「誰も気づかなかった死者」

ドイツ語題:Die Toten, die Niemand Vermisst

原題:Fjällgrave(フィエルの穴)

2012年)

 

 

ミカエル・ヒョルト/ハンス・ローゼンフェルド

Michael HjorthHans Rosenfeldt

 

 

<はじめに>

 

犯罪小説の世界では、常に新しい試みがなされているが、その中でも、このスウェーデンの二人組の作品からは、新しさを感じる。特に捜査をする側の人間関係設定、愛憎の描写が秀逸である。

 

<ストーリー>

 

 

アフガニスタンからスウェーデンに亡命しているシーベッカ・カーンは、郵便を待っていた。そしてその郵便がついに届いた。彼女の夫は、九年前、行方不明になっていた。その後、彼女は二人の息子を育ててきた。その息子も今は十三歳と十五歳になっていた。夫が失踪した当時、警察はおざなりの捜査しかしなかった。シーベッカは、スウェーデンのテレビ局の、行方不明になった人物を探すという番組に手紙を書き、自分の夫を探してくれるように依頼していた。その返事が届いたのである。テレビ局は、シーベッカの夫の失踪事件に興味を持ち、番組で取り上げることにしたという。シーベッカはテレビ局の担当記者である、レナルト・ストリードに電話をする。ふたりは街のカフェで会うことになる。

セバスティアン・ベルクマンは朝、エリノア・ベルグクビストに自分のマンションから出ていくように言う。エリノアはそれに取り合わないで仕事にでかける。セバスティアンには、別の女性が出来ていたのだ。彼女が、その日の夜、マンションに帰ると、鍵が合わない。彼女はドアの前に、自分の荷物の入ったスーツケースが置かれているのを見つける。そこには、セバスティアンからの置手紙が乗っていた。セバスティアンは、彼女を締め出すために、鍵を替えた、自分もしばらくマンションには戻らないと書いていた。エリノアはセバスティアンの携帯に電話をするが彼は取らない。怒りに満たされたエリノアはそこを立ち去る。

ストックホルム警察、殺人課のトルケル・ヘグルンドは、エステルスンドの山中で、六人の死体が発見されたという知らせを受ける。彼自身に加え、ヴァーニャ、ビリー・ウルズラ、イェニファー、セバスティアンで捜査班が結成され、彼らは飛行機で現場に飛ぶ。若いが優秀な捜査員のヴァーニャは、スウェーデン警察が教育のために、FBIに三年間派遣するメンバーに選ばれることが内定していた。ヴァーニャには、ヴァルデマーという父親がいたが、実の父親はセバスティアンであった。セバスティアンは、かつて、ヴァーニャの母、アンナと関係を持ち、ヴァーニャを孕ませたのであった。ヴァーニャはそのことを知らされていなかった。セバスティアンは、職場で娘のヴァーニャと会うことを、最大の楽しみ、慰めとして生きていた。彼は、ヴァーニャが米国に三年間滞在し、彼女に会えなくなることを何としても避けたいと思った。  

記者のレナルトは、カフェでシーベッカと会う。シーベッカは、夫のハミードと自分たち家族が十一年前、アフガニスタンからスウェーデンにやって来たことから話を始める。最初は、亡命申請が認められず、それを待っている間に夫が失踪した。同じ時期に、ハミードの従兄弟であるサイードも姿を消していた。夫が戻らなくなって数日後、警察を名乗る男がやってきて、夫の身辺について沢山の質問をしていった。当時、サイードはヨゼフという男と付き合っていたが、夫はそのヨゼフを嫌っていたことなどをレナルトに話す。

トルケルと彼のチームは、六人の死体の発見されたフィエルに着く。土の中に埋まっていた六人の死体は、大人が四人、子供が二人であった。どれも銃弾で殺された跡があり、埋められてから十年近い時間が経っていた。二人の大人の死体には着衣の跡があったが、その他の死体には服の痕跡がなく、裸で埋められたことが予想された。トルケルとそのチームは、地元警察に出向いて、約十年前の辺りであった事件を調べる。その結果、トレッキング中のオランダ人の夫婦が行方不明になっていることを知る。残された衣服は、行方不明になったオランダ人の夫婦のものと確認された。

