「日曜日の男」

ドイツ語題:Sonntagsmann

原題:Söndagmannen

2004

 

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<はじめに>

 

 またまたスウェーデンの作家の警察官が主人公の推理小説。今回は女性である。正直言って、面白かった。最後はどんでん返しなのだが、騙されたと思わせないすっきりした読後感。そして少しオカルトの香りを残す結末が、現実主義的に走りがちな推理小説に色香と余韻を添えている。

 

<ストーリー>

 

 三つのシーンから小説は始まる。山が迫っている海に船を出す男。ベトナムを一人で旅をしている若い女性。そしてオスロで暮らす黒人の女性は差出人のない手紙を受け取る。

 エリナ・ヴィークはスウェーデンのストックホルム近郊、ヴェステロス市警察の殺人課刑事である。彼女のかつての上司、今は引退したケルンルンドが心臓発作を起こし入院する。エリナはケルンルンドを見舞う。

 見舞いの途中、ふたりのよもやま話の中で、ケルンルンドは、一九八〇年に若い女性が殺されているのが発見されたが犯人は見つからず、未解決のまま間もなく二十五年の時効を迎えようとしている事件があることをエリナに話す。

 

 その殺人事件の捜査は既に打ち切られている。事件に興味を持ったエリナは、捜査書類一式を手元に取り寄せる。イルヴァ・マルムベルグという当時二十五歳の女性の絞殺死体が、ノルウェーの国境に近い場所で発見された。殺されてから既に半年近くが経っていた。彼女を最後に目撃した人物の証言より、殺された日は一九七九年十月一日と推定された。殺された女性は、殺される一ヶ月前に女児を産んでいるが、その子供は発見されていない。

 エリナはイルヴァという女性の生い立ちを読む。彼女は両親の離婚後家を出て、しばらく「コミューン」で集団生活をした後、インドを旅行。一九七九年に女の子を出産、カロリーネと名付けていた。イルヴァはその子の父親を明らかにしていない。彼女は女児を出産後、それまで住んでいたヴェステロスの町を離れ、ノルウェー国境の昔祖母が住んでいた人里離れた家に引きこもっていた。発見された彼女の体内からは直前に性交した後があり、精子が発見されていた。

 エリナは当時の捜査に全く「女性の目」が欠けていたと感じ、「女性の目」を持ってすれば捜査の進展がありうると確信する。そして、「不明」となっているイルヴァの赤ん坊の父親を捜すことが、イルヴァの過去に光を当てることになり、捜査を前へ進める大きな一歩であるだけではなく、その「父親」が「犯人」の可能性も高いと考える。

 エリナが捜査を再開する上で問題になる点、それは「残された時間」と「上司」であった。時効となる二十五年目まだ、あと四週間しかない。また、ケルンルンドの定年退職後エリナの直接の上司となったエゴン・ユンソンは、彼女が日常業務を放って、二十五年前の事件を取り上げることに反対する。

 エリナは殺されたイルヴァの兄から再捜査請求を出させることにより、ストックホルムの警視庁の上層部に直接圧力をかけ、何とか捜査の再開を認めさせる。しかし、ユンソンは彼女を配置転換で殺人課から離そうとする。結局、時効が成立するまで何とか四週間だけという条件で、エリナは捜査をオフィシャルに開始できるようになるのである。

 

 スウェーデン人の女性、カリ・ソルバッケンは、独りでベトナムを旅していた。旅先のレストランで会った米国人の男性と一緒に彼女はマリファナを吸い、その後強姦同様のセックスをする。彼女は男性が眠っている隙に、そのマリファナを持ち帰る。彼女はスウェーデンのストックホルムの空港に着く。麻薬捜査犬が彼女に反応を示し、彼女は税関職員に呼び止められる。しかし、彼女は直前に持っていたマリファナをトイレに流していて、事なきを得る。

 ストックホルムの自分のアパートに戻ったカリは、上の階に住む失業中の青年ロベルトと出会う。ロベルトは彼女に好意を持つ。彼女は、自分は幼い頃に養子に出され、自分の本当の両親が誰であるか分からないと告げる。

 カリは警察からの召喚状を受け取る。空港のトイレに流したマリファナが発見されたのである。同じくロベルトも、建物に落書きをした件で、警察からの呼び出しを受ける。ロベルトは、警察から逃げる口実として、カリに彼女の実の両親探しを提案。ふたりはロベルトの車でストックホルムを離れ、カリの育ての親の住んでいたノルウェーの村に向かう。

 

 エリナはかつてイルヴァ・マムベルグの住んでいたヴェステロスのアパートを訪れる。イルヴァがかつて住んでいた部屋には、やはりイルヴァと名乗る若い女性が住んでいた。隣の部屋には、二十五年前から同じ人物が住んでいた。その隣人は、イルヴァの男出入りが結構激しかったこと。またその中でも必ず日曜日の午後に現れた年長の男性が印象に残っていると述べる。

 彼女はイルヴァの残した手帳を見る。その中には数々の人物がイニシャルで語られていた。イルヴァがヴェステロスの去る前の夏、「N」というイニシャルが日曜日に書かれていた。エリナはこの「日曜日の男、N」に興味を持つ。

 エリナは同時に、イルヴァと関わった人物を訪ねていく。イルヴァの昔の恋人は、彼女と一緒にマリファナをやったことを認める。イルヴァの兄は、彼女が十五歳のときに、ある男性を追って「コミューン」(生活共同体)に入ったこと。そこでその男性に奴隷のように扱われていたこと。十八歳にそこから抜け出て、インドを旅行し、その後海外援助の勉強をするために学校に入ったこと。その後、妊娠して退学したが、妊娠の事実を、兄の自分にも、母親にも告げてはいなかったことをエリナに証言する。

