全十作の「ヴァランダー」シリーズを紹介していきたい。

 

「顔のない殺人者」Mӧrdare utan ansikte 一九九一年

「顔のない殺人者」の初版のカバー。

 

一九九〇年。イスタドの近くの村。ある一月の寒い朝、老人が隣の家を見ると、窓が開いたままになっている。彼は、隣人の夫人の叫び声を聞いたような気がした。彼が、隣人宅に様子を見に行ってみると、その家の主人、年老いた農夫のヨハネス・レヴグレンが、顔が潰れ、足の骨が露出するくらいのひどい暴行を受けて死んでおり、その傍で彼の妻、マリアもロープで首を絞められ、意識不明で倒れていた。彼は警察に連絡、クルト・ヴァランダーとその部下が駆けつける。ヴァランダーも部下も、余りの残虐な光景に吐き気を催す。意識不明の妻も、数日後に病院で息を引き取る。死の直前に一瞬意識を取り戻した彼女は、

「外国人が。」

という言葉を残す。

イスタド警察署にヴァランダーの率いる捜査本部が置かれる。現場検証を担当したリュドベリの意見では、夫人の首に巻いたロープの結び目は、スウェーデン人によるものではないと言う。スウェーデンにいる「外国人」をターゲットに捜査が展開される。スウェーデンの片田舎と言っても、外国人は数多くいる。折しも、東ヨーロッパやアフリカ、中近東からの亡命希望者がフェリーボートに乗ってスウェーデンの港に到着、その亡命希望者たちで収容所はあちこちで満杯となり、当時スェーデンの社会問題になっていた。税金が外国人の為に使われ、治安は悪化する。外国からの移民をこれ以上受け入れるべきかという議論が、政治的な議論の中心となっていた。

警察が外国人を犯人であると確証しているという情報が、テレビで放送されてしまう。

「やはり犯人は外国人だったのだ。」

と、ただでさえ、政府の移民政策に反対する機運が強いところへ、更に反外国人の感情が高まってしまう。移民収容所に放火され、その後、収容所の近くを散歩していたソマリア人の亡命希望者が何者かに射殺される。ヴァランダーと警察は、農夫夫妻の殺人事件に加え、亡命希望者の殺人の捜査を背負い込む。

事件から数日後、殺された農夫の妻マリアの兄弟と名乗る、ラルス・ヘルディンと男が警察に出頭する。ヘルディンは、平凡な農夫だと思われていた被害者のヨハネス・レヴグレンが、第二次世界大戦中に、肉をナチスドイツに密売することにより金を儲け、現在もかなりの財産を蓄えていること、また少し離れたクリスティアンスタドという町に、愛人を囲い、子供まで産ませていること、更に妻のマリアにはまったくその金や愛人の事実を隠していることを告げる。ヴァランダーは殺された農夫の銀行口座を調べる。果たして、そこには農夫のつつましい生活からは考えもつかないような大金が残されていた。単なる物取りの犯行としては余りにも残忍な点に不審を抱いていた警察にとって、怨恨、金を巡るトラブルという新たな可能性が生まれてくる。季節は陰鬱な冬。天候と、家庭問題に悩まされながらも、ヴァランダーの捜査が続く・・・

 

世界で一番一人当たりのコーヒーの消費量が多いのはドイツであるそうだが、スウェーデン人もそれに負けずにコーヒーを飲むようだ。ヴァランダーもやたらとコーヒーを飲む。朝起きて飲み、父親のアトリエで飲み、同僚に頼んで部屋に持ってきてもらい、捜査の合間に警察の食堂で飲み、朝、昼、晩とコーヒーばかり飲んでいる。また、ヴァランダーの睡眠時間がやたらと少ないことにも驚く。遅くまで署に残り、夜の見張りを引き受け、目が覚めると早朝でも、居ても立っていられなくなって、警察署に駆けつける。働き中毒のかつての日本人も裸足で逃げ出すような長時間労働なのである。妻のモナに逃げられて独り暮らしだからこのような生活が送れるのか、それともこんな生活ぶりに妻が愛想をつかしたのか。 

ヴァランダーの捜査術は、かなり直感によるところが多い。「何かがおかしい」とふと感じたところに、執拗にかじりついていく。その直感とねばりには、誰もが一目置いている。しかし、ヴァランダーは論理の人ではない。論理的な推理は、同僚のリュドベリが引き受けている。ヴァランダーは自分の直感をいつもリュドベリに話して、彼の意見を聞き、軌道修正を行っている。また、事件の解決への過程は、彼の独壇場ではなく、そこには、いろいろな協力者が登場する。そう言う意味では、チームワークの勝利でもある。同僚のリュドベリについては述べたが、クリスティアンスダドの刑事、ギョラン・ボーマンもよき理解者で協力者である。何より、銀行の窓口に座っている、やたらと記憶力のいい若い女性、ブリッタ・レナ・ボーデンの協力なしでは、今回の事件の解決は語れない。

文章の歯切れの良さは素晴らしい。随所に、単語だけのセンテンスが散りばめられている。景色を半ページに渡って長々と説明する箇所などがないのも良い。もっとも、スウェーデンの田舎町が舞台では、あれこれ説明するような景色も、歴史のある建物も少ないのだろうが。会話も説明も最小限で、軽快で、最後までテンポを失うことなく読める。そう言う意味では、かなりテレビの脚本を意識して書かれたという印象を受けた。

 

 

「リガの犬たち」Hundarna I Riga 一九九二年

    

ヴァランダーを演じた三人の俳優。ロルフ・ラスゴルド、クリスター・ヘンリクソン、ケネス・ブラナー。

 

一九九一年の二月、悪天候のバルト海を航海する小さな船があった。物資をスウェーデンから旧共産圏に密輸する船である。その船の持ち主は、波間に漂う赤いゴム製の救命ボートを発見する。近寄ってみると、ボートの中では二人の男が死んでいた。自分が密輸に関与しているだけに、警察との関わり合いを恐れた男は、ボートをスェーデンの海岸近くまで曳航し、海岸の近くで切り離し、スウェーデンの海岸に漂流させるように仕向ける。そして、上陸後、警察に「二人の死体を乗せたボートが近々海岸に漂着する」と予告をする。

果たして、ボートはイスタドの近くの海岸に漂着し、イスタド警察の警視クルト・ヴァランダーがその捜査を担当する。ボートからは、船の名前や国籍を表示するものは一切発見されない。ボートの中の身なりの良いふたりの男は、拷問をされた上で、射殺されていた。検視を担当した医師は、その歯の治療法から、ふたりが東側、つまり旧共産圏の人間であると主張する。(国によって歯の治療の仕方にも特徴があるらしい。)

冒頭にも述べたが、バルト海は、多くの国々が面する海である。国際的な犯罪の可能性があると言う理由で、ヴァランダーの上司、ビョルクは外務省と、警視庁の協力を受け入れる。ヴァランダーは何も分からない状態で、何故政府がこの事件に関与してくるのかを不思議に思うが、上司の考えを受け入れざるをえない。

ラトヴィアが、外務省を通じて、殺されていた二人の男が、おそらく自国の麻薬組織の人間であることを知らせてくる。その確認のため、ラトヴィアの首都リガから、リーパ少佐が派遣されてくる。(ラトヴィアの警察組織は軍隊的な階級が使われているようだ。)リーパは極めて有能な警察官であった。リーパは二人の死体を確認する。しかし、そのとき、大胆にも警察に泥棒が入り、救命ボートが盗まれてしまう。

リーパは遺体とともにスウェーデンを去る。しかし、数日後、リーパがリガに到着したその夜、何者かに殺害されたという知らせが入る。そして、その捜査のために、ヴァランダーはリガへの出張を要請される。ヴァランダーは、自分が行くことが何故捜査の助けになるのか不審に思いながらも、リガへ向かう。彼の目に映ったリガの街は、全てが寒々として、陰鬱な印象であった。リガで彼はリーパの上司であるという、プツニスとムルニエスというふたりの大佐に引き合わされる。寒いホテルの部屋にいる彼の元に、ホテルのメイドを装った女性が訪れる。彼女は、ヴァランダーがリーパに別れ際に贈った本を持っていた。ヴァランダーは、彼女が殺されたリーパの妻であることを知る。

