「催眠術師」

原題:Hyponotisören

ドイツ語題:Hyponotiseur

2009年)

 

 

ラース・ケプラー

Lars Kepler

 

 

<はじめに>

 

作家「ラース・ケプラー」の第一作である。最初ペンネームのみが公表されたので、衝撃的な内容の作品を書いたのは誰か、憶測が飛んだ。純文学作家の夫婦、アレクサンドラ・アーンドリルとアレキサンダー・アーンドリルの共作であることが後に明らかになった。

 

<ストーリー>

 

ストックホルムに住む精神科医、エリック・マリア・バークは、真夜中に電話で起こされる。電話の主は、ヨーナ・リナという刑事であった。ヨーナは、緊急事態が起こったので、カロリンスカ病院に直ぐに来てくれるようにという。エリックは妻のシモーネに、警察から呼ばれて病院へ行く旨を告げ、自分の働くカロリンスカ病院に向かう。病院では、同僚の女医、ダニエラ・リヒャルトが待っていた。コーヒーの自動販売機の前に、黒い皮ジャンパーを着た、四十半ばの金髪の男がいた。エリックはその男が、シモーネの夫であると誤解した。それが刑事のヨーナであった。ヨーナは自分の携帯電話を車の中に忘れてきて、ダニエラの携帯を借りて電話をしていた。

ダニエラの電話が鳴る。

「やめてよ、エリック。」

それは、金髪の男を彼女の夫ではないかと尋ねたエリックに対するコメントであった。ダニエラは自分の名を名乗る。相手は何も言わない。ダニエラは、

「アロハ」

と言って電話を切る。

病院に収容されたのは、全身に傷を負い、意識不明になった少年であった。ヨーナはエリックがかつて催眠療法の権威であったことを知っていた。ヨーナは犯人の発見のために、その少年に催眠術をかけ、少年と彼の家族と襲った犯人に関する証言を引き出したいと考えていた。

事件の発見者である警官が呼ばれる。警官はヨーナとエリックに事情を説明する。公園のトイレに誰かが倒れていると通報を受けたその警官が現場へ駆けつける。そこには、男がナイフで刺されて死んでいた。所持品からその男は、アンデルス・エクであることが判明。警官は、その男の家に向かう。その家の中には、彼の妻、息子と娘がやはり刃物で刺されて倒れていた。母親と娘は既に息絶えていたが、十五歳の息子、ヨゼフ・エクだけは病院に運ばれ、命を取り止めたということであった。家族にはもうひとり、成人したエヴェリンという娘がいた。その娘に危害が及ぶ前に、犯人像を明らかにしたいというのが、ヨーナの考えだった。ヨーナは犯人を目撃した可能性の強い少年に催眠術をかけ、犯人を聞き出すことをエリックに依頼する。エリックは、自分はもう二度と催眠術は使わないと誓ったと述べ、ヨーナの頼みを断り、病院を後にする、

ヨーナは、犯人がまず公園で父親を襲い、その後家に駆けつけて母親と子供たちを襲ったと考える。父親はその日、サッカーの審判をするために、公園に来ていた。ヨーナは病院の中にある遺体の安置場を訪れ、検死を担当する医師に合う。医師は父親が他の家族よりも二時間ほど前に殺されていること、娘は身体がふたつに離れるほど、深く傷つけられていること、母親には身体全体に刺し傷がある他に、腹に帝王切開の跡を辿るように、子宮に達する深い傷があることを告げる。また、母親は最初俯せになって死亡し、その二時間後に仰向けにされ、腹を切られたことが死斑により分かった。犯人は二時間近く現場にいたことになる。ヨーナはいよいよ、残された娘のエヴェリンを保護し、犯人の手から衛必要性を感じる。

エリックは未明に家に戻る。シモーネは、

「ダニエラって誰?」

とエリックに尋ねる。エリックは単なる同僚であると答える。

「あなたは、十年前の過ちをまた繰り返そうとしているのね。」

と言って、シモーネは寝室を出て行く。疲れ果てているエリックは、睡眠薬を飲んで眠る。

二時間後、エリックはダニエラから電話で起こされる。ダニエラは、緊急事態が発生したので、直ぐに病院へ来いという。妻のシモーネは、職場である画廊に既に出かけていた。エリックは息子のベンヤミンを起こし、息子に注射をする。ベンヤミンは、遺伝性の血液の病気、フォン・ヴィレブラント病で、一週間に一度注射をする必要があった。エリックは息子を車で学校まで送る。学校でエリックは息子の三歳年上のガールフレンド、アイダを見かける。彼女は首にハーケンクロイツとダビデの星の両方の刺青をしていた。

