ビールの値段

場末のバーで飲んだ一杯百三十円のビール。中ジョッキに一杯分だ。

 

タタバーニャの客先での仕事は思ったより早く終り、Aさんの運転でブダペストに戻ったときは、まだ午後二時頃だった。自分の会社のブダペスト支社まで送ってもらい、そこで報告書を書いた。仕事が順調に行っているので、金曜日まで残らなくても大丈夫そう。僕は、翌日、木曜日の夕方の飛行機で、英国に戻ることにした。

「金曜日まで居て、一日丸々観光に使おうかな。」

そんな魅力的な考えが心を過ぎる。しかし、僕のサラリーマンとしての良心がその誘惑に打ち勝った。

午後五時過ぎに支社を出る。世話をしてくれた同僚のZさんに、

「メトロ(地下鉄)に乗って帰りたいんだけど。」

と言うと、

「玄関を出て右に真っ直ぐ歩くと、フュー・ミニッツ(数分)でメトロの駅に着きますよ。」

とのこと。僕は、キャスターの付いた荷物をゴロゴロと引きずりながら歩き始める。しかし、行けども行けども駅には着かない。心配になって、通りかかったお姉さんに、道を聞く。

「このまま真っ直ぐ行けば、十分ほどでメトロの駅に着くから。」

と彼女は上手な英語で言った。そこからまだ十五分以上歩いて、ようやく僕は地下鉄一号線の終点の駅に着いた。涼しい気候なのだが、かなり汗をかいている。

「もう、嘘ばっかり。ハンガリー人の距離感覚はどうなってるの。」

とブツブツ言いながら、僕は二十四時間通用する切符を買った。これで、明日ブダペストを発つまで、地下鉄とバスは乗り放題なのである。

 先程も書いたが、ブダペスト地下鉄一号線はユネスコの「世界遺産」である。地面に溝を掘って、天井をつけた構造なので、極めて浅い場所を走っている。黄色い二両編成の市電のような電車が走っている。一編成に乗れる人数は僅かだが、二分おきくらいドンドン電車がやってくる。駅も極めて古風で、すぐにでも二十世紀初頭を舞台にした映画のロケができそうな雰囲気。ロンドンの地下鉄で一番古い、メトロポリタン線の駅に似ている。僕はつぶやく。

「確かに世界遺産だけの風情はある。」

 「英雄広場」という場所に行きたくて、途中で地下鉄を降りる。地図を見誤って降りる駅を間違え、かなり通り過ぎてから降りてしまった。喉が渇いたので、道の脇にあるバーに寄って、ビールを注文する。バーのお姉さんによると、ビール一杯は三百九十フォリントであるという。

「高いのかな、安いのかな。」

僕は早速頭の中で英国の通貨に換算する。八十ペンスである。ノルウェーで飲んだ同じ量のビールは八ポンドだった。つまり、ハンガリーのビールはノルウェーの十分の一!英国の五分の一!うれし涙。僕はハンガリーという国が一段と好きになってしまった。

 荷物をゴロゴロと引きずりながらの観光も骨が折れるので、僕はまずホテルに戻って、荷物を置いてくることにした。地下鉄を乗り換えてデリ駅まで行き、ホテルに寄って荷物を置く。その後、同じ道を戻って、英雄広場に着いたのは、午後七時前であった。しかし、ヨーロッパの夏のこと、辺りはまだ昼間と同じように明るい。地下鉄を降りた僕は、横断歩道を渡って、広場の中心に向かって歩き出した。

 

百五十年の歴史を感じさせる地下鉄一号線の駅。

 

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