ある夜、ヴァランダーはリーパの妻から、呼び出しを受ける。巧妙に計画された方法で、彼は教会で彼女と会う。その後、目隠しをしたまま自動車に乗せられて、リガ郊外の某所で、殺されたリーパの協力者であるというウピティスと男に会う。そこで、リーパが政府や警察の高官が絡んだ事件を捜査していたこと、そしてリーパが、警察の上司であるふたりの大佐のうちいずれかがその事件の首謀者である証拠を掴んでいたこと、彼がその事件の発覚を恐れるふたりの大佐のいずれかに殺害されたことを、ウピティスから告げられる。

翌日、リーパの妻、バイバと会ったヴァランダーは、彼女に、自分の夫を殺した犯人を見つけることを依頼される。彼女に好意を持ったヴァランダーは、彼なりに事件の真相に迫ろうとする。しかし、ある日突然、ウピティスがリーパ少佐殺害の犯人として逮捕され、ウピティスもそれを自供してしまう。事件は解決したことになり、ヴァランダーはスェーデンに戻される。

スウェーデンに戻ったヴァランダーは、バイバ・リーパより助けの手紙を受け取る。彼はバイバを助け、リーパの握っていた真相を解明するため、アルプスにスキーに行くという口実で休暇をとり、密かにラトヴィアに侵入する・・・

 

これはもう推理小説というより、アクション小説(そんな範疇があったら)と言った方がよい。 物語は、大きくわけて三つの部分に分かれている。

@     スェーデン:流れ着いたボートと死体をめぐる部分

A     ラトヴィア:ヴァランダーが公式にラトヴィアを訪れリーパ殺害の捜査に協力する部分

B     ラトヴィア:ヴァランダーがリーパの妻を救うために、非合法にラトヴィアに入国する部分。

前半の、スェーデンの部分は、淡々としたミステリー小説の展開である。真ん中の部分は、まだ警察権力の強大な旧共産圏で情報を収集する、スパイ小説的な展開である。しかし、最後の部分では、ヴァランダーは単身敵地に乗り込む「ランボー」「インディ・ジョーンズ」みたいな男になっている。いくつもの絶体絶命の危機を何度も乗り越えるのだが、それが何度も繰り返され、ちょっと現実離れしすぎていて、ストーリーに入っていけなかった。リガの警察署に侵入して、下痢が我慢できなくなり、ゴミ箱で用を足すところが、まあ幾分人間的かというくらい。

ヴァランダーは第一作で

「もう、俺たちの時代は終わった。」

と何度も言っている。つまり、古いタイプの犯罪が新しい犯罪に取って代わられ、足で捜査をして解決する方法が通じなくなってきているというのである。今回、ヴァランダーは、真剣に転職を考え、机の中に、就職のための履歴書を準備している。

第一作で、彼の助言者であり、彼の捜査方針を軌道修正してくれたリュドベリは亡くなっている。ヴァランダーは彼のいないことを嘆き、リュドベリならこんなときどうするかと何回も自問する。また、第一作での、ヴァランダーの検察官のブロニンへの愛着は冷めている。その代わり、バイパ・リーパへの愛に取り付かれる。最後に生命の危険を冒して、非合法にラトヴィアに乗り込むところは、正義感と言うよりも、バイパを助けるため、それどころか愛する彼女との再会が目的と思われる。

この地域とこの時代について、リーパ少佐が、的を得た一言を述べている。

「共産主義は沈み行く船、犯罪者はそれを察知して逃げるネズミだ。」

瓦解する共産主義、広がるヨーロッパを目の前に、一九九〇年代の前半は、犯罪者たちが、新しい稼ぎ所を求めて、スウェーデンをはじめどんどん新しい地域に進出している時代なのである。そして、それで一儲けしようという輩が、政府や警察の中にさえいる。

 「リガの犬」という題名であるが、この「犬」とは何か。「この国の将来が犬たちの貪り食われるという悪夢を阻止しようとする者たち」と反体制指導者のウピティスは自分の組織の説明をする。(235ページ)ここでの「犬」は、ラトヴァアの利権を、国民の財産を、混乱に乗じて、私欲のために利用しようとする貪欲な輩を表している。

「ヴァランダーは外の暗闇のなかから自分を見張っている犬のことを考えた。大佐の犬、彼らは決して監視を怠らない。」(239ページ)

「犬」は同時に、狙った獲物は絶対に逃がさない、命令に対する従順さとその執拗さの代名詞でもある。

 

 

白い雌ライオンDen vita lejoninnan 一九九三年

ヴァランダーの働いていたイスタード警察署、目の前に水道塔がある。

 

スウェーデンと南アフリカで、ストーリーが同時進行する。

プロローグは一九一八年の南アフリカ、ヨハネスブルク。三人のボーア人の若者が喫茶店に集まっている。ボーア人とは、オランダから移住した白人たち。しかし、後から移住してきた英国人との戦いに敗れて、英国人に対し服従を強いられている。三人の若者は、自分たちボーア人の権利を守るための結社を作る。それはフリーメーソンのような一種の秘密結社であった。結社は、決して社会の表面には出ないが、裏側での次第に勢力を増し、社会を影で支配するようになる。そして、南アフリカの人種差別政策の基盤組織となる。その結社の存在は、白人社会の崩壊まで続いた。

一九九二年の四月二十四日金曜日(マンケルの小説は、日時がいつもはっきりと記されている、おそらくその日の天気まで考慮されているのではなかろうか)、スウェーデン南部のイスタドで夫と共に不動産業を営むルイーゼ・エカーブロムは、イスタド郊外の売り家を見に行く途中、道に迷ってしまう。彼女は、人里離れた場所にある一軒の家を見つけ、道を尋ねようとする。庭に入っていった彼女は、その家の中から現れた男に射殺される。

月曜日、イスタド警察署。ヴァランダーの機嫌は最悪であった。週末、彼の家に泥棒が入り、彼の大切にしていたステレオとオペラのレコードを盗まれてしまった。(警察官なのに泥棒に入られたという世間体の悪さもかなりのものだろう。)その上、八十歳を越える父が、家事を手伝いに来ている三十歳も年齢の離れた女性と結婚したいと言い出した。その機嫌の悪い彼を、ルイーゼの夫、ロベルト・エカーブロムが訪れる。憔悴したロバートは、妻が金曜日から家に帰っていないことをヴァランダーに告げる。夫と小さなふたりの子供を残しての失踪、そこから犯罪の匂いを嗅ぎ取ったヴァランダーは、直ちに捜査を開始する。

ルイーゼが最後に訪れたと思われる場所を捜査中の警察官の前で、近くの家が爆発、炎上する。そして、その家の庭からは、切り落とされた黒人の指が発見される。また、燃え落ちた家の中から、ロシア製の無線機と、南アフリカ製のピストルも発見された。更に数日後、ルイーゼの乗っていた車が近くの沼の中から発見され、彼女自身の遺体も、その近くの古井戸の底から発見される。

南アフリカ共和国。国際社会への復帰を国策と考えるデ・クラーク大統領は、永年囚われの身であった黒人指導者ネルソン・マンデラを釈放、人種差別政策からの決別を推し進める。しかし、永い期間にわたり、人種差別政策により恩恵を受けていた白人の一部は、デ・クラークを許し難い裏切り者と考える。ボーア人の血を受け継いだ政府情報局員ヤン・クラインも、その一人であった。クラインは、デ・クラークの民族融和政策を潰し、国を混乱に陥れるため、マンデラの暗殺を計画する。そして、その計画を同じく人種差別論者の白人を集めた委員会に提案する。計画は承認され、実行に移されることになる。実行の中心は立案者のヤン・クライン自身と、警察の上層部にいるフランツ・マランである。

彼らの計画とは、プロの暗殺者を雇い、遠方からの狙撃によって、マンデラを暗殺することであった。まず南アフリカ国内で黒人の殺し屋を調達、次に、その殺し屋をスウェーデンに送り、そこで元KGBのコノヴァレンコという男の下で訓練させる。その上で、暗殺者を南アフリカに連れ帰り、計画を実行しようという算段であった。コノヴァレンコは、同じくロシアからの脱出者であるリュコフとタニア夫婦の協力を得て、スウェーデンで南アフリカから送られてくる「殺し屋」の受け入れ準備を進める。

プロの殺し屋を自認するヴィクター・マバシャがその任務に選ばれ、スウェーデンに来る。彼はイスタドの近くの人里離れた家に滞在し、コノヴァレンコの指導の下、射撃訓練に励む。しかし、マバシャはあからさまに黒人を蔑む態度を取るコノヴァレンコに反感を覚える。ある日、コノヴァレンコが偶然通りかかった女性(ルイーゼなのであるが)をいとも簡単に射殺するのを見たマバシャは、コノヴァレンコの残忍さに堪忍袋の緒を切らせて、暗殺者としての役目を降りると宣言する。コノヴァレンコはそれを許さない。ふたりは格闘となり、その際、マバシャはコノヴァレンコに指を切られるが、マバシャはコノヴァレンコを意識不明になるまで叩きのめして、車で家を出る。そして、スウェーデンの国内を、宛もなく逃亡することになる。