二〇〇三年の十月に、近くで、焼け焦げた車が発見され、その中で、炭化した女性の死体が発見されたことが分かる。燃えた車は、レンタカーで、借りていたのはパトリシア・ウェルトンという女性であった。彼女は米国の免許証を所持していたが、捜査の結果それは偽造されたものであることが分かっていた。トルケルと、彼のチームは、その車と、中で焼死していた女性の身元を洗ってみることにする。女性の足取りの調査はビリーが担当し、車はヴァーニャとセバスティアンが調べることになる。

 ヴァーニャとセバスティアンは、車を最初に発見したという、ハラルド・オロフソンという男を訪れる。彼は、車を発見し、警察に通報するまで、車には手を触れていないと証言する。ヴァーニャはそれが嘘であることを見抜く。その帰り道、ヴァーニャの携帯が鳴る。電話は彼女の母、アンナからであった。ヴァーニャは、家族に緊急事態が起こったので、急いでストックホルムへ戻らなければならないと言う。しかし、彼女は、それがどのような緊急事態なのかは同僚には明かさない。セバスティアンはヴァーニャと一緒に飛行機で戻ることを申し出る。ヴァーニャは、自分のことを心配してくれるセバスティアンに、好感を抱き始める。

ストックホルムに戻ったヴァーニャは、セバスティアンを訪れ、自分の父親であるヴァルデマー・リトナーが、経済警察に逮捕されたことを告げる。ヴァルデマーはこれまで、不正な商取引で、警察の捜査の対象になっていたことがあった。しかし、証拠不十分で、起訴されなかった。今回、新たに逮捕されたということは、経済警察が、新たな証拠をつかんだということになる。セバスティアンは、自分が、エリノアを叩きだしたことに関連させ、悪い予感を覚える。彼は、ヴァルデマーをヴァーニャから遠ざけるため、退職した警官トローレ・ヘルマンソンに、ヴァルデマーを陥れる証拠を集めさせ、それをエリノアに預けていたのだった。

捜査班の中で、ビリーだけが、セバスティアンがヴァーニャの父親であることを知っていた。セバスティアンが、かつて関係を持った女性アンナの居場所を探し出すようビリーに依頼していたからだった。ビリーとウルズラと車の解体場へ行く。炎上し、中で女性の死体の見つかった車は、まだそこに積まれていた。その車は、明らかに事故が原因ではなく、中から火がつけられたことが分かる。ウルズラは車の後ろのトランクルームに、こじ開けられた痕跡があるのを発見する。

ハラルド・オロフソンは車を発見したとき、トランクルームに入っていた荷物を盗んで、屋根裏部屋に隠し持っていた。彼には盗癖があった。自分に嫌疑が掛かっていることを知ったハラルドは、その荷物を焼いてしまおうとする。しかし、その直前にウルズラが現れ、荷物は警察に回収され、彼は盗みの容疑で逮捕される。オロフソンから回収したハンドバックの中から、半分焼け焦げた米国の免許証が発見される。その持ち主は「ミス・マックゴ・・・」というところで読み取れなくなっていた。またリュックサックの中からはデジタルカメラが発見される。ビリーはそのカメラからメモリーカードを取り出し、写真を復元しようと試みる。

ビリーは車の中で死んでいたパトリシア・ウェルトンの当時の足取りを辿ることに成功する。彼女は二〇〇三年十月二十九日に空路フランクフルトからストックホルムへ入っていた。おそらく、ストックホルム中央駅からの夜行列車に乗り、エステルスンドにやってきたと推測される。彼女は、十月三十一日、ノルウェーのトロントハイムからオスロへの飛行機を予約していた。しかし、彼女はその前に死亡し、飛行機に乗ることはなかった。パトリシアがフランクフルトを発つ直前に、米国からリズ・マクゴードンという女性が到着していた。リズは、その後、オスロからワシントンへの飛行機も予約していた。ビリーの調査の結果、リズも実在していなかった。トルケルとビリーは、リズとパトリシアは同一人物で、その巧妙な計画から、おそらく米国諜報機関の人間ではないかと推測する。

