富山へ

 

福井県、敦賀湾を見下ろすサービスエリアで休憩。湿度が高く、霞んでいて、海が良く見えない。

 

「東京遠征」に続いて「北陸遠征」をした。目的地は富山と金沢。七月四日、僕は高速バスで、京都から金沢に向かう。僕が東京から戻った後、関西には梅雨明けが宣言され、三十五度を超える暑さが続いていた。その日も、気温よりも湿度で暑さを感じる日だった。八時半に京都を出たバスは、途中二か所のサービスエリアに停まった後、午後一時に金沢駅に着いた。

「今日はコロッケを食べられなかった。グスン。」

滋賀県内のサービスエリアには「近江牛肉のコロッケ」を売っていて、それを食べるのを楽しみにしていたのだが、バスは滋賀県内には停車しなかった。最初の休憩はもう福井県。金沢駅からバスで、妻の実家に向かい、義母と一時間ほど話した後で、僕は再び金沢駅に向かう。

この日は、僕が最初に働いた「アルファベット三文字のファスナーメーカー」の先輩、Rさんご夫婦と富山で会うことになっていた。実は僕は人生で、半年間だけ、富山県民だったことがある。大学を出て、黒部市にある工場で、四月から十一月まで研修を受けていたのだ。そのときは、黒部市内にある独身寮に住んでいた。半年後、僕は「ドイツ語通訳」としてドイツ工場に赴任した。その後、富山には、会社を辞める際の手続きに訪れたことがあるだけ。いつも雪を頂いた立山が見えるし、魚も酒も美味いし、富山には、結構いい印象を持っている。

十六時七分発の北陸新幹線「はくたか」に乗ると、二十三分後の四時半には、もう富山駅に到着する。新幹線の出来る前は、富山、金沢間は約一時間かかっていたのだが。

「近くなったもんだ。」

と感心する。同時に合計五千円を超える往復の乗車券、特急券を見て、ちょっとため息。

新幹線ホームを出ると、Rさんが待っていた。

「メッチャひさしぶり、お元気でしたか?」

「わざわざよう来たのう。」

彼は大学の陸上部の同級生。卒業後すぐに会社に入られて、僕がウロウロした後、数年後に同じ会社に入った時には、大先輩になっていた。その会社では「入社年度」による序列というのが絶対、それ以来、彼に対しては「さん付け、敬語」になっている。富山市もその日は、気温が三十五度を超え、町全体が湿気に包まれているような感じ、名物の立山連峰も、湿気で霞んで見ることができない。

Rさんの奥さんが車の中で待っていた。彼女の運転でまず向かったのは「鱒の寿司」の店。奥さんによると、富山県では名物「鱒の寿司」を作っている会社が十社以上あり、今日行く店は、Rさんご夫妻御用達だという。地元の人が「一番」というのだから本物。そこの「鱒の寿司」をお土産にもらう。翌日、義母と一緒にその寿司を食ったが、身がすごく厚くて、濃厚な味がした。

 

久々に、かつて住んだことのある富山県に到着。今日は立山が見えない。

 

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