逃亡したマバシャをコノヴァレンコは追う。ストックホルムのリュコフの元に戻ったコノヴァレンコは、「裏」の社会でマバシャの首に賞金をかける。そして、その金を得るために銀行強盗を働く。銀行を襲った後、警察の追跡を逃れる際に、コノヴァレンコは追っ手の警官のひとりを射殺してしまう。

ヴァランダーの依頼で調査した結果、イスタド郊外でルイーゼを殺した弾丸と、ストックホルムで警官を射殺した弾丸は同じ銃から発射されたものであることが分かる。ヴァランダーはストックホルムの警察と協力して捜査をするために、ストックホルムへ向かう。

コノヴァレンコとリュコフは、マバシャの立ち回り先のディスコを催涙ガスで襲撃するが、すんでのところでマバシャを取り逃がす。その知らせを受けそのディスコを訪れたヴァランダーは、バーテンダーの証言で、コノヴァレンコという男が左手に指のない黒人を追っていたことを知る。

闇の世界に君臨するロシア人ということで、リュコフの名前を知ったヴァランダーは、単身リュコフの住居を訪ねる。彼は、リュコフと妻のタニアがコノヴァレンコと関わりの有ることを直感する。しかし、ヴァランダー訪問の翌日、ストックホルムの警察が、リュコフのアパートを捜索したとき、そこは既にもぬけの殻であった。もう一度、事件のあったディスコを訪ねたヴァランダーは、外で待ち受けていたマバシャに殴られ、隠れ家の墓地に連れ去られる。その墓地をコノヴァレンコが襲うが、ふたりとも、かろうじて脱出する。

ヴァランダーはイスタドへ戻る。しかし、彼を追って、マバシャとコノヴァレンコもイスタドに向かう。コノヴァレンコは田舎の刑事と侮っていたヴァランダーが意外に手強い相手であることを知り、自分の計画遂行のためには、まずヴァランダーを片付けなくてはならないと、決心していた。

南アフリカでは、マバシャの逃亡の知らせを受けたクラインが、マバシャに代わる第二の殺し屋の派遣を決定する。保安警察のファン・ヘールデンが、クラインのネルソン・マンデラ暗殺計画を察知し、大統領のデ・クラークに報告する。しかし、そのファン・ヘールデンは、入院中にクラインに射殺されてしまう。デ・クラークは、若い検事ゲオルク・シェーバースに、マンデラ暗殺計画の捜査を命じる。シェーパースは、マンデラ暗殺計画の実行者がクラインであることを察するが、隙のないクラインは容易に証拠を残さない。

クラインは、逃亡したマバシャに代わり、別の殺し屋を見つけ、彼をスウェーデンのコノヴァレンコの下に送り、射撃訓練を受けさせる。隙のないクラインであるが、ひとつだけ弱みがあった。彼はかつて自分の屋敷で働いていた黒人の召使の娘ミランダに恋をして、頻繁に彼女の元に通い、子供まで設けていた。シェーパースは、その弱みを利用して、ミランダと仲間の黒人から、マンデラ暗殺事件の概要を知る。しかし、何時、何処で、それが実行に移されるのか、それは依然として謎のままであった。

イスタドで、ヴァランダーはマバシャを匿う。しかし、先回りをした、コノヴァレンコとリュコフはヴァランダーの自宅を襲いマバシャを連れ去る。ヴァランダーは襲撃者を追う。霧の中での追跡の際、マバシャはコノヴァレンコに射殺され、ヴァランダーはリュコフを射殺する。警察が、通報で駆けつけた時には、殺された二人の遺体を残して、ヴァランダーもコノヴァレンコも忽然と消えていた。

コノヴァレンコは別の隠れ家で、新たに送られてきた殺し屋の訓練を始める。霧の中の追跡劇で、コノヴァレンコを逮捕することのできなかったヴァランダーは一計を案じる。自分が囮となり、コノヴァレンコを引きずり出そうと言うのである。彼は、警察の自分の同僚には一切告げることなく、古い友人で競争馬の調教師であるステン・ヴィデンの家に身を寄せながら、コノヴァレンコを燻り出す計画を立てる。しかし、実際は、その逆になる。コノヴァレンコは、ヴァランダーの父親の下にいた娘のリンダを誘拐に成功。ヴァランダーをおびき寄せようとする。自分の計画が娘まで巻き込んでしまったことに大きな衝撃を受けたヴァランダーは、残された地図を頼りにコノヴァレンコのもとに向かう。

一方、南アフリカ。シェーパースはクラインを逮捕するものの、証拠不十分で釈放せざるを得ない。誰が、何処で、何時、マンデラを狙撃するのか分からないまま、時間が過ぎていくことに、シェーパースは強い焦りを覚えるのであった・・・

 

こうして、長々と粗筋を書いては見たものの、これを読んで、ストーリーの概要を把握していただける方がどれだけおられるであろうか。書いている私も、ちょっと無理があるなと思いつつ、それでも仕方なく書いた。何しろ、登場人物が多い。スウェーデン側では、イスタドの警視ヴァランダー、殺し屋マバシャ、元KGBのコノヴァレンコ、協力者のタニア。南アフリカ側では、暗殺計画の首謀者ヤン・クライン、デ・クラーク大統領、側近のファン・ヘールデン、検察官のシェーパース、クラインの愛人ミランダ等が、部分的に物語の主人公の役割を演じていく。

その登場人物たちが、次々と立ち代わり現れ、その都度彼らの心理描写があり、彼らが、それぞれの視線、それぞれの思考形式で、物語の語り手を演じていく。最初はその登場人物と場面の変換がまだ少ないのであるが、後半は、極端な話、同じ章の中でも語り手が変わるので、ややこしい。ひとつの出来事が、複数の人物の観点から語られることにより、その出来事の全貌が徐々に明らかになるという盛り上がりを楽しめ、最後に辻褄が合い、全貌が完全に理解できる。それは一種の満足感。そういった意味では、事件の捜査官と同じ気分を読者も味わうことができる。マンケルもなかなか考えている。とは言え、余りの登場人物と場面の多さに、読んでいてかなり疲れた。「多面的」というのが、マンケルの小説の最大の特徴と言えるが、その意味ではこの物語は頂点に立つものであろう。

「白い雌ライオン」というタイトルについて。物語の後半、南アフリカ側での主人公と言えるゲオルク・シェーパースが妻と共に、クリューガー国立公園へ行き、ナイトサファリを試みた際、月光の中に浮かび上がるライオンを見る。その「白い雌ライオン」の美しさに見とれていた彼らは、ライオンが自分たちに向かってきた時仰天して死さえ覚悟する。結局ライオンは彼らを襲うことがなく去っていくのであるが、シェーパースはそのライオンに、現在の南アフリカの置かれている状態を見るのである。

何故シェーパースがライオンの中に南アフリカを見るのか、説明はなかなか難しい。

「彼(シェーパース)は河床に横たわっていた雌ライオンを思い出した。ライオンが突然立ち上がり、彼らに向かってきたときのことを。猛獣は我々の中にいる、と彼は思った。彼は何が一番大切かを突然悟った。」(362頁)

「彼等(シェーパースと警部ボルストラップ)はプレトリアの郊外にあるヤン・クラインの家に向かった。ボルストラップがハンドルを握り、シェーパースは後部座席に埋もれるように座っていた。突然、彼はユーディット(シェーパースの妻)と共に見た、白い雌ライオンを思い出さざるをえなくなった。あれはアフリカの象徴だ、と彼は思った。安らぐ猛獣。立ち上がり、全力で襲いかかる前の静けさ。それを傷付けることはできない、自分が襲われる前に先手を打って殺すことだけができる猛獣。」(471頁)

「突然、月光の中に川岸に横たわっていた白い雌ライオンが彼(シェーパース)の頭を再び訪れた。彼は、ユーディットにまた自然公園へ行くことを誘ってみようと思った。また、あの雌ライオンに会えるかも知れない。そんな考えに耽りながら彼は車を降りた。その時、これまで、隠れていた何かを見つけたような気がした。終に、彼は月光の中の雌ライオンが彼に何を言おうとしたか理解した。彼はボーア人、白人である前に、アフリカ人なのだと。」(539頁)