  シモーネは前夜、電話が鳴り、エリックが警察に呼ばれたと言って出て行った後、しばらく考え込む。彼女は最後の着信電話の番号をダイヤルする。

「やめてよエリック。こちらダニエラ。」

という女性の声。シモーネが何も言わないと、

「アロハ」

という言葉と共に電話は切れた。シモーネは十年前の事件を思い出す。エリックの元に届いた「マヤ」とだけ書いた封筒を開けてみると、そこにはベッドで戯れる若い女性とエリックの写真が入っていた。そのときは、エリックが二度と浮気はしないと約束し、シモーネはエリックを許していた。早朝帰宅したエリックに対して、シモーネは、ダニエラとは誰かと尋ねる。しかし、睡眠薬を飲んだエリックは、ロクに返事もせずに眠ってしまう。ダニエラは翌朝自分の経営する画廊に出かける。そこには、次回シモーネの画廊で個展を開く画家のシム・シュールマンが居た。ダニエラはシュールマンに男性としての魅力を感じ始める。

エリックが病院に着くと、ヨーナが待っていた。ヨーナは家族の中でひとり残された長女のエヴェリンに、犯人の手が及ぶ前に、何としても犯人像を明らかにしなければいけない。そのためには、犯人を目撃しているヨゼフに催眠術をかけて証言を引き出す必要があり、そのための裁判所の許可も取っていると述べる。ダニエラによると、ヨゼフは意識を回復しつつあり、彼から証言を引き出すべきか否かは、担当医の自分に一任されているという。拒否をしていたエリックだが、最後は事態の重大さと緊急度を考え、自分に対する禁を破って、エリックに催眠術を施すことにする。エリックがヨゼフを催眠術にかけて引き出した証言は驚くべきものであった。ヨゼフは自分が、父親、母親、妹を順に殺していった様子を語った。エヴェリンに関しては、

「自分のことを噛み犬だと言った。」

と語る。そして、「ソニア伯母の夏の別荘にある写真」についても話す。催眠術は、エリックの状態が不安定になり終わらされる。ヨーナは別荘の場所を調べ、エリックにそこへ一緒に行ってみようという。

エリックとヨーナは、ヨゼフの伯母が所有する夏の別荘へ行く。そこで、エリックは猟銃を持ったエヴェリンに会う。エヴェリンは、大学の勉強に集中するために、伯母の許可を得てその家に住んでいると言う。ヨゼフが現れたかという質問に対して、エヴェリンは、ヨゼフは子供の頃に来たきりで、それ以来その場所に来ていないという。しかし、エリックはそれを嘘だと見抜く。催眠術にかけられたヨゼフは、別荘の本棚に立っている最近写された写真を、正確に描写していた。と言うことは、彼は最近ここに現れたことになる。エリックの言葉で、エヴェリンは嘘をついたことを認める。ヨーナは彼女に警察への同行を求める。

エリックが家に戻ると電話が鳴る。彼は受話器を取るが、相手は何も話さない。その後、ダニエラが電話をかけてくる。彼女は、意識を取り戻したヨゼフが、看護婦を懐柔して、エリックに電話を架けたのだという。

ヨーナはエヴェリンから話を聞く。最初証言を拒否していたエヴェリンだが、最後には語り始める。ヨゼフが産まれたとき、難産が原因で、母親が入院し、一年間姉のエヴェリンがヨゼフの面倒を見た。母が一年後に退院し、妹が産まれても、ヨゼフは母親になつかず、姉になついていた。ヨゼフが成長するに従い、彼はエヴェリンに性的な興味を持つようになる。彼はエヴェリンの裸を見たがり、身体に触るようになった。十三、四歳になって、ヨゼフはエヴェリンに性的関係を迫る。エヴェリンが拒否すると、応じなければ妹を殺すとヨゼフは脅した。

「十五歳未満の子供とセックスをすることは、法律で禁じられている。私は法律を破りたくない。」

そう言って、エヴェリンはヨゼフの要求から逃れる。そして、彼から隠れるために、伯母の夏の家に住むようになる。しかし、数か月前、ヨゼフの十五歳の誕生日に、ヨゼフがケーキを持って彼女を訪れたという。エヴェリンは、ヨゼフは狂っていると言った。そして、ヨゼフを非常に恐れていた。

