ギックリ腰

 

休暇中、やっとギックリ腰が癒えて、ローガン・ロックまで登れた。

 

日本から英国に戻り、十日間の隔離期間を終わって、ホース・サンクチュアリでの仕事を再開してから一週間目、ギックリ腰になった。朝九時、水遣りをしているところだった。バケツの中を洗おうと思って、前かがみになった瞬間、「ピキッ」っという音がして(おそらく僕の心の中で)、腰に鋭い痛みが走り、動けなくなった。

「あちゃ〜、またやってしもた。」

僕はこれまで、三回ギックリ腰を経験していた。これは、もうベテランの領域。だから、こんな風になったら、しばらくは激痛で動けないことを知っていた。今回は、広い牧場の真ん中。助けを呼ぼうにも、周囲百メートル以内には誰もいない。

「国際救助隊、サンダーバードを呼ぼうか。」

と一瞬思った。

「もし、サンダーバードを呼んだら何号が来てくれるんだろう。ここは英国なので、地理的に言って、レディ・ペネロープが、執事のパーカーの運転する、ピンクのロールスロイスで来る確率が高いかな。」

冗談を言っている場合ではない。

「何とか車までたどり着いて、運転して帰ろう。」

という選択肢も、僕にはなかった。その日は、自転車で牧場へ来ていたのだった。

ポケットの中に携帯があったので、妻に電話する。出ない。今朝、妻は娘のミドリとプールへ行くと言っていた。まだ泳いでいるのかも知れない。娘のミドリに電話すると、プールを出たところで、妻と一緒にいるという。妻に救助を依頼する。

妻が来るまで、ホースを持って、バケツの横にうずくまっていた。ホースから水が出続けているが、水道の蛇口は、百メートルくらい離れた場所にあり、そこまではとても行けない。三十分後、僕は妻によって助け出された。彼女が水道の水を止めて、自転車を厩舎の後ろまで持って行ってくれた。

それから丸一日、背中を伸ばすことが出来なかった。家の中を、腰を折ったまま、つたい歩き。家の中に手すりを付けて、そこでつたい歩きをしていた父の気持ちが分かった。

「ツー・マッチ・ツー・スーン。」(早くからやりすぎ。)

その日の夕方、娘のミドリに言われた。その通り、もう少し、ボチボチと始めるべきだった。病気治療のために京都に三か月いた。四月の初めに英国に戻ってからも、十日間の検疫隔離のため、ほぼアパートに缶詰め状態。足腰や腹筋背筋が弱っていたところに、無理をしたのだろう。牧場での仕事は、起伏のある柔らかい地面を歩かないといけないし、中腰の作業も多い。数日前から、腰が張って、チリチリと痛むことがあった。

「勝負の世界にも、筋書きはある。スポーツは筋書きのないドラマではない。」

と、故星野仙一監督は言っておられた。故障といえども、必ずその前に前兆があり、防止できるというのが、星野さんの持論。気付いた時点で休養していればと後悔するが、後の祭り・・・

 

 

ペネロープの乗っていた、ピンクのロールスロイス

 

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