眠っているように見えるが、一旦本気になると、世界の誰も止めることができない。それが現在のアフリカなのかも知れない。潜在力を持った眠れる猛獣というわけか。ちょっと買いかぶりすぎのような気もするが、意外に真実なのかも知れない。

前回、「リガの犬たち」で、ヴァランダーは表向き休暇と称して、単身ラトヴィアに乗り込んだ。今回も、ヴァランダーは警察の仲間から離れ単独行をとる。前回のラトヴィア侵入は好意を持つバイパの依頼ということで納得もいくが、今回の群れを離れての単独行はかなり理解に苦しむ点がある。はっきり言って、この点はヴァランダーへの感情移入が困難である。ともかく、今回も例によって、幸運と、驚異的な粘りによって、ヴァランダーは事件を解決に持ち込むが、その代償は大きい。正当防衛とは言え、人を殺したことによって、彼は事件の後深い鬱状態に陥るのである。

マンデラ暗殺計画は、ダムを破壊し、洪水を起こす行為に喩えられる。その企みに最初に気づいたファン・ヘールデンは次のように述べる。

「ネルソン・マンデラの殺害は、この国に起こりえる最悪の事態である。その結末は恐るべきものである。現在成立しつつある白人と黒人の融和と言うきわめて壊れやすい試みは、一瞬にして跡形もなく崩壊するであろう。洪水に国を飲み込ませるために、ダムを破壊するようなものだ。」(362頁)

我々読者はネルソン・マンデラが暗殺されず、その後、黒人として初の南アフリカ大統領となったことを知っている。つまり、クラインの企みが失敗することを知っているのである。まさか、いくら何でも、マンケルが歴史まで捻じ曲げないことは、作者と読者の暗黙の了解で分かっている。しかし、それでいて、最後の最後まで、読者をハラハラして読ませる、その点のマンケルの筋立て、語り口は素晴らしい。

父親の結婚。ヴァランダーがそれに反対するのは、新婦が三十歳年下であるという事ではないと思う。妻のモナがヴァランダーのもとを去り、娘のリンダもストックホルムで独り暮らしを始める。警察で唯一の相談相手だったリュドベリも亡くなった。そんな中で、ヴァランダーの孤独を分かち合える人間、それは一見一番分かち合えない人間である父親であったのではなかろうか。その父が結婚をして、新婚生活を始めることに対し、ヴァランダーに嫉妬の気持ちがあったことは否定できないと思う。

しかし、何故、南アフリカの殺し屋の訓練の場所が、スウェーデンなのであろう。アフリカは広いから、わざわざ金と時間を使ってスウェーデンに連れて来る必然性があるのか。しかし、それを言い出したら、物語自体が成立しないから、やめておく。ストーリー展開にとって都合の良い「偶然」について触れるのも。この事件によってヴァランダーが受けた心の傷を考えると、彼の復帰には少々時間がかかる気がする。

 

 

「微笑む男」Mannen som log 一九九四年

 

ヴァランダーの「住所」マリアガタンは実存する。筆者が訪れたときは角が古着屋になっていた。

 

プロローグ、大抵は海外であるが、今回はスウェーデン国内。それもイスタドの近郊である。イスタドに住む老弁護士、グスタフ・トルステンソンは、一九九三年十月十一日の夜、ファルンハイム城に住む顧客を訪れての帰り道、霧の中を運転していた。彼は、城に住む「いつも微笑を絶やさない男」を何故か非常に恐れていた。突然、椅子に座った人形が、道路の真ん中に現れる。彼は車を停めて外に出る。そして、そこで何者かに撲殺される。

ヴァランダーは、南アフリカから来た狙撃者事件の中で、(前作の「白い雌ライオン」)犯人のひとりを射殺したことで心を病み、一年半に渡り、職務から離れていた。最初は酒浸りの生活であったが、娘のリンダの説得により、酒を断ち、何とか立ち直りの足がかりをつかむ。時折、デンマークの海岸に滞在し、海岸を歩き回ることで、何とかトラウマから脱出しようとする。そして、最後に、彼は警察を辞めることにより、自分の新しい人生の再出発を計ろうと決意しいていた。

デンマークの海岸で、独り人生のリハビリに努めるヴァランダーを、友人の弁護士、ステン・トルステンソンが訪れる。ステンは、交通事故として警察に処理された、同じく弁護士である父親の死に不審を持っていた。彼は父親の死の真相を調べてくれるよう、ヴァランダーに頼む。しかし、警察を去ることを既に決心していたヴァランダーは、ステンの依頼を断る。

イスタドに戻ったヴァランダーは、新聞で、ステン・トルステンソンが、ヴァランダーを訪れた直後、事務所で何者かに射殺されたことを知る。その知らせによって、ヴァランダーの決心は覆る。イスタド警察署を訪れたヴァランダーは、辞表を撤回し、自分がステンの事件を捜査すると上司のビョルンに告げる。

ヴァランダーの警察への復帰は、同僚たちに歓迎される。ヴァランダーは、先ず、ステンの父親、グスタフの事故現場へと向かう。そこで、新たな証拠を彼は発見したヴァランダーは、老弁護士の死は事故ではなく、誰かに殺されたものであることを確信する。ヴァランダーは亡くなった親子の弁護士事務所の秘書、デュネール夫人を訪れる。彼女は父親の弁護士が、亡くなる数ヶ月前から何かに怯えていて、落ち着きがなかったと証言する。また、殺された夜、老弁護士が、ファルンハイム城の顧客を訪問していたと証言する。 

ヴァランダーは、ファルンハイム城を訪れる。何重にも警護された要塞のようなその城の主は、アルフレッド・ハーダーベリという男であった。世界を駆け回ってビジネスをするその男に会うことはできなかったヴァランダーは、秘書にできるだけ早く主人に会いたいと告げて城を離れる。

数日後、ヴァランダーはデュネール婦人から緊急の電話を受ける。彼女の家に駆けつけると、庭に地雷が仕掛けられていた。ヴァランダーは、弁護士事務所にかかわる何者かが、秘密が公にされるのを恐れて、次々と殺人を働いていることを確信する。

弁護士事務所から、二通の脅迫状が発見される。脅迫状は、ラルス・ボルマンという男が、一年前に廃業したあるホテルの封筒を使って投函していた。ヴァランダーとアン・ブリット・ヘグルンドは、そのホテルの元経営者を訪れる。ヴァランダーは、ボルマンという男が郡に勤める会計監査官であり、その直後に、森の中で首を吊った遺体で発見されたことを知る。ヴァランダーはボルマンが殺された弁護士と同じく、何者かの秘密を知ってしまい、口封じのために殺されたのではないかと推理をする。

ホテルの経営者を訪れる道で、ヴァランダーは自分の車が何者かに尾行されていることを察知する。帰り道、ヴァランダーの車に仕掛けられた爆発物で車は炎上するが、異常に気づいたヴァランダーとアン・ブリットは、直前に車から脱出し、難を逃れる。いよいよ、ヴァランダー自身も、姿なき犯人の標的となったのである。

ボルマンの元上司を訪ねたヴァランダーは、コンサルタント会社に郡の公金を騙し取られるというスキャンダルがあり、それを、ボルマンが、殺される直前に察知していたことを知る。ボルマンがその口封じのために殺されたという確信を、ヴァランダーはいよいよ強める。

ヴァランダーはファルンハイム城の主、アルフレッド・ハーダーベリと会う。スウェーデンの片田舎から一代で財をなし、スウェーデン実業界の重要人物のひとりである、この微笑を絶やさない男こそが、今回の事件の陰の首謀者であることを、ヴァランダーは見抜く。アン・ブリットの調査により、郡から多額の金を騙し取ったコンサルタント会社の影のオーナーが、ハーダーベリであることが判明する。ヴァランダーはハーダーベリを徹底的に洗うことにする。

しかし、ハーダーベリは実に抜け目のない男であった。捜査班はなかなか確固たる証拠をつかまえることができない。署長のビョルクは、地元の名士であるハーダーベリの犯行説に疑問を持ち、検察官のペア・アキソンも、クリスマスまでにハーダーベリの身辺に証拠が見出せないときは、他の捜査方針を取るように圧力をかける。ヴァランダーは焦り、自分の捜査方針について悩む。

そんなとき、膠着状態を破る自体が発生する。城の中から内通者が出たのだ。ひとりは元警察官で、現在は城の守衛をしているシュトレームという男。もう一人は、ヴァランダーの友人であり馬の調教師のステン・ヴィデンを通じて馬の世話係として送り込んだ女性であった。

