「スウェーデンに未払いのあったマサイ族の男」
原題:Hämnden är ljuv
AB Stockholm(「復讐は甘い」有限会社、ストックホルム)
ドイツ語題:Der Massai, der in Schweden noch eine
Rechnung offen hatte.
(2020年)
<はじめに>
時空を超え、荒唐無稽だが、ホロリとさせるストーリーで、全世界の読者の心を掴んだ、ヨナス・ヨナソン。二〇二〇年に発表された、最新作である。
<ストーリー>
ケニアのサバンナに住む、オーレ・ムバティアンは、代々、医術を職業としてきた。彼は、同じ名前の父親から、家業を受け継ぎ、村人に医術を施し、村人には尊敬され、村長と張り合うほど、裕福な生活を送っていた。彼の唯一の悩みは、男の子が出来ないことであった。彼は、二人の妻に、八人の子供を産ませてきたが、全て女の子。彼は、自分の跡取り息子が欲しいと常々思っていた。
ヴィクトール・スヴェンソンは政治的な野心を持った人物だった。彼は政党の党員になる。次に、政治的な成功の基礎として、有名人と懇意になろうと考える。有名人の集まるところ、そこはどこかと考え、彼はアルダーハイムの経営する美術商で働くことにする。そこには、彼より二十歳年下の娘ジェニーがいた。彼は、その娘を利用することを思いつく。彼女と結婚し、アルダーハイムの亡くなった後、その店と財産を乗っ取ろうというのだ。その計画は成功する。ジェニーと結婚して間もなく、アルダーハイムは病気で死ぬ。ヴィクトールは、苗字をアルダーハイムに変え、店を株式会社化し、彼は、ジェニーに、父親から相続した店を、自分が設立した会社に、安価で売るという契約書にサインさていた。
ヴィクトールは、ジェニーと結婚してからも、売春婦に通っていた。ある日、彼の家の前に黒人の女性と少年が立っていた。女性は、ヴィクトールがかつて通っていた売春婦であった。彼女は、少年、ケヴィンがヴィクトールの息子であるという。ケヴィン・ベックは、十五歳。母親は、自分がエイズになり、もう長く生きられないので、ケヴィンを息子として認知し、成人になる十八歳まで、面倒を見てくれるようにヴィクトールに頼む。ヴィクトールはそれを受け入れざるを得ない。彼は少年を、自分の家から離れた窓のないアパートに住まわせ、一週間に一度、冷凍ピザを持って訪れる。
三年が経ち、ケヴィンは十八歳になった。ヴィクトールは、ケヴィンが、自分の権利を主張し、自分の生活に関与してくるのではないかと恐れる。ヴィクトールはケヴィンを「始末」することを考える。
「アフリカ人はアフリカへ戻れ、だ。」
彼はつぶやく。十八歳の誕生日に、ヴィクトールは休暇に行こうと言って、ケヴィンを国外に連れ出す。ヴィクトールとケヴィンはケニアのナイロビに着き、車でサバンナを走る。夕暮れが近づいて来た頃、ヴィクトールは、ケヴィンをサバンナに残し、走り去る。ケヴィンは、木の上で一夜を過ごし、何とか、ライオンなどの猛獣に食べられなくて済む。翌朝、彼は、マサイ族の人間に発見され、村に連れて行かれる。
独りでストックホルムに戻ったアルダーハイムは、ケヴィンを息子として認知し、同時に行方不明届を出す。五年後には、ケヴィンの死亡が、認知されるはずであった。ところが、ケヴィンは、マサイの村で、オーレ・ムバティアン引き引き取られ、彼の養子となり、マサイ戦士として訓練を受けていた。オーレはケヴィンのことを「天から授かった息子だ」と吹聴する。
ヴィクトールは、父親の死後、ジェニーに離婚届にサインさせる。そして、慰謝料もロクに払わないまま、ケヴィンの住んでいたアパートに、彼女を追いやる。
マサイ戦士の訓練生としての、ケヴィンの飲み込みは早く、数年間で、彼はどんな局面においても、他の若者に負けない力を付ける。ワニのたむろする川を泳ぎ渡り、猛獣と素手で一騎打ち出来るようになっていた。槍や投げ棍棒を投げるのも、お手のものだった。マサイの若者が、一人前の戦士になる際、陰茎に対する割礼が行われることになっていた。それに嫌悪を覚えたケヴィンは、村を逃げ出すことを決意する。彼は、父親の家から二枚の油絵を持ち出し、一枚をナイロビで美術商に売り、その金でスウェーデンに戻る。
