心休まるアザーン

 

鳥の肉を売る店。新鮮なことは請け合い。まだ生きている。

 

 G君が携帯に出た。

「今、アンマンにいないので、帰ったら携帯に電話する。そうしたら、僕のいる場所までタクシーで来てもらって、僕が金を払うし。」

と言うことであった。

確かにショックではある。しかし、良く考えてみると、パスポートは無事、G君のアパートの鍵とカメラも無事、金も今日銀行で下ろす前だったので、日本円に直すと二、三千円くらいしか入っていなかった。クレジットカードはストップして、その後再発行ができる。何より、僕はアンマンにG君という友人がいるので、彼に金を借りることができるのだ。

「全然大したことないやん。」

僕は自分にそう言い聞かせて、鼻歌を歌いながら、ダウンタウンに向かって歩き出した。ポケットを探ると、一JD半の硬貨が見つかった。少しくらいならタクシーにだって乗れる。

最近妻とピアノの連弾をしているが、その中で学んだこと。

「やってしまった失敗に対してくよくよしない。将来だけを見つめて生きる。」

連弾をしているとき、トチッて、「しまった」と思っても、パートナーは先をどんどん弾いているわけだ。失敗は即座に忘れ、先を見据えて弾き続けなければならない。クヨクヨしている暇はないのだ。

僕はそれから四十五分ほど今来た道を歩いた。そして、ダウンタウンとJICA事務所のほぼ中間点の「第三サークル」に辿り着いた。ここには円筒形のホテルが立っているので、良い目印になる。ここまで来れば、タクシーに乗っても、一JD半以下でJICA事務所の近くまで行けることは確実。僕はタクシーを捕まえた。

JICA事務所の前のベンチに座って、本を読みながら、僕はG君の帰りを待つ。午後一時半ごろ彼が戻り、僕は彼から金を借りることができた。やれやれ。

アパートに戻り、クレジットカード会社に電話をしてカードを止める。その日の午後、僕はリビングのソファに寝転がって本を読んで過ごした。たまには休養も必要だと思いつつ。

辺りが少し薄暗くなったころ、また「アザーン」が聞こえてくる。意味は全然分からないが、「アザーン」を聞いていると、何故か心が落ち着く。

井上夕香さんの本によると、次のような意味なのだそうだ。

「ハイヤー!アッサラート。さあ、祈れ。祈りは眠りより大切なこと。アッラーは偉大なるかな。アッラーのほかに神はなし。モハンムドこそは預言者である。さらば来たれ、安きに来たれ。アッラーは偉大なるかな。アッラーのほかに神はなし。」

八時前、G君が帰ってくる。

「お風呂になさる?それともお食事になさる?」

と冗談で聞く。夕食後、明日の夕食会に備えてG君も料理を始めた。

 

一日の仕事が終わって、夕餉の膳に向かうG君。

 

<次へ> <戻る>