シュトレームは約束の時間に現れない。内通が発覚し、シュトレームが殺されたと悟ったヴァランダーは、アン・ブリットと城に向かう。そして、彼女を城外に残し、単身城に忍び込む・・・

 

冒頭で、シーズンオフで人影のないデンマークの海岸を、何かに憑かれたように、歩き回る男が目撃される。これがヴァランダーである。前作「白い雌ライオン」で、一九九二年の初夏に、ヴァランダーは犯人のひとりを射殺し、もうひとりの犯人が、車で逃亡中に事故で焼死するのを目撃する。自らの手で人を殺してしまったことにより、ヴァランダーは、その後、極度の鬱状態に陥る。そして、一年半の間、ヴァランダーは休職するのである。その間の描写はすさまじい。気分転換のために、カリブ海の島での休暇を企てるが、朝から酒浸りの日々を過ごす。海に入ったのは一度だけ。それも、酒に酔って桟橋から海に転落したからである。その土地で、彼は地元の売春婦の家に転がり込み、有り金を全て取られた後、家から叩き出される。

ヴァランダーは何度も修羅場をくぐり、残虐な死を何度も目撃している人間である。「リガの犬たち」では、周囲の人間が大量の虐殺の真只中に身を置いた。そんな彼でも、自らの手で人を殺すと(たとえそれが、正当防衛でも)それほど大きな衝撃で、心に傷を残すものなのかと、不思議な気がした。 

しかし、酒浸りの日々も娘リンダの忠告で何とか歯止めがかかる。彼はデンマークの海岸で、自分なりのリハビリを始める。その結果辿り着いた、警察官を辞めるという決心も、友人の弁護士、ステン・トルステンソン死によって覆る。ヴァランダーは警察に戻り、捜査の指揮を執る。しかし、捜査の途中で、デンマークの海岸を宛てもなく歩く自分の姿が、何度も彼の頭に浮かぶのである。しかし、それは、次第に過去のものになっていく。

今回も、ヴァランダーの捜査方法は一貫している。「言葉に言い表せない『感じ』をおろそかにしてはいけない」という点である。つまり、「何かおかしい」という直感を大切にし、その原因をとことん分析していくことである。

警察学校を出て、イスタド警察署に配属されたばかりのアン・ブリット・ヘグルンドに対して、ヴァランダーは以下のように語る。(85頁)

「『何か分かったかい。』

ヴァランダーは尋ねた。

『少しずつだけど。』

彼女は答える。

『ふたりの弁護士の死について、何かがおかしいという感じがしてならないの。』

『俺も全く同感だ。どうしてそう思うの。』

『分からない。』

『明日の朝その点について話をしよう。俺の経験から言うと、言葉にならないことでも、決しておろそかにしてはいけない。』」

誰もが見過ごしてしまう点から、ヴァランダーが捜査のヒントを見つけ出すひとつの例として、交通事故として処理された老弁護士の死の後、その秘書と会話をする場面が挙げられる。(52頁)

「『全てが急ぎでした。』

秘書は言った。

『父親が二週間前に殺された後なので、息子さんはもちろん、測り知れないくらいの、恐ろしい量の仕事をかかえていましたから。』

ヴァランダーは少し面食らった。

『今、父親が殺されたって、おっしゃいましたよね。どうして、そんな言葉を選ばれたのかと不思議に思ったのですが。』

『人は自分で死ぬか、殺されるかのどちらかです。きれいな言葉で言えば、人はベッドの中で自然に死んでいく。でも、交通事故で死ぬのは殺されたって言ってもいいですよね。』」

しかし、ヴァランダーはこの会話から、秘書自身が、無意識のうちに、老弁護士の死は他殺である可能性を持っていることを感知するのである。

ヴァランダーの同僚として、アン・ブリット・ヘグルンドが登場する。警察学校を優秀な成績で卒業した、イスタド警察署捜査課にとっては初めての女性刑事である。優秀な女性の出現に、皆何となく遠慮をし、疑心暗鬼をおこし、ヴァランダーの同僚、ハンソンなどは研修にかこつけて職場に出て来ない。アン・ブリットに対する嫌がらせもある。女性の社会進出の先進国スウェーデンでさえ、女性の職場進出に対する男性の反応がこんなものなのかと、私は少々驚いた。ともかく、ヴァランダーは彼女の刑事としての素質を見抜く。彼女に推理や捜査方針を話すことにより、自分の考えをより論理的に整理できると考える。ヴァランダーは今回、彼女を主なパートナーとして選んでいる。人に話すことにより、自分の考えをまとめるというのは、私もよくやる手であるが、そのときには聞き役が大切であることは言うまでもない。そう言う意味ではアン・ブリットはヴァランダーにとって、最高の聞き役なのであろう。彼女は美人として描かれている。牧師になろうとしていたが、強姦されてから警察官を目指したという過去もちらりと語られる。

ストーリーの展開について。ファルンハイム城に住む「微笑む男」が黒幕であることは最初から読者に示めされている。殺されたグスタフ・トルステンソンがその冒頭で犯人を暗示している。

「あれは一月の半ばだった。その日は、バルト海から強風が吹きつけ、何時雪になってもおかしくなかった。濃紺のスーツを着て日焼けした男が彼に向かってやって来た。五十歳になるかならないかくらいの男であった。一月の天気にも、イスタドにも何か不似合いな男だと彼は思った。日焼けした顔に似合わない微笑を浮かべた男、この土地の人間ではいと彼は思った。」(9頁)

次は、ヴァランダーが始めて城の主に会ったときの印象である。

「『警察への協力は惜しみません。』

彼は、人を安心させる声を持っているとヴァランダーは思った。ふたりは握手をした。ハーダーベリは体にぴったりと合った、いかにも高そうな縞の背広を着ていた。ヴァランダーの最初の印象は、着るものや立ち居振る舞いを通じて、この男の完璧さが外に向かって誇示されているということだった。そして、この微笑。それは彼の顔から常に離れることのないように思えた。」

この時点で、もう、この微笑む男が犯人であることは間違いない。読者はヴァランダーと犯人との距離が、どのように縮んでいくかを追うわけである。

しかし、中盤から後半にかけて、犯人の目星がついてから、ストーリーは遅々として進まない。残り三十ページほどなのに、どうなるのかと、心配になり、焦ってくる。まあ、心配しなくても、最後にはきっちりと型がつくのではあるが。最後は例によって、ヴァランダーの単独行、大立ち回りの見せ場が作られるのである。その点、マンケルの作品はテレビ向きだと感じることが多い。

今回、金儲けのため、事業の拡大のためなら、人殺しも厭わない人間が現れる。このような人間を見たり聞いたりするたびに私は次のように思ってしまう。

「金を持って死ぬことはできないのに、どうして。」

いくら稼いでも、人間の使うことのできる金なんてたかが知れている。金は持って死ねない。結局散逸するか、他人のものになるのである。使うことの出来る以上の金を持つことは、全く無意味である気がするのだが。

ヴァランダーの記憶の中にある「絹の服を着た騎士」が登場する。金持ちの洒落者と言う意味であろうか。彼がまだ子供の頃、派手な背広を着て、アメリカ式のオープンカーに乗って、彼の父親の絵を買い付けに来る男たちを彼はそう名付けていた。ヴァランダーは、彼らに反発や嫉妬と供に、一種の憧れを感じていた。ヴァランダーが、城の主の前に立ったとき、まさに、子供の頃のこの感情が呼び起こされるのである。最後に、ヴァランダーの師であり数年前に亡くなったリュドベリの言葉を挙げておこう。「生きることも、死ぬことも、全てそれなりの潮時がある。」

 

 

「赤い鰊」Villospår 一九九五年

静かなイスタドの町。ここで何十人もが殺されるのはちょっと考えにくい状況である。

 

プロローグ:ドミニカ共和国。ペドロス・サンタナは産まれてきた娘をサンティアゴの町に連れて行く。そこで出会った司祭に頼み洗礼を受けさせ、彼女をドロレス・マリア・サンタナと名付ける。一九七八年のことであった。

 顔にインディアン風の化粧をし、ヘルメットをかぶり、よく研いだ斧を携え、小型バイクで出かける少年がいる。一九九四年の六月の深夜、イスタドの海岸。元法務大臣のグスタフ・ヴェターシュテットが、海辺にある自宅のすぐ側の砂浜で殺害される。犯人は斧でヴェターシュテットを殺し、その頭の皮を剥ぎ、持ち去る。

