」

お互いにそう思って分かれるのは本当に辛かっただろうと思う。でも誰もが親の死に目に遭えるわけではないし、これも運命だから仕方がないと思うことにする。

その日は酒を飲んで、入眠剤を二錠飲んでもなかなか寝付けなかった。今日は夜になっても気温が下がらない。十二時を過ぎても三十度以上あるだろう。

  翌朝、迎えの関空行き乗り合いマイクロバスに乗る。生母に礼を言って別れる。マイクロバスが動き出す。しかし、車は鞍馬口通りを三百メートルほど行ってまた停まった。ちょうど、僕が飯を食っているのをトモコに「発見」された中華料理屋の前だ。そこで小柄な外人の男性を乗せてマイクロバスはまた出発した。その家の表札に片仮名で「ヴェレン/メルツ」という表札が掛かり、そこに「外人さん」が住んでいるのは知っていた。何せ僕は毎日四回そこの前を通っていたのだ。

「ふ〜ん、あんな人が住んでいたんだ。」

と思いながら、僕は眠ってしまった。

関空に着き、チェックインを済ます。今日の便は「中華航空公司」。北京経由でロンドンに戻る。恒例の「きつねうどん」を食べ、チェックインを済ませて、搭乗口に向かう。待合室に先ほど鞍馬口通りでマイクロバスに乗り込んできた小柄な西洋人の男性がいた。

「あんた、鞍馬口通りに住んでるでしょ。さっき、一緒の車だったんですよ。」

相手が何人か分からないので、一応英語で話しかける。彼はジャックという名のフランス人だった。奥さんがドイツ人だという。確かに「ヴェレン」も「メルツ」も英語圏の人の名前ではない。

「奥さんとはいつも何語で喋ってるの。」

と聞くとドイツ語だと言う。それからしばらく彼とドイツ語で話をする。

「これからフランスに戻るけど、十月ごろには戻るから、また遊びにおいでよ。」

とジャックは言った。

お盆休みが近いので、飛行機の中はこれから観光旅行に行く人々で満員だった。北京行きとは言いながら、北京で留まる人は少数で、殆どの人がトランジットでヨーロッパへ行くようだった。

 

日本滞在はいつもきつねうどんで締めくくられる。

 

<次へ> <戻る>