ストックホルムに戻ったケヴィンは、自分がかつて住んでいたアパートを訪れる。そこには、自分と同年代の若い女性が住んでいた。ヴィクトールの元妻ジェニーである。そのアパートで、ふたりの共同生活が始まる。ヴィクトールからひどい仕打ちに遭ったふたり間には連帯感が生まれ、彼らはヴィクトールに対する復讐を考え始める。しかし、ふたりには、金が尽きかけていた。二人は職安に職探しに出掛けるが、彼らを雇ってくれそうな会社はない。ふたりは、残り少ない金で、カフェに入る。そのカフェの向かい側に「復讐は甘い」という看板が掛かっているのをケヴィンが発見する。
劇場の食堂でのジャガイモ剥きから、広告会社に入ったフーゴー・ハムリンは、その独創的なアイデアで、会社内で成功する。独立して会社を興すことが彼の夢で、彼は色々なビジネスプランを練っていた。フーゴーは、かつて、隣人とふたりの家の境界にあるゴミ箱について争っていたことがあった。その隣人になんとか復讐しようと色々とプランを練っていたフーゴーであるが、復讐が完了するまでに隣人は死んでしまう。フーゴーはがっかりするが、復讐のプランを練っている間、自分が光り輝いていたことを知る。
「ビジネスチャンスはこれだ!」
フーゴー・ハムリンは新しい会社を興す。その名前は「復讐は甘い」。会社の業務は、依頼主に代わって、復讐をやり遂げるというものだった。フーゴーには年上の兄、マルテがいた。マルテはスウェーデンでも有名な眼科医だった。
フーゴーのオフィスに入って来たジェニーとケヴィンに金のないことを知ったフーゴーは、最初、彼らを追い返そうとする。しかし、考えを変え、ジェニーを「経理担当」、ケヴィンを「プロジェクトリーダー」として採用する。ふたりは無給で働くことになる。フーゴーのオフィスで働きながら、ふたりはヴィクトールへの復讐計画を練る。ケヴィンの持っている絵に興味を持ったフーゴーは、ナイロビに入き、ケヴィンが画商に売った絵を買い戻す。イルマ・シュテルンの本物なら一枚数百万ドル、偽物でも数万ドルはするという。フーゴーは、ケヴィンとジェニーの仕事を引き受ける。その絵で、十分に元が取れると思ったのだ。
ケニアのマサイの村で、オーレ・ムバティアンは、奇妙な切手を貼った手紙を受け取る。それはスウェーデンにいるケヴィンから来たものだった。オーレは、息子を探しにスウェーデンなる国へ行くことにする。彼は、役場の職員牛を与え、自分の身分証明書を作らせ、自分を車でナイロビに送らせ、パスポートを作らせる。彼は、スウェーデンに行くには、ヴィザと航空券が必要だと知る。彼は、取ったばかりのパスポートを持って、スウェーデン大使館を訪れる。受付に座っていた女性は、かつて、自分が救った患者だった。オーレに恩のある彼女は、ヴィザを取得させ、航空券と現金の手配をする。オーレは飛行機に乗り、ストックホルムに向かう。
フーゴー、ケヴィン、ジェニーの三人は、ヴィクトールに対する復讐計画を練る。それは、ヴィクトールの社会的信用を、失墜させてしまおうというものであった。まず、ケヴィンが持ち出した二枚の絵、麻薬に似せた白い粉、ヤギをヴィクトールの家の地下室に運び込む。ジェニーがまだ鍵を持っていたので、気付かれずに運び込むことは可能だった。そして、警察に、
「アルダーハイムの家で、贋作の売買、麻薬取引、動物とのセックスが行われている。」
と通報する。警察が動き出す。ヴィクトールは逮捕され、留置所に入れられる。
ストックホルムに着いたオーレは、空港の外に出る。そとはマイナスの気温だった。彼は、薄い布を羽織って、サンダルを履いているだけだった。ナイフは、ケニアの空港で取られたが、彼はまだ「投げ棍棒」を持っていた。空港から街に出たオーレは「ホテル」と書いた看板を見つけて、建物に入って行く。彼はフロントの女性に近づく。黒い、手に棍棒を持った男が近づいて来るのを見て、フロントの女性は叫び声を上げる。
