パッチワークキルト

無数の錠前が結び付けてられている、アイゼルナー・シュテックの欄干。

 

レーマー広場の雑踏から抜け出して、マイン河の畔に出て、そこにかかる歩行者専用の橋、アイゼルナー・シュテックの上に出る。(一八六八年、明治維新の年に作られた由緒ある橋。) 

「ほら、こんなの。」

とサヨコさんが指さす。よく見ると、橋の欄干に、錠前が結び付けられている。そして、もっとよく見ると、橋の両側に、何百、何千という「南京錠」が掛けられていた。錠前には、名前が書いてある。

「な、何ですか、これ。」

「カップルが、ここに名前入りの鍵を掛けておくと、別れることがないんですって。」

でも不思議。もし、そんな習慣が以前らあれば、二十年前に僕が気付いているはず。

「こんな習慣、昔からあったんですか。」

と僕が聞くと、

「流行ったのはここ四、五年かな。」

とヴェルナーさんが言った。

 もう一度クリスマスマーケットの人混みを通り過ぎ、雑踏からの「避難場所」求めてカフェに入る。

「人混みが嫌いなくせに、人混みだと分かっているのに、どうしてここへ来たかったんだろう。」

と自分でも思う。まあ、「話の種」ということかも知れない。

驚いたことに、サヨコさんご夫婦は、僕の出身大学(石川県にある)のK教授を知っておられた。K教授に直接教わったことはないが、論文の審査委員の一人だったので、今でも覚えている。明治維新の直後、一八七四年に、ドイツ人地理学者、ヨハネス・ユストゥス・ライン博士が日本を訪れ、石川県の白峰村で、大量の恐竜の化石を発見した。そのライン博士の功績を讃えるための組織が石川県にあるらしい。K教授はその会の代表としてドイツを何度か訪れ、サヨコさんたちがお世話をされたとのこと。人間、色々なところでつながりがあるというお話。

カフェを出て、修道院の中庭にある無数の蝋燭の灯りを見る。こんな街中に、「修道院」があり、「修道僧」がいるなんて、ちょっと信じられない。「修行」ができるのだろうか。オペラ座の前を通り過ぎ、地下鉄に乗り、十五分ほどでサヨコさんご夫婦のお宅に着く。居間の壁には、サヨコさんの作られたパッチワークキルトが掛かっている。クリスマスということで、クリスマスツリーの図柄のものが掛けてあった。その精巧さと緻密さにただ驚くのみ。

「ひえ〜、こんなの作るの何年かかるんでっしゃろ。」

しかし、温かい感じがする作品。

 ご夫婦の家には、「コジロウ君」という猫がいた。スペイン生まれで、虐待され、保護されていたのを引き取ったとのこと。色々辛いこともあった人生(猫生?)ながら、今は落ち着いて暮らせてよかったね。

 

クリスマスツリーのパッチワークキルトと、ヴェルナー・サヨコご夫妻、猫のコジロウ君。

 

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