財布を落とした

 

ダウンタウンの食物市場、八百屋。

 

三月二十日、日曜日。夜明け前、半分眠って半分起きている、そんな状態の僕の耳に、近くのモスクから流れる「アザーン」が聞こえてくる。僕は最初これを「コーラン」だと思っていた。しかし、実はこれは「祈りへの呼びかけ」、「アザーン」と呼ばれるものだと知った。マレーシアでも聞いたが、これを聞くたびに、イスラムの国へ来たという実感が湧く。

アラブの国では日曜日は休日でない。G君は、七時半ごろ、ネクタイを締めジャケットを着て、仕事に出かけて行った。彼とは長い付き合いだが、ネクタイとジャケットという姿の彼を初めて見た。

昨日の夜から、ヤマザキ・マリという人の描いた「テルマエ・ロマエ」という漫画をG君に借りて読んでいる。日本の銭湯にタイムスリップするローマの浴場設計技師ルシウスの物語。ローマ時代の浴場は、日本の銭湯と同じく、単に身体を洗う場所ではなく、ひとつの文化であったのだ。一昨日のトルコ風呂でも思ったのだが、ここでは、風呂がひとつの「憩いの場」兼「社交場」として位置づけられている。そんな民族は、日本人の他にもいたのだ。

米国人は便所のことを「バスルーム」と呼び、事実、浴槽と便器が同じ部屋にあることが多い。何という悲しい事実だろう。

「風呂とトイレを一緒にせんといて。」

と僕は言いたい。

明日の夕食会に備えて、料理の下ごしらえを始める。近くの八百屋で、必要な野菜を買い足し、野菜を切り、煮崩れないように面取りをする。

十時半ごろ、料理も一段落着いたので、ワヒダットという場所にあるパレスティナ難民キャンプを見に行くことにする。アパートの前からタクシーに乗る。タクシーはダウンタウンをかすめ、その後坂を上がって、難民キャンプの入り口に着いた。金を払ってタクシーを降りる。

タクシーを降りて数秒後、僕はズボンの左ポケットにいつものように財布がないのに気付いた。タクシーの中で金を払った後、財布をポケットに入れたつもりだったが、押し込み方が足らなかったらしい。つまり、財布をタクシーの助手席のシートの上に残してきたようだ。

一瞬タクシーを追うことを考えるが、信号が変わり、タクシーは既に走り去っていた。財布には有り金全部、クレジットカード、会社のセキュリティーパスなどが入っている。一瞬目の前が暗くなるが、できるだけ冷静になるよう努める。

「どうしようか。」

とりあえず、困ったときのG君頼み、携帯から彼の携帯に電話する。

「緊急事態発生。金とクレジットカードの入った財布を失くした。」

 

同じく肉屋。皆ヒツジの肉だ。

 

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