エピローグ

 

アムステルダム名物の「ビターバレン」を食べながら、ロンドン行の飛行機を待つ。

 

「長かったなあ!」

思わずつぶやいてしまう。このエッセーは、同時進行型である。その時その時のことを日記風に綴り、それを書いているときには、次どうなるか分からない。この部分、関空からアムステルダムに向かう飛行機の中で書いている。色々あったが、随分長くかかったが、ともかく、当初予定していた手術を受けられて、病気を治せて、つまり「本懐」を遂げられて、良かったと満足している。京都での生活もそれなりに楽しかったが、また元の生活に戻れると思うと、心からホッとする。京都の桜と、阪神タイガースの開幕戦を「生」で見られたことはよかった。半面、テレビをよく見ていたので、これで、日本のテレビ番組が当分見られないことは、少し寂しい。

「『にじいろカルテ』は最終回まで見られたけど、『おちょやん』が最後まで見たかったなあ。」

 この旅を、ならびに、このエッセーを終わるに当たって、今回お世話になった人々にお礼を述べたい。

先ずは、主治医のT先生、京都第二日赤病院、循環器科のM先生とI先生を始め、僕の病気を治していただいた医療スタッフの皆様である。本当に、日本の医療システムの有効性、日本の医療スタッフの有能と親切さには、感心することが多かった。

「日本のお医者はんは、ホンマ、腰が低いなあ。サービス業に徹したはる。」

僕は何度も思った。執刀医のI先生は、二月の間お忙しくて、一か月待たされることになったが、その結果、十数枚の京都の絵が仕上げることが出来た。まさに、今回絵が残せたのは、I先生のお陰なのである。

次はGさん、隔離期間、離れを貸していただいたことは、本当に助かった。あの時間は、寒さと共に、一生忘れないと思う。そして、十日間、一緒に作って食べた食事も、楽しい思い出になった。

三番目は母。コロナ禍の真最中ということで、しばらく同居はできなかったが、その間、三日に二日は、晩御飯を差し入れてくれた。色々な材料を使った、バラエティーに富んだ料理は、とても美味しく、身体が元気に保てた。

次は、妻である。僕が京都にいる間、三カ月余り、何と毎日電話をくれたのはすごい。毎日同じ時間に架かってくる電話、とても楽しみにしていた。

そして、僕が一人で寂しいんじゃないかと気遣い、電話やメッセージで励ましてくれた、友人、親戚の皆さん。そして、SNSにアップした絵に対して、感想や励ましをいただいたSNSでの「お友達」の皆さん。

以上の方々に心よりお礼を申し述べたい。では、コロナ禍の一日も早い収束を祈念して、筆を置くことにする。お読みいただき、有難うございました。

20214月)

<了>

 

<戻る>