田子の浦

 

「富士山」というナンバープレートが可愛い〜!

 

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」

交差点に出ている「田子の浦港」という標識を見て、僕は百人一首の中の山辺赤人の歌を思い出した。田子の浦から富士山が見えるは、昔も今も同じ。目の前には富士山が聳えている。僕はその時、静岡県の富士市から裾野市に向かって運転している途中だった。

「何で、日本人は富士山が見えると、何となく嬉しくなるんだろう。」

僕は思う。東海道新幹線に乗っても、窓から富士山が見えると、何となく、「ラッキー」という感じ。北陸新幹線に乗っていて、立山が見えるのと、感動の度合いが全然違う。日本人にとって、富士山というのは、特別な意味のある山なんだ、とつくづく思う。それは、子供の頃からの「刷り込み」なのだろうか。

「それにしても、日本で車を運転するなんて、何年ぶりだろう。」

僕は考える。三十年以上ぶり?英国と同じ左側通行だし、標識は読めるし、まあ、基本的に問題はないのだが。今回初めて国際免許証を取って一時帰国したのだった。

その日は、ジャパンレイルパスの有効期限の最後の日。僕は京都から新幹線「こだま」で新富士まで行き、駅前でレンタカーを借り、富士山の裾野へ向った。京都から「こだま」で新富士まで二時間半かかる。「のぞみ」に乗れば、二時間ちょいで東京まで着いてしまうご時勢、

「いくら、各駅停車だと言っても、途中の静岡県まで、どうしてそんなにかかるの?」

と最初不思議に思ったが、実際乗ってみるとその理由が分かった。駅に停まるたびに、「のぞみ」や「ひかり」に二本ずつくらい抜かれ、その都度五分ほど停車しているからであった。

 息子が結婚したが、彼に、富士山の裾野にある別荘を買わないかと持ち掛けた方がいた。時間のない息子に代わり、父親の僕がその下見に来たというわけ。昼前に新富士について、「駿河湾で獲れた魚の天ぷら蕎麦」というのを駅前で食べ、僕は駅前のレンタカー屋へ行って車を受け取った。

 富士市から裾野市までの道は、ほぼ上り一方。カーナビがあるので、迷う心配はないが、借りた車が小さな「ニッサン・マーチ」なので、喘ぎ喘ぎ登っていくという感じ。しかし、富士山がどんどんと近づいてくるのは感動的である。一時間弱運転して、裾野市の別荘地に着く。目の前には、富士山がド迫力で聳えている。

 別荘地の管理事務所に車を停め、Iさんという職員の方に案内してもらう。何か、ゴーストタウンにいる感じ。

「バブルの時に開発されて、その時は羽根の生えたように別荘が売れたんですが。今じゃその世代が引退して、半分が空家ですわ。」

Iさん。しかし、この富士山を見られるなら、ここに別荘を持つのも悪くない。果たして、息子の決断はどうなるのかな。