水はどこから

 

砂漠の中の真っ直ぐな一本道をペトラに向かってひた走る。

 

三月二十二日、火曜日、ペトラまでいく日だ。ペトラはヨルダンのどの観光案内書でも最大のパージが割かれており、ヨルダン随一の観光地と言えるだろう。G君にも仕事を休んでもらい、同行してもらうことになっている。

アンマンからペトラまでは約二百キロあり、車で二時間半近くかかる。今日はハイヤーに七時に迎えにきてもらうことになっていた。G君は昨夜皆が帰った後で風呂に入っていたとのこと、少し眠そうだ。

七時、結構立派な車が迎えに来る。貫禄のある運転手はワリードさんという名前。背広とネクタイ姿の彼は、これまで会ったヨルダン人の中で一番英語が上手い。さすがに頻繁に観光客の相手をしているだけのことはある。車の中もピカピカだ。

車はアンマンを離れて、ひたすら真っ直ぐなハイウェーを南へ向かう。アンマンの周辺ではまだ緑があったが、三十分も走ると両側は荒涼としてくる。

「『デザート』に入った。」

とワリードさん。英語の「デザート」は通常「砂漠」と訳されるが、厳密に言うと、ヨルダンの「砂漠」はサハラ砂漠のような砂ではない。石がゴロゴロと転がっている荒野だ。つまり「土漠」、「石漠」ということになる。

一時間ほど走ると、ハイウェーに沿って鉄道の線路が現れる。二十世紀の初め、オスマントルコが、ダマスカスとメッカを結ぶために作った「ヒジャーズ鉄道」だと、ワリードさんの説明がある。「アラビアのロレンス」の映画で、列車を爆破するシーンがあるが、彼が爆破したのは、まさにこの鉄道なのだ。G君によると、不定期に観光客を乗せた列車が、蒸気機関車に引かれて走っているそうだ。一応線路はつながってはいるが、メンテナンスが行き届いているとは言い難い。こんな線路を走って大丈夫なのだろうか。

ハイウェーに沿って、直径一メートル、長さ十メートルほどの管が延々と並んで置かれている。そして、それを埋めるための穴が掘られている。

「あれは水を通すためのものなの?」

とG君がワリードさんに聞いている。

「ワディ・ラムの辺りは昔海だったので地下水が豊富にあるんです。そこで水を汲み上げてアンマンに送るための管なんですよ。」

との答え。僕はアンマン市内で使われる水が、いったい何処から来るのか、不思議に思っていた。しかし、まさか砂漠の真ん中の「ワディ・ラム」で汲み上げられているとは思わなかった。

水の話から、「ラマダン」、つまり「断食月」の話になる。ラマダンは毎年二週間ずつずれていくが、昨年はほぼ八月の一ヶ月間、今年は七月中旬からの一ヶ月間。暑いし、日も長いし、日中は、食事はおろか水さえ飲めないのは本当に辛いと思う。しかし、そんな中、ワリードさんは普通に働いていたという。本当に信仰の力というのは大したものである。

 

砂漠の様々な色の砂を使ってビンの中に書いた砂絵。頼めば砂で名前を入れてくれる。