イスタド警察署。クルト・ヴァランダーは署に自分の父親の訪問を受ける。父親は不治の病に犯されていることを告げる。死ぬ前に一度イタリアへ旅行したいという父親は、息子に一緒にイタリアに来てくれるように頼む。

ヴァランダーは年老いた農夫から、自分の農園に誰かが無断で侵入していると通報を受ける。ヴァランダーがその農園に出向くと、菜の花畑の中に少女が立っていた。ヴァランダーが近寄ると、少女は自らにガソリンをかけ火をつけて焼死する。少女の身元は分からない。そばには「D.M.S.」と刻印された十字架が残されていただけであった。ヴァランダーは自分の目の前で起こった悲惨な光景に大きな衝撃を受ける。彼の娘は自殺した少女とほぼ同じ年頃であった。

追い討ちをかけるように、元法務大臣の死体が、砂浜のボートの下から発見されたという知らせが入る。被害者の家の掃除婦の証言で、元法務大臣の家に定期的に窓を外から見えないようにした黒塗りのベンツが出入りしていたことが分かる。しかし、犯人の目途はまったく立たない。

折しも、サッカーのワールドカップの真最中。スウェーデンは順調に勝ち進んでいる。国中が、ワールドカップに沸き立っている時であった。

少年は自らをFBIの初代長官フーバーとインディアンの酋長ジェロニモの生まれ変わりであると信じていた。六月二五日の夜、イスタド郊外に別荘を持つ画商のアルネ・カールマンは、大勢の人間を招待してパーティーを開く。深夜、独りで庭にいたカールマンを、少年は襲う。彼は、カールマンの頭を斧で叩き割り、頭の皮を剥ぎ、持ち去る。彼は、獲物の頭の皮を、姉の入院する病院の、窓の下に埋める。

捜査は進展を見せず、ヴァランダーを始め、イスタドの警察署は閉塞感に包まれる。ストックホルムから、犯罪心理学の専門家が呼ばれる。ヴァランダーはその残虐さから、この殺人が過去の行為に対する「復讐」であると考え、殺されたヴェターシュテットとカールマンの接点を見つけようと努力する。彼は、友人の元ジャーナリストから、ヴェターシュテットが政治家である時代、美術品の不正な売買で私財を肥やしていたという噂があったこと、カールマンが刑務所に服役時代、ちょうどヴェターシュテットが法務大臣であったことを知る。

菜の花畑で焼死して少女の身元が分かる。ドミニカ共和国で行方不明になった、ドロレス・マリア・サンタナであった。ヴァランダーは、何故、ドミニカ共和国で失踪した少女が、スウェーデンの片田舎に現れたのか不審に思うが、それを説明する材料はまだ何もない。

ヴァランダーはヴェターシュテットのガレージの屋根に「スーパーマン」の漫画を見つける。屋根からは家の中が見渡せた。犯人はそこからら、家の中のヴェターシュタットの行動を窺っていたに違いない。しかし子供の読む漫画と、残虐な犯人、そのギャップにヴァランダーは悩む。

政治家としてのヴェターシュテットを知る、かつての同僚をヴァランダーは訪ねる。そして、ヴェターシュタットが、政治家としての顔のほかに、少女と性的関係を持つことを趣味としており、常に買春行為をしていたと告げる。そして、それが明るみに出そうになると、法務大臣と言う地位を利用して揉み消してきたのだという。

少年の次のターゲットは父親であった。彼は、母と別居中の自分の父親を深夜呼び出す。ワールドカップで、その夜スウェーデンの試合があり、街の人通りが少ない時間を狙ってのことだ。彼は父親を殴り意識不明にさせ、目に硫酸を注ぎ、頭を斧で割り、さらに頭の皮を剥ぐという残忍な方法で殺す。そして、その死体を工事現場に捨てる。死体は翌日発見される。

ヴァランダーと同僚のアン・ブリット・ヘグルンドは、家族に、父の死を告げに行ったとき、この少年に出会った。ヴァランダーはその少年の早熟さ、聡明さに感心をして、むしろ好感を持つ。しかし、彼の早すぎる、正しすぎる回答にひっかかりを感じる。しかし、彼の頭の中には、まだ、この少年と連続殺人事件をつなげるものは何もない。

少年は、ヴァランダーをも、殺人のリストに加え、彼の近辺に現れ、反対に彼を監視しはじめる。

そして、第四の殺人。イスタドから少し離れた、ヘルシングボリの街で、大きな屋敷に独りで住む実業家のリーグレンが殺される。彼は、殺された後、顔を火のついたオーブンに突っ込まれていた。そして、今回も頭の皮が剥がれていた。

現場検証をするヴァランダーは、ガレージに置かれている、窓にスモークのかかった黒塗りの車を発見する。そして、その車が、ヴェターシュテットの家に出入りしていた車ではないかと疑う。また、リーグレンの邸に出入りの会った、高級売春婦のエリザベート・カーレンから、リーグレンが、自分の家に金持ちの男たちを集め、若い娘を提供して、乱交パーティーを催していたことを知る。

少年は、自分に付きまとうヴァランダーを疎ましく思う。少年は、自分の家を訪れたヴァランダーから鍵を盗み、その鍵を使い、ヴァランダーの自宅に侵入し、警視と娘のリンダを殺す機会を窺う。ヴァランダー推理が少年に辿り着くのが早いか、少年がヴァランダーを襲うのが早いか、予断を許さない状況となる・・・

 

物語のクライマックスは何と言っても、ヴァランダーが、父親ビョルン・フレードマンが殺された後(息子のシュテファン・フレドマンが殺したのであるが)、少年の家を訪ねるシーンであろう。読者はその十四歳の少年が、連続殺人の犯人であることを知っている。ヴァランダーはそれをもちろん知らない。利口で狡猾な少年は、ヴァランダーの質問に対して、実にソツのない受け答えをする。しかし、正しすぎる、早すぎる受け答えは、ヴァランダーに、微かな不審を抱かせる。

一緒に少年の家を訪れた、同僚のアン・ブリット・ヘグルンドに対して、ヴァランダーは次のように問う。(273頁)

「フレドマンの家族のところへ行ったとき、何か普通でないことに気が付かなかったか。」

「『普通でないこと』って。」

「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような。」

彼はそんな表現を使ってしまったことを、即座に後悔した。アン・ブリット・ヘグルンドは彼が何か不適切なことを言ったように顔をしかめた。

「娘のルイザについて質問したときに、彼らは答えをはぐらかそうとしたんじゃないかと。」

彼は言い直した。

「いいえ、でも、あなたの態度がそこで変わったってことには気づいた。」

彼女は答えた。

この「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような」感覚を持ち得るのが、ヴァランダーがヴァランダーである所以である。そして、その直感を、驚異的なねばりによって、真相へと導いていく。

しかし、残虐な殺人の犯人が十四歳であることは、ヴァランダーの推理を、常に誤った方向へと導いていく。事件解決の後に、ヴァランダーは次のように供述する。(498頁)

「彼はしばしばシュテファン・フレドマンのことを考えた。どうして、今回、自分が頑固に誤った捜査方針に走ったのか、よくよく考えた。十四歳の少年が殺人犯であると考えるとは、彼には到底不可能なことに思えたので、それを信じることを自分で拒否していたのだ。しかし、心の奥底では、多分シュテンファン・フレドマンを自宅の居間で会ったときすでに、彼こそが、自分が追っている事件の真相に近いところにいるという予感を持っていたのでないだろうか。それを予感しながら、事実を認めたくないがゆえに、自分を誤った捜査方針に駆り立てていたのではないかと。」

連続殺人事件と同時進行的に描かれている事柄がいくつかある。ひとつは、スェーデンにとって何十年ぶりの暑くて乾燥して夏、次に、サッカーのワールドカップにおけるスウェーデンの躍進に対する国民の熱狂、ヴァランダーの父親の病気(アルツハイマー)、そして、数日後に迫ってきたバイバとの休暇である。一九九四年は米国でワールドカップが開催されており、スェーデンは準決勝で敗れはしたものの、三位になっている。イスタドの警察署の中でも、警察官が(!?)トトカルチョをしている。そして、犯人もその熱狂を殺人に利用している。