穴の中で発見された六人の死体のうち、大人ふたりはオランダ人の夫婦であることが確認された。残りの大人二人、子供二人の身元確認のため、ビリーたちは、その頃に行方不明になった家族がいないかの調査を始める。

ストックホルムに戻ったセバスティアンは、同じく警察に勤める心理学者のホカン・ペルソン・リダーシュトルペを訪れる。ホカンは、FBIに派遣するメンバーの選考委員であった。セバスティアンは、ヴァーニャを選ばないように頼み込む。一方ヴァーニャは、拘置所に父のヴァルデマーを訪れる。彼女は、ヴァルデマーがどのような経緯で逮捕されたのかを調べようとする。ヴァーニャは警察学校時代の同僚で、現在は経済警察に勤めるペーター・ゴルナクをカフェに呼び出す。そして、父親のヴァルデマーが逮捕されたきっかけについて尋ねる。最初は、守秘義務により返答を拒んでいたペーターだが、最後にはヴァーニャの熱意に負け、エリノア・ベルグクビストという女性が持ち込んだ書類により、ヴァルデマーの犯罪の確証がつかめ、彼の逮捕に踏み切ったと話す。

ヴァーニャは、「エリノア・ベルグクビスト」と言う女性を探し出す決意をする。ストックホルムだけでも数人、同名の女性がいた。ヴァーニャが何人目かの「エリノア・ベルグクビスト」のアパートを訪れる。エリノア自身は留守だったが、隣人の老婆から、エリノアは最近男のところに泊まることが多いことを知る。そして、その男が「セバスティアン・ベルクマン」という心理学者、つまり自分の同僚であることを知り、ヴァーニャは愕然とする。ヴァーニャのもとに、FBI派遣メンバーから外されたとの連絡が入る、ヴァーニャは二重のショックを受ける。

ハミードの失踪事件に興味を持った記者のレナルトは、再びシーベッカに会いたいと連絡する。また、彼女の息子たちとサイードの妻にも会いたいと言う。シーベッカが、上の息子のメーランにその旨を告げると、メーランは、スウェーデン人は信用できないと言って、母の取った行動を非難する。また、サイードの妻メリカも、マスコミの人間に自分たちの生活について話すことに反対し、男とふたりきりで会ったシーベッカを非難する。シーベッカはメーランに、父が行方不明になった前後のことを全て話す。メーランは自分の手で、父の失踪に関係した人間を探し出すことを決心する。彼はまず、ヨゼフと男を探し出し、会うことを決意する。

ウルズラは、検死を担当した医師から連絡を受ける。発見された六人の白骨死体は、皆、同じ拳銃で胸を撃たれたものだという。六人のうち二人はオランダ人の夫婦であると言うことは明らかになっていたが、残りの大人二人、子供二人は家族であるという。ビリーは当時行方不明になった四人家族を洗い出す。ノルウェーで一家族、スウェーデンでは二家族あった。そのうちの一家族は、ヨットで世界一周中に、アフリカのザンジバルからの絵葉書を最後に連絡が取れなくなったと、兄が届け出ていた。

メーランは、叔父のサイードがやっていた店を、メリカから聞きだしそこを訪れる。そこは、現在もラフィという親戚の男がやっているはずであった。しかし、その店にいたのは、アフガニスタン人ではなく、アラブ人の男だった。男は、九年前、二〇〇三年の九月、その店を三人のアフガニスタン人から買ったという。それは、サイードと、メーランの父ハミードが、行方不明になった直後であった。メーランは再びメリッサを訪れる。メリッサは、夫のサイードが、「ヨゼフ」という男から、借金を払うために店を売れと迫られていたと言う。

オランダ人の夫婦のリュックサックの中から発見されたカメラに写っていた写真が復元される。捜査会議で、ビリーによりその写真が示される。捜査会議に遅れて現れたヴァーニャは、FBIの研修に選ばれなかったことを皆に告げる。写真に写っている山に、ビリーは見覚えがあった。それは、六人の死体の発見された場所から見えた山だった。最後の写真に写っていたのは山小屋だった。ホテルの従業員に確認したところ、その山小屋は直後に焼失し、現在は存在しない。捜査班は、その山小屋が犯行現場であると考える。山小屋は、軍隊の保養施設として建てられたものだった。捜査班はその山小屋を二〇〇三年、犯行のあった当時借りていた人物を探し出す。それは、意外な人物であった・・・

