北京からロンドンへ

スモッグに霞む北京国際空港。天気が良いのか悪いのか分からない。

 

北京へ向かう飛行機の中、隣の席の若いお姉さんふたりも、これから「三泊五日」の日程でパリに行くという。ひとりが、パリで行くレストランや店をガイドブックで熱心に調べている。しかし「三泊五日」というのも随分強行軍だ。

「パリはスリや置き引きが多いから気をつけてくださいね。」

と言う。僕の義母は昨年パリのルーブル美術館で財布を掏られていた。

「大丈夫、大切なものはこの袋に入れてありますから。」

隣の女性が首から掛けてサマーセーターの下にある袋を見せた。若い女性にセーターの中の胸元を覗かせてもらうのも悪くない。

北京はスモッグに覆われていた。機長の案内では一応「いい天気」なのに青空が見えない。僕が中国の地に足を踏み入れるのは今回が初めて。息子のワタルは中国語が話せるし、中国にも何度も来たことがある。一昨年は、北京まできて、アイスランドの火山の爆発で、ヨーロッパ行きの飛行機が飛ばなくなり、北京で数日を過ごしていた。父も戦争中は中国に駐留していて、中国各地に行ったことがあるという。父は軍隊では「経理班」に属していて、前線で戦うことはなく、兄と弟が戦死した中、終戦の翌年に日本へ戻っている。

北京空港はトランジットだというのに、パスポートのチェックがあり、パスポートにスタンプが押された。全てが高圧的で余りいい気分はしない。

どうせ機内食は食べないので、食事を済ませておくことにする。カフェテリアに入り、ウーロン茶とミソラーメンを注文する。ウェイターも誰もが、先ず中国語で話しかけてくる。英語で答えるとそこから英語になる。ウーロン茶は湯飲みに葉がそのまま入っていて、飲むときに葉を避けて飲まねばならいというものだった。空港はモダンだがトイレが汚い。そこが何となく中国らしい。

北京からロンドン行きの飛行機に乗る。隣の席はオーストラリアのシドニーからアイルランドへ帰るお姉ちゃん。彼女も長旅である。

睡眠薬のおかげで六時間ほど眠った。それでもまだ残り五時間ある。その五時間が長い。夕方の六時前ロンドンのヒースロー空港に着く。涼しいのでほっとする。

妻のマユミが迎えにきてくれている。道中、マユミに今回の旅のことを説明しようとする。しかし、余りに色々ありすぎて、説明に困ってしまう。

「まあ、ボチボチ話すわ。」

と彼女には言っておく。

 翌日から会社に出勤した。同僚と話をし始めて、僕は何となくホッとした気分になった。

 京都を訪れてから三ヶ月が経った。この部分を書いている時点は十一月。八月末までは持たないだろうと思っていた父は、奇跡的に命を取りとめまだ存命だ。僕は三日後また京都へ向かうことになっている。父にはもう生きて一度会えることになった。

 

北京空港で食べた味噌ラーメン。赤だし風で結構いけた。

 

<了>

 

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