ヴァランダーの父は一度錯乱状態になって、自分の描いた絵を突然燃やしだす。それを見るに付け、ヴァランダーは父親に残された時間が長くないことを感じ、その前に念願のイタリア旅行をかなえさせてやりたいと強く思う。そして、それも出来るだけ早く実現しなければならないのだ。バイバとの休暇が数日後に迫るが、捜査は一向に進展を見せない。しかし、ヴァランダーは何故か、リトアニアのバイバに電話をして、休暇の延期を告げることを躊躇する。それは、その日までに事件を解決できる自信があるからではない。単に、休暇を楽しみにしている彼女に、言い出せないだけなのだ。彼が休暇に間に合ったかどうかは、ここには書かないでおく。事件の他に、そうした悩みを癒してくれたのが、娘のリンダである。俳優を目指すことに方向転換したリンダは、数日間、ヴァランダーの元に泊まっていく。大人になったリンダとの会話が、今回のヴァランダーの活力源であった。

犯人の少年が、何故、殺人を犯すときに、顔に化粧を施し、裸足になり、斧を持ち、インディアンに変身するのか、興味がある。その答えを、ストックホルムから招かれた心理学者エクホルムが暗示している。

「変装は彼らを罪の意識から解放する。」(366頁)

つまり、殺人を犯したのは、「別の人格」であると考えることにより、本人はそれで罪の意識から解放されるのである。エクホルムは、今回の犯人が、見かけ上は「普通の人間」であると、何度もヴァランダーに警告する。そして、それが的を得ていて、もっとも犯人らしくない人間が犯人であることを、ヴァランダー最後に知るのである。

アン・ブリット・ヘグルンドが活躍する。彼女は、女性であるということで、警察の捜査課という男社会に慣れた、周りの男性の同僚から、最初、能力を疑問視される。しかし、そのてきぱきとした仕事振りで、次第に同等、いやそれ以上の評価を受けるようになる。ヴァランダーも、休日に彼女の自宅を訪れ、捜査上や、個人的な悩みを相談する。彼女の旦那は海外長期出張とか言うことで、いうも家にいない。小さな子供がふたりいるのに、徹夜の捜査も引き受け、休日にも出てくると言う、少し謎めいた女性である。ヴァランダーが余りにも彼女を信頼しているので、その感情が次作で恋愛感情に発展しないかと興味がある。

 

 

「五人目の女」Den femte kvinnan 一九九六年

 

例によって、物語は、スウェーデンからもヨーロッパからも遠く離れた異国の地で始まる。前作はドミニカ共和国であったが、今回は火の国、アルジェリアである。

テロリストの告白。アルジェリア人の若者である。彼は外国人を排斥するイスラム教過激派に属する兄の影響を受けて自分もテロリストなった。彼らはキリスト教会を襲撃し、そこで四人の尼僧を殺害する。しかし、そこにもうひとりの外国人女性が宿泊していた。テロリストは彼女も一緒に殺してしまう。

アルジェリア政府は、テロ事件が国のマイナスイメージになることを恐れ、それを内密に処理しようとする。しかし、その捜査に当たった女性警察官フランソワーズは、事件を闇から闇に葬ろうとする政府の姿勢に疑問を持つ。良心の呵責を感じた彼女は、殺された五人目の女性の身元を調べ、スウェーデンにいる娘に手紙を書く。その手紙を受け取った女性は、これまで長く自らの中に暖めていた計画を実行する時が来たことを知る。

一九九四年九月。父親の念願であったイタリア旅行に同行したヴァランダーは、父親との関係修復の糸口をつかんだと感じる。しかし、ローマから帰ったヴァランダーを待ち受けていたのは、また残虐な事件と、困難な捜査だった。夏の間に起こった十四歳の少年による連続殺人事件の余韻も冷めやらぬイスタドの町で、再び連続殺人事件が発生する。

第一の被害者はかつて自動車販売業を営み、現在は引退したホルガー・エリクソンである。彼は野鳥の観察を趣味とし、野鳥を題材にした詩を書き、それを出版していた。エリクソンは、深夜、渡り鳥を観察しようと自分の庭に出て死亡する。堀を渡る橋に何者かによる細工がしてあったのだ。堀へ落ちたエリクソンは、そこに仕掛けてあった尖った竹に串刺しになって死ぬ。

第二の被害者は花屋の主人のゲスタ・ルンフェルトである。蘭の研究家でもある彼は、蘭の観察のためケニアのナイロビに旅行しようとする。しかし出発の朝、何者かに自分の店に呼び出され、拉致さえる。主人が予定の日を過ぎてももどらないため、花屋の店員が警察に連絡、調べた結果、彼は予定された飛行機に乗っていないことが分かる。一週間後、痩せ衰えた姿で、森の木に縛りつけられ、絞殺されているルンフェルトが発見される。

第三の被害者は、大学の研究者であるオイゲン・ブロンベリである。彼は夜の散歩の最中、何者かに車で連れ去られる。麻酔薬を嗅がされた後、生きたまま袋詰めにされ、海に投げ込まれる。翌日、彼は水死体で発見される。

どの殺人も周到に準備された計画によるものである。ヴァランダーは、三人を殺した者は同一人物であると考え、先ず三人の接点を見つけようと努力する。しかし、その接点は容易には見つからない。

ヴァランダーが被害者について調べていくうちに、三人が三人ともに、隠された側面を持つ人物であることが分かってくる。エリクソンの隠し金庫の中からは、人間の頭部のミイラと、アフリカで戦ったスウェーデン人の傭兵の日記が発見された。ルンフェルトは花屋の他に私立探偵をやっていた。ブロンベリは女癖が悪く、妻以外の女性を妊娠させていた。しかし、何よりも、家族や知人の証言の中で浮かび上がる三人の共通点、それは三人がこれまで女性を虐待し続けてきたことであった。ヴァランダーは、三人の被害者の過去を暴くことにより、事件の核心に迫ろうとする。

捜査の最中、ヴァランダーは父を失う。イタリア旅行の後、やっと普通の親子の関係に戻れることを期待していたヴァランダーは、大きな衝撃を受ける。

ヴァランダーは、ふとしたことから、この残虐な犯行の中に、女性の関与を予感する。イスタドの病院の産婦人科病棟に深夜、看護婦の格好をした女性が二度侵入する。ひとりの助産婦がその偽看護婦を見つけ呼び止めるが、女は助産婦を殴り倒して逃げる。ヴァランダーはその病棟に、殺されたブロンベリの子供を孕んだ女性が入院していたことを知る。ヴァランダーはその偽看護婦こそ犯人であると確信する。

相次ぐ残虐な殺人事件の発生に、イスタドとその周囲の町々は騒然となる。あちらこちらで、人々が自衛団を結成して、自分たちの手で、村や町を守ろうと立ち上がる。ヴァランダーと警察は、犯人だけではなく、世論とも同時に戦っていかねばならない・・・

 

最初にも述べたが、筋立てが、前作の「赤い鰊」と似ている。具体的には、筋立てに以下のような共通点がある。

一、                   連続殺人事件である。

二、                   犯人が誰であるか、読者には最初から分かっている。

三、                   普通の市民として生きている、意外な人物が犯人である。

四、                   殺された被害者は過去に罪を犯しているが、司法によって裁かれていない。

五、                   殺人の動機はそのような人間による私的の復讐である。

六、                   犯人の動きと、警察の動きが別々に描かれ、次第に接点が現れ、最後に収束する。

よく考えられた、大作と言ってもよい作品なので、「二番煎じ」というイメージを抱かれながら読まなくてはならないことが、少し残念ではある。

今回も、ヴァランダーの直感が、捜査の転機となっている。そのエピソードはなかなか見事である。第二の被害者、ルンフェルトの旅行鞄が道端で発見され、警察署に運ばれる。そこで、ヴァランダーは、その旅行鞄を詰めたのが女性であると直感するのである。

「旅行鞄の蓋が開けられたとき、何かおかしいぞと思った。と言うのも、男と女は違った風に荷物を詰めると思うんだ。俺の勘では、この鞄を詰めたのはおそらく女だ。」(325頁)

ヴァランダーは、同僚の女性警官アン・ブリット・ヘグルンドと、もうひとりの男性警官に試しに荷物を詰めさえてみる。そして、自分の直感の正しいことを確認するのである。

次のエピソードは、殺されたオイゲン・ブロンベルクにより妊娠させられたた女性、カタリーナ・タクセルをヴァランダーが訪れるシーンである。このストーリーのクライマックスと言ってよい。

「『オイゲンを殺した人物が、早く捕まるといいですね。』

とタクセルはヴァランダーに別れ際に告げた。」(396頁)

そのとき、彼女は男、女という表現を避け、中立な「人物」(Person)という言葉を使う。ヴァランダーはそれにより、彼女が犯人を知っており、それが「男」あるいは「犯人」という男性名詞では表現できない、つまり女性であると知るのである。(名詞に性のあるスウェーデン語やドイツ語では、同じ犯人でも「男」と「女」で違う名詞を使わなければいけない。)