 エリナはここで新しい作戦を立てる。かつて一度女性、それも女子学生と問題を起こしたような人物は、その後二十五年間でまた同じような問題を起こす可能性が高い。つまりイルヴァの殺人事件あった二十五年前に捜査線上に浮かび上がった人物の現在までの行動を洗い、そこから真犯人を見つけようという作戦である。大抵の場合、警察は容疑者の過去の犯罪歴を洗うのであるが、エリナは、「未来の犯罪歴」を洗おうというのだ。

 その作業の中で、ウルフ・ニュマンという元高校教師が浮かび上がる。彼は一度、女子高生から「ストーキング」「脅迫」で訴えられ、罰金刑に処せられていた。彼は教師になる前、数々の海外援助組織に属し、アジアやアフリカの国で働いていた。国のコンピューターに登録されている彼の経歴と、彼自身の履歴書を比べると、差異がある。ある部分が抜け落ちている。エリナはそこに不審を感じる。

 エリナはかつてニュマンが勤めていた、ノルウェーの援助学校の責任者に連絡を取る。そして、ニュマンが女性徒を妊娠させ、解雇されたという事実を知る。エリナはその相手の女子生徒とぜひ会いたいと告げる。かつての責任者より連絡が来る。

 数日後、エリナは車でオスロへ向かう。ニュマンが問題を起こした相手、グレース・マコンデレに会うためだ。黒人のグレースは、エリナにティーンエージの娘を見せる。その娘がニュマンとグレースの間に出来た子供であった。ニュマンは中絶を迫ったが、グレースはそれを拒否、子供を産んで育ててきたのである。

 ニュマンは養育費として、毎月金を封筒に入れて送ってきていた。エリナはイルヴァが最後に住んでいた場所で、同じような封筒が発見されていたことを思い出す。エリナは両方の封筒を手に入れ、筆跡鑑定と指紋鑑定を依頼する。果たして、それは同一人物のものであった。当時郵便は、イルヴァの元の住所から、新しい住所に転送されていた。イルヴァが殺されたと思われる一九七九年十月以降、金が送られた形跡が無い。死体が発見されたのは翌年五月。つまり金を送っていた人物は、前年にイルヴァがこの世にいないことを知っていたのである。

 エリナは、ニュマンに任意出頭を求める。ニュマンは自分が「日曜日の男」であり、イルヴァと肉体関係があったことも認める。しかし、殺人は否定する。イルヴァ宛の金は、あるときからノルウェーの私書箱に送るようになったと彼は証言する。

 

 カリとロバートはフェリーでフィヨルドを渡り、カリの育ての親がかつて住んでいた家に着く。そこには現在ヨハネスという男が住んでいた。

カリは地元の警察を尋ね、自分が発見された夜の状況を知る。彼女の養父母は、村でも慈善家として有名な夫婦であった。そしてふたりの間に子供はなかった。一九七九年の秋、夜中に夫が物音で目を覚ますと、玄関先に生まれて数ヶ月の女の子が捨てられていたという。

夫婦は彼女を保護し、その後養子縁組を申請し、認められている。それが現在のカリなのである。夫は早くに死亡。スウェーデン人であった妻はその後カリを連れて祖国に戻り、そこで亡くなっていた。

ロバートは捨て子の発見から養子縁組までのあまりに「スムーズな処理」に、養父母は女の子を捨てた人物とは知り合いであり、夫は前もって女の子が戸口に捨てられることを知っていたのではないかとの疑惑を持つ。

カリは当時の事情をより詳しく知るために、養父母が里親として世話をしていた三人の男に、会いたいという。その三人の身元を、役所は明かそうとしないが、ロベルトが深夜役所に侵入し、カリは知ることができる。

 

一方、エリナは、ニュマンの言う、ノルウェーの私書箱を借りていた男をつきとめる。それはカリの探し出した三人の男のうちの一人であった・・・

 

<感想など>

 

アガサ・クリスティーに「象は忘れない」という小説がある。エルキュール・ポアロが何十年も前の事件を、解決してしまう。それに似ていないこともない。エリナ・ヴィークは二十五年前の事件を別の角度から光を当てることにより、解決しようとする。

では、二十五年前、大捜査班をもってしても解決できなかった事件を、何故エリナが解決できたのか。それは皮肉なことに二十五年という歳月であった。犯人は当時は相当に警戒をしており、ちょっとやそっとでは尻尾を掴ませない。しかし、二十五年の間には、気も緩み、また同じような過ちを犯してしまう。エリナが利用したのは、まさに歳月による気の緩みであったのだ。

物語ではカリとエリナというふたりの女性が、全く別の方向から、全く別の方法で、真実に迫ろうとする。そして、そのふたりの間には接点が全くない。最後にどのようにそのふたつの糸が交差するのか、これが読んでいる人間にとっての最大の興味であろう。

最初に語られた断片的なシーンの持つ意味が最後に明らかになる。「なるほど」と思わせる。

スウェーデンの推理小説であるが、マンケルのヴァランダーシリーズのように、主人公の刑事の私生活が長々と描かれることがない。そういう意味では、先にも書いたが、アガサ・クリスティーの言わば伝統的な「本格推理」の流れを汲む小説のような気がする。ユンソンという、エリナの足を引っ張る「いびり役」の上司が登場するところなど、別の意味で、「正しい警察小説」の伝統を踏んでいるとも言える。

日本へ一時帰国する際にこの本を携え、道中でずっと読んでいたのであるが、乗り物の中、時差ボケで眠れぬ夜など、結構時の経つのを忘れて楽しめた。

 

20103月)

 

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