ストックホルム警察の刑事、クリスティアン・カーランダーはホテルのバーで、本を読みながらビールを飲んでいた。彼は、定年退職を数日後に控えていた。ともかく、残りの日々、やっかいな事件に巻き込まれないで、無事に過ごそうと思っていた。フロントの方から悲鳴が聞こえてきたときも、最初彼は無視する。しかし、自分がまだ勤務時間中であることに気付き、しぶしぶ、フロントへ向かう。そこでは、黒人の男が、フロント係の女性に向かって何かを叫んでいた。カーランダーが近づくと、黒人の男が振り返る。その拍子に、彼の持った「投げ棍棒」がカーランダーの顔面を直撃する。カーランダーはノックアウトされる。
オーレには自分が留置所に居るという意識はなかった。暖かい部屋とベッドがあることに彼は満足していた。翌朝彼が、食堂で朝食を隣の席で、男が怒りながら飯を食っていた。それはヴィクトール・アルダーハイムであった。オーレはヴィクトールに話しかける。彼は自分がケヴィンという息子を探していると言う。ヴィクトールはケヴィンが生きていて、スウェーデンに戻っていることを知る。オーレは、ケヴィンの持ち出した二枚の絵についても語る。自分の村に来たイルマ・シュテルンが、病を得たとき、自分の父親が彼女を治療し、その礼として、村で描いた二枚の絵を贈ったという。ヴィクトールは、自分の家の地下室にあった二枚の絵が、本物であることを知る。彼は、オーレに絵を売ってくれないかと持ち掛ける。オーレは、魚の卵を乗せたパンと引き換えに、二枚の絵をヴィクトールに売ると約束する。ヴィクトールが、ナプキンに売買のサインをさせようとしたとき、カーランダーが食堂に入って来る。カーランダーは、オーレを釈放するために、連れて行く。
オーレは釈放され、外に出る。彼は警察署の守衛に、
「どうしたら、息子のケヴィンを見つけることが出来るのか?」
と、相談を持ち掛ける。守衛は、新聞社に連絡する。新聞社に息子を捜しているオーレのことを記事にしてもらって、見つけようという作戦であった。しかし、その時、ケヴィンが警察署の前を通りかかる。
「パパ!」
ケヴィンはオーレに駆け寄る。二人は抱き合う。
ケヴィンはオーレをジェニーとフーゴーに引き合わせる。彼等は、オーレが、魚の卵の入ったピューレを塗ったパンと引き換えに、イルマ・シュテルンの絵を、ヴィクトールに売ってしまったことを知る。
「あなたは騙されてるんだ。それは取引ではない。」
とフーゴーは主張するが、
「マサイの男は、一旦言ったことに対して、言葉を翻さない。」
と言い切る。フーゴー、ジェニー、ケヴィンの三人は、ヴィクトールを貶めようとして組んだ作戦が、完全に裏目に出て、かえってフーゴーに、何百万ドルもする絵を与えてしまったことを知る。フーゴーは、オーレが絵の所有者であることを証明するために、オーレが父親から譲り受けたイルマからの手紙と、彼女と一緒に移った写真を持ち出すことを思いつく。フーゴーは、再びケニアに向い、今回はナイロビから、オーレの住む村に入る。彼は、村長から歓待を受ける。しかし、写真と手紙は、数日前に、オーレから頼まれたという白人の男が持ち去った後だった。フーゴーはその男が、ヴィクトールであることを知る。ヴィクトールは絵のみならず、その正当性を示す書類まで持ち去ったのだ・・・
<感想など>
ヨナソンの新しい本が出るのを、私は楽しみにしていた。しかし、なかなか出て来なかった。四冊目から四年後の二〇二〇年、ようやく五冊目が出た。それが、この本である。私の勧めで、娘が第一作の「窓から逃げた百歳の老人」を読んだ。一応、最後まで読んだようだが、気に入らなかったようで、二冊目からは読む気がしないという。
「あまりにも、非現実的なんだもん。」
というのが彼女の好きになれない理由。しかし、娘はファンタジーが好きで、よく読んでいる。ファンタジー小説が好きな人でさえ、「非現実的」と言わせてしまう、ヨナソンの「ぶっ飛び」ぶりが、分かるというものだ。しかし、その「ぶっ飛び」ぶりを一度好きになると、
「次は一体、どんな『ぶっ飛び』方をするのだろうか。」
と、楽しみにして新しい本を待つことになる。
今回のストーリーも「有り得ない偶然」の連続。
「こんな偶然は絶対有り得ない、でも、面白いから許しちゃう。」
という広い心で読まないと、この物語は楽しめない。