エリックの携帯が鳴る。それは新聞記者からであった。彼はコンビニの店頭に並ぶ新聞の見出しを見る。

「催眠術をかけられた被害者の少年が犯人像を明かす」

彼が少年に催眠術をかけたことがマスコミに漏れたのだった。シモーネは、エリックが約束を破って再び他人に催眠術をかけたことをなじる。息子が部屋に現れ、エリックとシモーネに、ふたりとも大嘘つきで、自分に隠し事をしているとなじる。

意識を取り戻したヨゼフをヨーナが訪れる。ヨーナは、何故エヴェリンを誕生日に訪れたのかと尋ねるが、ヨゼフは答えず、自分に催眠術をかけた男を殺してやると言う。エリックはヨーナに電話をかけ、エヴェリンを見つけたときに、彼女がおそらく自殺をしようとしていたことを告げる。ヨーナは再び病院にヨゼフを訪れ、彼が退院次第、殺人容疑で逮捕されることを告げる。ヨゼフはその夜、自分につながっている管を引き抜き、病院からの脱走を試みる。彼は、自分を見つけた女性看護師をメスで殺し、病院を去る。エリックはヨーナからの電話で、ヨゼフの逃亡について知る。ヨーナはエリックに、警察に身辺の保護を依頼するように言うが、エリックはそれを拒否する。

エリックとは別の部屋で眠っていたシモーネは、自分の腕が虫に刺されたような感覚で目を覚ます。彼女は廊下に人の気配を感じる。彼女は自分の身体がまともに歩けないほど重いことを感じる。彼女がベンヤミンの部屋を開けると、何者かがベンヤミンに覆いがぶさっていた。彼女はそちらへ行こうとするが足が動かない。その人物は、ベンヤミンを玄関から外へ引きずって行く。それを見ながら、シモーネの意識は途絶える。

シモーネが気付くと、そこは病院で、隣にエリックがいた。シモーネはベンヤミンが誰かに誘拐されたことを告げる。血液検査の結果、シモーネの腕には大量の麻酔薬が注射されていた。翌日、退院したシモーネは、定年退職した元刑事の父親ケネトに連絡し、ベンヤミンを捜すことを依頼する。ケネトも娘の頼みを聞き、シモーネの家にやって来る。ケネトは病院を抜け出したヨゼフが、ベンヤミンを誘拐したものと考える。ケネトはベンヤミンのコンピューターを調べ始める。そこで、ケネトはガールフレンドのアイダ宛てのメールを見つける。そのメールには墓地の写真が添付されていた。ケネトはアイダを訪ねる。最初、黙っていたアイダだが、ベンヤミンには「実の母」がおり、その「実の母」と名乗る女性が最近ベンヤミンに会っていたこと。またベンヤミン自身も、自分は現在の父母の実子ではないと信じていたと話す。

病院で夜勤を終えたエリックにヨーナが電話を架けてくる。エリックは、これまでも数回、誰かが家に侵入した気配があるとシモーネが言っていたことを思い出し、ヨーナに話す。ヨーナは、姉のエヴェリンをヨゼフから守るために、秘密の宿泊施設に移したことを告げる。

翌日、エリックがピザ屋で食事をしていると、携帯が鳴る。エリックが取ると、ベンヤミンの声が聞こえる。どこにいるのかというエリックの問いに、ベンヤミンは「魔法をかけられた城」と言う。その後、電話は切れ、つながらない。エリックにはその「魔法をかけられた城」という言葉に聞き覚えがあった。

シモーネは、画廊に出る。アシスタントのイルヴァは不在で、画家のシム・シュールマンだけがいた。シュールマンはシモーネに関係を迫る。シモーネはそれを受け入れる。

エリックは、今回の事件が、十年前に自分の周囲で起こった出来事に起因することを確信し始める。

 

十年前、エリックはカロリンスカ病院で、グループ催眠療法をやっていた。数人の精神科の患者を集め、彼らに催眠術をかける。その中で、患者たちの隠れた意識、記憶を引き出し、病気の根源を見つけるというものであった。催眠状態に陥った患者たちが訪れる場所、それをエリックは「魔法をかけられた城」と呼んでいた。何度も自殺を試み、自分の目と耳を猟銃で撃ち抜いた女性、コソボの大虐殺のトラウマに悩む元ユーゴスラビアの兵士などがそのセッションに参加していた。

ある日、エファ・ブラウという若い女性がセッションに参加したいと言ってくる。エリックは、彼女に催眠術をかけるが、本当は催眠状態になっていないのではと疑問を持ち始める。エファはエリックに対してストーカーのような態度を示し始める。あるとき、エファはエリックの家の窓ガラスを破って侵入する。

