大従兄弟姉妹会
集まった従兄弟姉妹たち。皆どことなく顔が似ている。
参加する従兄弟姉妹は八人。全十三人中八人なので、六十パーセントを超える参加率。福岡や東京に住んでいる従兄弟もいる中で、これはすごい。僕は何度か店に電話をし、人数を変更し、メニューと予算を決めた。また、参加してもらった人たちが、今後つながれるようにと、名簿を作ることにし、その原稿を作った。
「でも、何となくナーバスになるんだよな。」
僕は前日母に言った。なんせ、殆どの従兄弟に四十年以上会っていないため、全然会った時のイメージが湧かず、何となく不安だったのだ。
さて、当日、チズコ叔母とその娘さんのK子さんが、車で迎えに来てくれた。まずK子さんに会うのが四十年ぶり。
「こんにちは〜、ご無沙汰してま〜す。お世話になりま〜す。」
そう言って、彼女の運転する車に乗り込むが、この年月を「ご無沙汰」で片付けていいものかと思ってしまう。
「お互い、色々なことがあった四十年を凝縮させる言葉って、他にある?」
三条にある「鼎」(ディン)という中華レストラン。僕は幹事なので、早めに着いている。次々と従兄弟、従姉妹たちが登場。殆どが四十年ぶりの再会なのだが、不思議なことに、全て誰が誰か分かった。やっぱり、昔の面影が残っているもの。
乾杯をして食事が始まる。子供の頃、僕たち従兄弟姉妹は、時々祖母と祖父の家に集まっていた。そのときは、もちろんお互いを「ちゃん」で呼び合っていた。今回もそのまま、お互い、「ちゃん」で呼び合ったのだが、翌日、参加された一番年長の従姉妹からメールをもらった。
「高齢の域になっても、みんなを『ちゃん付け』で呼び合える、山添家のルーツにすっかり年寄りになった私は感動です。」
とのこと。「山添」というのは祖父母の名字。本当にこの年齢になっても、「ちゃん」で呼び合える人々がいるというのは、素晴らしいことだと、僕もつくづく思う。
年齢差は十歳くらいあり、祖父母と関わった時期も微妙にずれている。僕の母は下から二番目、僕は末っ子なので、集まったメンバーの中では、比較的「若手」。僕より年長のメンバーは当然、終戦の直後だったので、世話をした祖父母も大変だったと思う。
「皆、顔が似ているのよ。」
と叔母が言った。先月亡くなった伯母の葬儀に集まったとき、葬儀場の人が、顔を見ただけで、
「XX家のご親戚ですね。」
と案内されたという。午後二時、会が終わって、参加者が帰路に就く。「またやろう」と皆さんがおっしゃってくれたので、企画した僕はホッとして、嬉しかった。
一世代上の母と叔母も参加。こっちのテーブルの方が、早く食べ終わっていた。