別々の時代、場所、登場人物が何人か語られ、それが次第に関わり合いを持ち、最後は一本にまとまるという構成。最初、個々に語られているときは、突然、場所、時間が変わり、いきなり知らない人物が描かれるので、かなり当惑し、混乱する。
先ず、最初に語られるのが、ケニアのマサイ族の医術師、オーレ・ムバティアンである。彼の家は代々医術を家業とし、成功を収め、今では村長と張り合うほどの権力と富を持っている。彼の最大の悩みは、家業を継ぐ男の子がいないこと。しかし、ある日、彼は「天から降ってきた若者」を見つけ、彼を養子にし、彼を一人前のマサイ族の戦士になれるように訓練する。しかし、ケヴィンは突然村を去る。オーレは、ケヴィンを探すために、スウェーデンに向かう。布一枚をまとって、サンダルを履いて、厳冬のストックホルムに降り立ったオーレの繰り広げるドタバタが、ひとつの見どころである。
「文明からかけ離れた場所に住んでいた人間が、いきなり大都会に出たらどうなるか。」
喜劇にはよくあるパターンである。オーレが自信満々で行動するだけに、笑いを誘う。
二番目のストーリーラインは、ストックホルムの美術商、ヴィクトール・アルダーハイムを巡る人々である。ヴィクトールは徹底的に「悪者」として描かれている。美術商に勤め、そこの幼い娘と関係を持ち、遺産目当てに結婚する。父親が死んだ後は、不要になった妻、ジェニーを追い出してしまう。また、黒人の売春婦に産ませた子供、ケヴィンを引き取ったものの、彼が十八歳になった時、アフリカのサバンナに放置し、殺そうとする。ケヴィンは、オーレに助けられる。数年後、ストックホルムに戻ったケヴィンは、ヴィクトールの元妻、ジェニーと協力してヴィクトールに復讐しようとする。徹底的な「悪玉」をひとり作ってしまうと、話が分かり易くなる。「善対悪」ということで、ストーリーも組みやすい。「ヤッターマンとドロンジョ」。そんな喜劇の典型だと思われる。
三番目は、フーゴー・ハムリンである。彼は広告代理店で成功した後、自分のビジネスを立ち上げる。それは「他人に代わって復讐を行う」というビジネスだ。彼が、引き受けた「復讐」が幾つか紹介されているが、どれも、大掛かりで、すごく効果的。まさにプロの技。独創的な復讐で、笑いを誘う。彼は、ケヴィンとジェニーから、ヴィクトールに復讐したいという依頼を受け、その方法を考え、実行する。しかし、復讐はシナリオ通りに行かず、事態は思わぬ方向に走り出してしまう。「復讐のプロ」、「クリエイティブダイレクター」が、どんな復讐劇のシナリオを作るのか、これも、物語の一つの興味となっている。
四番目がイルマ・シュテルンである。厳密に言うと、彼女が描いた二枚の絵である。イルマは実在の人物で、二十世紀前半、南アフリカで活躍した女性画家。アフリカの風景や現地の人々を題材にした作品が多い。彼女がアフリカ内部を旅行中に病を得て、オーレの父親に助けられたという設定になっている。彼女はお礼に二枚の絵を描いて、オーレの父親に送る。しかし、署名はされていない。その二枚の絵を巡るドタバタがまた発生する。何かを手に入れようとして、複数のグループが争うのは、これも喜劇のひとつのパターンであると言えるだろう。
こうして、ストーリーラインをまとめてみると、ヨナソンが、結構手垢の付いた、使い込まれたコメディーの手法を使っていることが分かる。しかし、それらの手法を、一つのストーリーの中に、実に巧みに取り入れている。
ストーリーの展開が「偶然に頼りすぎている」という批判、それは、これまでの四作と共通している。例えば、何百万人もが住んでいるストックホルムの町で、ケニアから出てきたばかりのオーレとケヴィンが「偶然に」遭ってしまう。ナイロビのスウェーデンの受付嬢が、かつてのオーレの患者だった、などなど。「有り得ない偶然」は、小説の武器だが、それを、ヨナソンは多用する。まさにこの点が、娘がヨナソンの作品に感情移入出来たかった原因なのであるが。しかし、この点に目をつぶってしまうと、ヨナソンの作品は楽しめる。彼の作品を、楽しめるか楽しめないかは、まさにここに掛かっていると思う。
(2021年1月)