セッションの前に、マヤ・スヴァートリングという若い女医がエリックに声を掛ける。彼女はエリックを以前から尊敬し、彼の治療法に興味を持っていたという。エリックはマヤにセッションへの参加を許す。セッションの後、マヤはエリックを夕食に誘う。ふたりは酒を飲み、マヤはエリックを自分のアパートに連れて行く。そこで、マヤは自分の写真をエリックに撮影させて、自分もエリックの写真を撮影する。マヤは最後にセックスを迫るが、エリックは妻のことを考え思いとどまる。

シャルロッテという女性患者を催眠術にかけたところ、彼女がカスパーという名前の男の子を檻の中に閉じ込め、虐待している様子を語る。エリックは、福祉事務所に連絡をし、係官と一緒にシャルロッテの家に入る。ふたりの訪問に驚いたシャルロッテは包丁で自らを切り付け、自殺を図る。翌日、新聞にシャルロッテのインタビュー記事が載る。

「私は催眠療法のモルモットにされ、その結果自殺を迫られた。」

という見出しで、エリックの誤った催眠療法の犠牲になり、自殺を図ったと彼女は述べていた。また、調査の結果、シャルロッテには子供がいないことが分かった。エリックの催眠治療は即刻禁止され、彼は停職処分を受ける。エリックは自分にも、周囲にも、二度と催眠術は使わないと誓う・・・

 

 

<感想など>

 

「キレがあるのにコクがある」、昔のビールの宣伝文句ではないが、そんな作品であった。とにかく文章に「キレ」がある。短い文で、分かりやすく、テンポ良く読める。持って回った表現、複雑な設定もなく、頭にストーリーがすっきりと入って来る。しかし、書かれている内容の濃さは相当なものである。よく練られたストーリーで、登場人物の個性もよく描かれている。それで「キレがあるのにコクがある」と評したかったわけである。

そんなショッキングな作品が世に出て、ベストセラーになったとき、匿名で書かれていたために、その作家の正体は誰であるのか、皆が注目したのは言うまでもない。色々な説が飛び交った後、発表されてから数か月経ったとき、純文学作家の夫婦の共作であることが分かった。ふたりは、ジャンルの違う作品を別人として出版したかったという。ストーリーの構成、文体を見ると、なるほどという感じがする。

何故エリックは催眠術による治療を止めたのか、これが最初の興味となる。その理由は後半まで書かれていない。催眠術を使用し、少年から証言を得ようとする刑事のヨーナに対して、それを頑なに拒否するエリック、それに反対する妻のシモーネ、何か大きな事件が過去にあったことは予想できるが、謎のまま話は進む。そして、突然話が十年真に戻る。そこでエリックは集団催眠治療をやっている。その一連のエピソードで、エリックが催眠術を封印した理由が分かる。

ちなみに、催眠術は、医学的に使用すると大きな効果を生むらしい。例えば、催眠術をかけた患者に麻酔なしで外科手術を施すことも可能であるとか。しかし、催眠術の有効性を疑う意見もあるらしく、日本では、催眠術は、公には治療に使われていないとのことである。

エリックは、

「催眠術をかけられた人間は、偽りを言わず、事実を話す。」

と述べる。

「しかし、それはあくまで、その人間の目を通して見た事実であり、それが真実であるかどうかは別問題である。」

とも話す。この物語は、殺人犯である少年が、催眠術をかけられる。そして自分が殺人を犯したことを話す。催眠術が解けた後は、その証言は覚えていない。しかし、自分が催眠術をかけられたことを知り、その催眠術師に対する復讐に転じるのである。

 この物語に登場する十五歳の少年は、「モンスター」としか言いようがない。両親、妹を、残虐な方法で殺害するのだが、十二、三歳で成人した姉に肉体関係を迫る。

「受け入れなければ妹を殺す。」

と脅迫しながら。この少年の設定にはかなり無理があるような気がするが、一応、「難産で出産時に脳への酸素の供給が十分でなく、脳に異常をきたしてしまった」という説明がつけられている。

 推理小説の典型として、「一見別々に見える複数の事件が、実際は関連があった」というパターンがある。この小説はその逆を行き、「一見関連のあるように思える複数の事件が、実は別々であった」という展開になっている。アクション映画の「お決まり」のように、最後にはアクションシーンが展開される。これを入れる必要があったのかどうか、少し考えてしまった。

 この作家のシリーズ第一作だが、作品を一通り読んでみたいという気にさせる、なかなか読み応えのある一冊であった。

 

20178月)

 

ラース・ケプラページ