 

 

<感想など>

 

ミカエル・ヒョルトとハンス・ローゼンフェルドは、

「ヘニング・マンケル亡き後の、スウェーデン犯罪小説界のエースである」

そんな出版社の広告文が目に入った。もちろん、本を売るための誇張もあるだろうが。彼らの本を始めて読んでみて、確かに新しいものを感じた。ストーリーではない、登場する人物の人間関係、設定である。トルケルの率いる警察の捜査班が登場するが、マンケルの小説のクルト・ヴァランダーのように、傑出した人物が捜査班をリードするという設定ではない。トルケル、セバスティアン、ヴァーニャ、ウルズラ、ビリー、イェニファーのそれぞれに、満遍なく活躍の機会が与えられている。これは、シューヴァル/ヴァールーの「マルティン・ベック」シリーズと似ている。斬新なのは、その捜査班の中の、ドロドロとした人間関係である。

不思議なことに、本の紹介を見ると、セバスティアン・ベルクマンが主人公のシリーズということになっている。三十歳前後の若くて有能な刑事、ヴァーニャはセバスティアンの実の娘である。犯罪心理学者であるセバスティアンは、「プロファイラー」つまり、犯人の行動、犯罪の特徴から、犯人のプロファイルを洗い出すという立場である。彼は、誰とでもすぐに肉体関係を持つ男、女性がなぜかフラフラとなびいてしまう不思議な魅力を持つ男として描かれている。周囲の人間も皆それを知っている。セバスティアンが過去に関係を持った数多くの女性のひとりの中にヴァーニャの母のアンナがいた。セバスティアンは職場で娘の顔を見ることを、楽しみにしているが、ヴァーニャはそれを知らず、ヴァルデマーを自分の父親だと信じている。

セバスティアンは冒頭で、それまで一緒に住んでいた女性エリノアを自分のアパートから叩き出す。その原因は、新しい看護婦のガールフレンド、グニラができたからだという。しかし、最後には、夫のある同僚のウルズラを自分のアパートに泊めている。とことん節操のない男である。

ヴァーニャは、FBIの研修を受けるために、三年間米国に行くことになっている。彼女と会えないことを寂しく感じたセバスティアンは、同じ犯罪心理学担当で、派遣員選択の担当である同僚、ホカンに手を回して、その話を潰してしまう。ここまで来ると、花菱アチャコではないが、

「無茶苦茶でござりますがな。」

の世界である。しかし、彼が払った代償も大きい。叩き出されたエリノアの復讐が始まるのだ。その復讐の結果は描かれていない。しかし、人の命に関わる、重大な結果をもたらすものと想像できる。おそらく、その結果は次の作品の中に述べられるのだと思う。ともかく、こんないい加減な男を主人公にしている小説はない。それだけに新しい。

著者のひとり、ハンス・ローゼンフェルドは一九六四年生まれ、俳優であり、脚本家でもある。有名な、英国でも放映されたテレビシリーズ「ブリッジ(橋)」の脚本を書いている。また、彼は、マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズの脚本を書いている。つまり、マンケルの作品をとことん分析し尽しているのである。マンケルの作品とは、「スーパーヒーロー」ではなく、悩みを抱えた、人間的に弱みがある、そんな主人公が事件に挑むという共通点がある。 もうひとりの著者、ミカエル・ヒョルトも、脚本家であい、テレビや映画のプロデューサーであり、監督もしている多才な人物である。

 ドイツ語で六百ページを超える、長大な作品である。ふたつのストーリーの流れがあり、最後までそれは独立して進む。ひとつは山の中で発見された六人の白骨死体に身元に挑むストックホルム警察殺人課の捜査班、もうひとつは九年前に行方不明になった夫と父親を探し出そうとする、アフガニスタン人のシーベッカとメーランである。もちろん、最後にこのふたつの筋は合流する。長い、登場人物に嫌悪を覚える、しかし、別の作品も読んでみたくなるという、不思議な魅力を持つシリーズである。

 

20168月)

 

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