おお、シャンゼリゼ

 

下から眺めたエッフェル塔。設計者の苦心が伺える。

 

セーヌ川を渡り、向こう岸のテラスのような場所からエッフェル塔を眺める。ここからの眺めが、一番スタンダードなもののようだ。セーヌ川の畔をジョギングしている若い女性がいる。白いTシャツに黒いタイツ、Iポットを持っているところまでは英国にもいる普通の「ジョギングお姉さん」なのだが、首に赤いマフラーを巻いている。それが何ともおしゃれな感じがする。「さすが、パリ」という感じ。 

 さて、次の目標は凱旋門。こうなると完全に「決められた日程」をこなしているようである。エッフェル塔を眺めるテラスの横の駅からまたメトロに乗り、「シャルル・ド・ゴール・エトワール」駅へ。階段を上がると、そこには凱旋門が聳えていた。この門、アウステルリッツの戦いに勝利したナポレオンの命令で建てられたものだという。完成まで三十年を要し、一八三六年の完成時にはナポレオンは既に故人であった。

凱旋門からは放射状に道が広がっていて、凱旋門の周囲は大きなロータリーになっている。十数年前、Iさんの車で夜ここを通ったとき、

「このロータリー、入ったり出たりするの、結構難しいんですよね。」

と彼が言っていたのを思い出した。

凱旋門の前では多くの観光客が記念写真を撮っている。僕も何人かにシャッターを押してあげて、自分も写真を撮ってもらった。

凱旋門の正面の一段と広い道路が、「チャンプス・エリーゼ」、いや「シャンゼリセ」である。中学生の頃、ダニエル・ビダルというフランス人のお姉さんが、舌足らずな声で、

「オ〜・シャンゼリゼ、オ〜・シャンゼリゼ」

と歌っていたのを思い出す。根が単純な僕は、無意識にその歌を口ずさんでいる。有名店、高級店が並ぶショッピングストリートで、道幅がもっと広い点を除けば、ロンドンのオックスフォード・ストリートやリージェント・ストリートと変わらない。そして、僕は高級品、ブランド品には何の興味もない。

そろそろ正午が近い。歩きくたびれたので、休憩をすることにする。土産物を売っているスタンドで絵葉書と切手を買って、ベンチに座って娘のミドリに絵葉書を書く。

「パパは今、シャンゼリゼ通りのベンチに座って、この絵葉書を書いています。」

一度、こう書いてみたかった。それが実現。

喉が渇いたので、ミネラルウォーターのボトルを買ったら何と三ユーロ。何と高いこと。

「パリちゅう場所は恐ろしか所ですたい。」

と何故か熊本弁で感心する。

二枚の絵葉書を投函する。クレマンソー駅からまたメトロに乗り、モンマルトルへ向かう。昨夜末娘のスミレと電話で話した。彼女は昨年パリを訪れている。

「モンマルトルだけは行ってね。」

と彼女に念押しされていたからである。

 

シャンゼリゼ通りを渡る。突き当りが凱旋門。木々が少し色づき始めた。

 

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