英語で話して

 

Gさんの家に横にある大徳寺界隈は、納豆を売る店が多い。乾いた納豆である。

 

「自由の身」になった翌日、僕は、京都第二日赤病院に行き、循環器科のM医師に会った。女医さんである。前週、僕は、京都の主治医に連絡し、日赤病院のドクターに紹介状を書いてもらっていた。その紹介状を持っての訪問だった。

今回の日本行の目的は、京都で、僕の健康上の問題、具体的には不整脈の検査を受け、治療を受けることである。コロナ禍で、医療制度が逼迫している英国では、専門医に会うのに三カ月待ち、急がない治療や手術は半年から一年待ちという話だった。ほぼ、「医療崩壊」状態。その待ち時間、病気を抱えながら過ごすのは辛い。それで、コロナ禍の最中であることは覚悟の上で、日本での治療を決めたのだった。つまり、「病気を治す」というのが、僕の今回の「プロジェクト」。英国を出て、十六日目にして、そのプロジェクトはようやく動き出した。

「日本の医療は機能している。全てが早い。」

英国の医療制度に慣れていて、それが当然だと思っていた僕には、驚きだった。

九時のアポイントメントだったが、先ず、心電図、心エコー、血圧、その他、ありとあらゆる検査を受け、M医師に会ったのは十一時過ぎだった。僕はこれまで、英国の医者に掛かっていた。それで、これまでの病歴と治療歴を、M医師に説明しなければならない。

「こりゃ、困った。」

僕は思った。それまで、英国の医者に英語で説明を受けているので、それに相当する日本語が分からないのだ。仕方なく、分からない部分は英語をそのまま使う。

「二〇〇六年と、二〇一三年に、『エイトリアル・フラッター』で、『カーディオバージョン』の治療を受けました。」

なんて具合に。しかし、さすが、お医者さん、僕の言ったことを全て分かってくれた。

「カワイさん、英語の方が得意みたいだから、英語で説明しますね。」

と、途中から、彼女の説明も英語になった。結構お上手。京都の真ん中で、日本人二人が英語で会話をしているわけ。

「日本のドクターのレベルは高い。」

と、僕はまたまた感心した。

 診察の結果、結局僕は手術を受けることになった。実際の手術までに、予備検査や予備治療があり、手術はおそらく数週間後になると思われた。僕の京都滞在も、長丁場になりそう。でも、僕はその日の結果に満足していた。ともかく、「プロジェクト」は動き出したのである。

「本当に、ここまでして日本に来る必要があったのだろうか。」

と僕は、正直、何度か後悔しかけた。しかし、その気持ちはなくなった。心から願うのは、京都の病院が、コロナ感染者の増加により、閉まったり、入院や治療を制限したりしないことである。何とか、このまま走って欲しい。