サンキュー、インチョン、サンキュー、ショパン

 

インチョン空港では、旅客のためにこんなアトラクションがある。

 

九月二十七日、 関空からの飛行機は、午前十一時半ごろにソウルのインチョン空港に着いた。ロンドン行の飛行機が出るのは午後二時四十分。三時間の待ち時間がある。お昼を食べても、まだあり余る時間。僕は二階の待合室コーナーに上がり、ピアノの練習をすることにした。

 最近、アムステルダムのスキポール空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港など、大きな空港の待合室には、旅客が自分で弾いて楽しむために、ピアノを置いているところが多い。インチョン空港の二階にも、「誰が弾いてもいい」グランドピアノがあるのだ。係のお姉さんに言って、ピアノの電源を入れてもらう。(電子ピアノなのである。)幸い周りには誰もいない。僕は弾き始めた。(何枚かの楽譜は何時もしっかりと手荷物の中に入れてあるのだ。)

 ショパンのマズルカを弾いていると、ムム、背後の至近距離に人の気配。振り向くと、中年の男性がカムコーダーで僕の弾いている姿をビデオに撮っている。首からIDカードを下げているので、空港の関係者らしい。誰かに見られていると思ったとたんに緊張し、いっぱい間違える。

 「マズルカ」を弾き終わったとき、その男性が拍手をしながら英語で言った。

「なかなか気に入りました。あなたをランチにご招待させていただきたいのですが。」

「すみません、どちら様でしょうか。」

「ここのプレジデントです。」

彼は空港長だった。彼は、僕をバイキング形式の食堂に案内した。入り口で、ウェートレスに二言三言韓国語で言葉を交わしている。

「こやつに何でも食わしてやってくれ。」

と言うことだろう。

「私はこれで失礼しますが、ごゆっくりおくつろぎください。」

プレジデントはそう言って去って行った。ラッキ〜、僕はそれからゆっくりと昼食を取り、ビールを三杯お代わりした。只酒、只飯って、本当に美味しいもの。今回の日本行で、これが一番記憶に残った出来事。レストランを出ると、韓国の民族衣装を着けた人々が旅客たちと写真撮影に応じていた。最近、日韓関係の悪化が言われているが、少なくとも、ここは僕にとって好印象の場所。

「サンキュー、インチョン。サンキュー、ショパン。」

僕は一杯機嫌でロンドン行のアシアナ航空機に乗った。

 僕が日本を訪れる前週、台風が日本を襲った。そのとき末娘のスミレが日本にいた。台風が来たとき、彼女は九州の天草下島にいた。長崎までのフェリーが欠航。翌々日に帰りの飛行機に乗るためにどうしても京都まで辿り着かねばならなかった彼女を、友人夫婦が二時間かけて、車で熊本まで送ってくれたという。天草は熊本側に「天草五橋」が架かっていて、船に乗らなくても九州本土に渡ることができるのだ。娘は熊本から新幹線に乗り、彼女は無事日本を発つことができた。九月十八日、日本へ向かっていた僕は、娘とシベリアの上空ですれ違っているはずなんだけど。でも、全然気が付かなかったなあ。

 

インチョン空港の「誰が弾いてもいい」グランドピアノ。

 

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