おしん

 

京都に着いた日の夕食。娘たちと。母は生まれて初めてシャンパンを飲んだ。

 

「私、子供の頃に『おしん』のテレビを見て感動したのよ。」

とエレンさんが言った。「おしん」、一九八三年から八四年にかけて放送された、NHKの朝の連続テレビ小説である。小林綾子の演じる少女時代のおしんが、涙と共感を誘った。中国でも放送され、人気を博したと聞いたことがあった。

場所は、京都西大路のしゃぶしゃぶレストラン。息子夫婦、ハンさんご夫妻、それと僕の母が、顔合わせのための夕食会に望んでいた、ハンさんとエレンさんが、僕の母たちに会うのはもちろん初めてである。(僕には生母と、継母のふたりの母が京都にいる。)

「お母ちゃん、言葉のことは考えんと、ドシドシ質問してね。色々な質問がある方が、話題が豊富になって面白いから。」

僕は、前もって母に頼んでおいた。その通り、母はハンさん夫婦に次々と色々なことを質問した。

「子供の頃はどこで何をしていたんですか?」

とか。ハンさんは、自分の右手の人差し指を母に見せて言った。

「私の子供のころは貧しくて、草刈りをして、刈った草を売って、生計を助けていたんです。そのとき鎌で何度も切った跡が残っています。」

ハンさんの人差し指の第二関節は、白く硬くなっていた。

母は、東京大空襲で何十万もの人が亡くなった中で、何とか生き延び、僕の祖父母と一緒に、京都に逃れて来た。現在住んでいる狭い京都の実家には、終戦当時、母の両親、姉妹、親戚の人など、十人近く人が住んでいたという。僕は戦争中、終戦後の苦労人を何度も母や祖父母から聞いていた。そんな昔の苦労話で盛り上がっていたとき、エレンさんが突然「おしん」の話を始めたのである。共通の話題があると益々盛り上がる。

 しかし、母は日本語しか話せないし、ハンさん夫妻の一番理解できる言葉は中国語である。それを両方理解できて、通訳できるのは・・・息子だけ。僕は、同じような状況を知っていた。食事の際の通訳、話すことに神経を使って、何を食べたか覚えていないことが何度もあった。息子にはちょっと負担をかけたかなって感じ。

 食事が終わって外に出る。ゾーイはかなり疲れていた。そうだよね。彼女は昨日の披露宴の後、二次会、三次会、四次会まで付き合い、寝たのは朝の四時だというのだから。タクシーで旅館へ戻る。

「ちょっと凝りすぎたかな。」

僕は、旅館のチェックインをしながら、後悔半分、心配半分の気分だった。今回、四人のために予約したのは、京都の町家をそのまま利用した旅館。定員六名。ハン一族が二日間独占することになる。僕が生まれ育った家を思い出させる作り。畳の上に布団を敷いて寝てもらい、朝食はご飯とみそ汁と漬物。それまで、東京と金沢で、彼らは近代的なホテルに泊まっていたので、ちょっと趣向を変えたのだが。冒険しすぎ?

 

「親の会」のメンバーたち。今回結構濃密な時間を過ごした。

 

<次へ> <戻る>