日本の誇り新幹線

金沢に着いた夜、義父母と妹夫婦で食事に行った。最近は日本レストランもテーブルと椅子とが多い。

 

「新しい新幹線」ってのはちょっとおかしい。「新幹線」ってのは「新しい鉄道」って意味なんだから。ともかく、三月から新幹線が金沢と東京の間を走りだしたの。京都から金沢までは、新幹線じゃない普通の電車なんだよね。だから、僕は最初、新幹線に乗るために、京都>金沢>東京>京都という三角形の移動計画を立てたの。でも、それだと時間と金が掛かりすぎるのと、荷物を持っての乗り換えが面倒臭い。それで、結局、新幹線には乗るものの、金沢から三駅先の「黒部宇奈月温泉」って場所まで行って、戻ってくることにした。駅名が長くて覚えられないって。別に覚えなくていいよ。京都を出るときに、切符はその黒部宇奈月温泉まで買っておいた。金沢に着いて、まだ新幹線に乗ったことのない義父母に、

「明日新幹線に乗りに行きませんか。」

と聞くと、義母が僕の計画に乗ってきた。

金沢に着いた翌日、義父に金沢駅まで車で送ってもらい、義母と僕は新幹線の各駅停車タイプ「はくたか」に乗った。先頭車の自由席に乗ったんだけど、その車両に乗っている乗客は、僕たちを含めて三人だけ。いかに人気列車といえども、平日のお昼だからね。トンネルを抜けると砺波平野にある新高岡って駅に泊まり、もうひとつトンネルを抜けると富山。右手に立山っていう一万フィート以上ある高い山が見えてくる。富山の次の停車駅が黒部宇奈月温泉。まだ三十分しか乗ってないけど、義母と僕はそこで降りたの。

実は僕はこの町に半年間住んだことがあるんだ。大学を卒業して最初に入った会社が黒部市に工場のあるアルファベット三文字の某ファスナーメーカーだった。そこで半年間暮らしてから、ドイツへ派遣されたの。会社を辞めるとき、つまり一九九六年に最後にこの町を訪れたので、約二十年ぶりの訪問。

最初に黒部の町に住み始めたとき、

「何と田舎に来たもんだ。」

と思った。夜九時を過ぎると、「メインストリート」であろうと、パッタリと人通りがなくなってしまうの。あれから三十年、やっぱり田舎だった。駅前には稲刈りの終わった田んぼが広がり、農家の庭にはオレンジ色の柿の実がなり、細い道を自転車に乗ったおじさんが通り過ぎていく。まさに「日本の田舎」の原風景。

新幹線は、その駅で、富山と宇奈月温泉を結ぶ「富山地方鉄道」という田舎の電車と交差をしている。だから、とにかくその電車に乗ってどこかに行く他はチョイスがないの。僕たちはまず海を見に行くことにした。駅員に聞くと「石田」という駅で降りると海が近くにあるという。三十年前、僕がこの町で独身寮に住んでいたとき、

「石田へ泳ぎに行った。」

と誰かが言っていたことを何となく思い出す。きっと、自分でも何度か来たかも知れない。十分ほど電車に乗る。電車は昔の北陸線、今は「あいの風とやま鉄道」って言うんだけど、その線路をまたぎ、石田駅に着いた。自動車車学校の看板が立っている他は見事に何もない場所。数分歩くと海岸に出た。広い砂浜。海は青くまだ夏の色が残っていた。向こう岸に見えるのが能登半島。この辺りは春先に「蜃気楼、ミラージュ」が見えることで有名な場所なんだ。

 

いよいよこれから新しい新幹線に乗る。古い新幹線があるかどうか知らないけど。

 

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