他の同僚が見逃してしまうような点からも、重要なヒントを見つけ出す。これこそ、ヴァランダーの真骨頂である。ただこれらは、捜査の指針にはなるが、証拠にはならない。ヴァランダーは今回も、自分の捜査方針が正しいものであるかどうかを、思い悩む。

「五人目の女」という題である。もちろん、修道院がテロリストに襲撃されたとき、四人の尼僧が殺され、五人目の被害者がスウェーデン人であり、それが事件の遠因になることによる。しかし、同時に、事件に関与する五人目の女性が犯人であることを暗示している。第一にエリクソンと関係があった思われるポーランド人のハーベマン。第二にルンフェルトによって虐待され殺されたと思われるその妻。第三にブロンベルクによって妊娠させられたタクセル、そして、そのタクセルと一緒に列車で働いた第四の女性。そして、その第四の女性が暗示した「第五の女性」、彼女が実は犯人なのであるが。

ヴァランダーと父親の関係は、彼が警察官になると父に告げた日から、ギクシャクしたものになっていた。ということはもう二十年以上ギクシャクしたままなのである。前作では、父がアルツナイマー病を患い、自分の人生の終焉を予感していることが語られる。死ぬまで一度イタリアを旅行したいという父の願いを聞き入れ、ヴァランダーは父とローマに向かう。そこで、父との関係の修復の糸口を見つけたヴァランダーは、これから、再び自分と父が普通の親子として生きてけると確信し、それを嬉しく思う。しかし、その父が突然死ぬ。ヴァランダーは何もなかったような態度で捜査を続けるが、内心、心の中では大きな空白が広がっている。捜査が行き詰ったときなど、父の墓の前に立つヴァランダーの姿には涙を誘われる。

「傭兵」というモティーフが現れる。一見、最後まで本筋には関係がないようであるが、実は、犯人の動機を暗示している。「傭兵」、つまり金で雇われて戦争に出かける、つまり金で人殺しをする連中である。犯人を逮捕した後、ヴァランダーは次のように回想する。

「事件が『傭兵』と関係しているというのは、あながち間違えではなかった。犯人が女性であり、金をもらっているのではないことを除けば。」(535頁)

他人のために戦った人間という意味で、犯人を傭兵と呼んでよい。

警察は自衛団の結成に厳しい態度を取る。道に迷った男を泥棒と間違え袋叩きにした「自衛団」のメンバーに対して、警察は厳罰で臨む。しかし、その結果、警察への反発が強まり、ヴァランダーの同僚で、家族思いで有名なマルティンソンの娘が同級生に乱暴される。「ストーリー」にも書いたが、ヴァランダーが戦う相手は犯人だけではない。相次ぐ事件のため警察を信用しなくなった民衆をも相手にしなくてはならない。厳しく対処しようとすればするほど、警察に対する不信と反感が高まるのである。警察にできること、それは只ひとつ、連続殺人犯人の一時間でも早い逮捕しかない。そのプレッシャーとも、ヴァランダーは戦う。

最後に、一言でいうならば、時間的にも、空間的にも盛り沢山のエピソードが交錯する、「多面的」な小説であると言える。

 

 

「一歩遅れて」:Steget efter 一九九七年

 

<プロローグ>

一九九六年六月二十二日、イスタド郊外の自然保護地区。林の中で、三人の若者が、十八世紀、ロココ風の衣装を身に付けて、夏至を祝うパーティーを始める。林の中に、ひとりの男が彼らを待ち伏せていた。真夜中過ぎ、すっかりいい気分になって横たわる三人の若者を、男は次々に射殺する。

 

<第一部>

その夏、ヴァランダーは疲労感、喉の渇きと頻尿に悩んでいた。そんなヴァランダーを、訪れる女性がある。夏至の日から姿をくらましている三人の若者のひとり、アストリド・ヒルシュトレームの母親であった。母親は娘の名前の入った絵葉書をヨーロッパの各地から受け取っていた。しかし、母親は、その絵葉書は誰かが娘の筆跡を真似て書いたものであると主張する。ヴァランダーは彼女と話すうちに、三人の若者の身に何かがあったことを確信し、捜査を開始することを同僚に告げる。

医者を訪れたヴァランダーは糖尿病と診断され、衝撃を受ける。医者はヴァランダーの生活習慣、食生活を改善するよう勧告する。

翌朝、同僚のマルティンソンとスヴェドベリとの打ち合わせが予定されていた。しかし、普段は時間に正確なスヴェドベリが、約束の時間になっても現れない。マルティンソンとヴァランダーは彼の家に電話をかけるが、誰も電話に出ない。夜になり、胸騒ぎを抑えきれなくなったヴァランダーは、スヴェドベリのアパートを訪ねる。ドアを破って部屋の中に入ったヴァランダーは、スヴェドベリが射殺されているのを発見する。床には凶器のライフルが転がっていた。また、アパートは荒らされており、誰かが何かを捜しまわった形跡があった。

スヴェドベリは、四十歳を過ぎても独身、天体観測と、アメリカインディアンの研究が趣味という寡黙な男であった。ヴァランダーはスヴェドベリの身寄りである二人を、彼の死を告げるために訪れる。そして、ふたりから意外な証言を得る。ひとつは、従姉妹で助産婦イルヴァ・ブリンクの証言。スヴェドベリは、殺される直前に休暇を取っていた。しかし、その間もイルヴァには、仕事が忙しいと愚痴を言っていた。彼は休暇中にどんな「仕事」をしていたのかとヴァランダーは訝しく思う。もうひとつは、従兄弟で大学教授のシュツレ・ビョルクルントの証言である。スヴェドベリは、従兄弟が旅行で不在中、彼の家の留守番を引き受けていた。そして、その際、「ルイーゼ」という女性と一緒に従兄弟の家に住んでいたという。そしてその「ルイーゼ」は、何と、毎回違った色の髪の毛を残していた。

寡黙な独身男のスヴェドベリが、同僚には知られていない別の一面を持っていたことを、ヴァランダーは知る。ヴァランダーはスヴェドベリのアパートを再度捜索し、隠し金庫の中から二枚の写真を発見する。一枚は女性のポートレートであった。それが「ルイーゼ」のものであろうとヴァランダーは推測するが、アン・ブリットはその写真に何か不自然なものを感じる。もう一枚は仮装した若者たちの写真。そして、その中には、夏至のパーティー以来行方不明になっている、若者のひとりが写っていた。

ヴァランダーは二枚目の写真により、三人の若者の失踪と同僚の死に、何らかの接点があることを知る。スヴェドベリは三人の若者の失踪について何かを知っていた。そして、休暇中に、自分なりに三人の行方を捜査していたのではないか。そして、それを快く思わない誰かに殺されたのではないかと、ヴァランダーは想像する。

八月十日の真夜中。男は自然保護地区の地中に埋めておいた三人の若者の死体を掘り出す。そして、若者たちが殺された五十一日前と同じように、三人の死体を敷物の上に横たえ、食事、ワインなども並べておく。翌朝、三人の死体は散歩にきた老夫婦により発見される。事件は警察に通報され、ヴァランダーたちが駆け付ける。ヴァランダーと同僚の鑑識官ニュベルクは、死体はしばらくどこかに隠されていて、誰かが前夜再びそこに並べたと推理する。深夜、再び現場を訪れたヴァランダーは、犯人がすぐ傍にいると感じる。

夏至の仮装パーティーには、本来四人の参加者が予定されていた。そのうち、イサ・エデングレンは当日に急病でパーティーには出席しなかった。その結果、彼女は難を免れたのである。ヴァランダーは彼女の住居を訪ねる。イサは庭に立てられた小屋で自殺を図っていた。ヴァランダーは、彼女を発見し、彼女は命を取り留める。しかし、再び意識を取り戻した彼女は、病院を抜け出し、姿をくらませる。

ヴァランダーは彼女を追う。彼は島にある両親の別荘にいるのではないかと推理し、郵便局のボートに便乗して、その島を訪れる。そして、その島にも、シュヴェドベルクは訪れていたことを知る。果たしてイサはその島にいた。しかし、ヴァランダーがイサを訪れた夜、彼女は島に忍び込んだ何者かによって射殺される。

五人目の犠牲者。ヴァランダーは、犯人が、次の殺人を準備しているのではないかという不安に襲われる。

 

<第二部>

ヴァランダーは、殺されたスヴェドベリが若者殺害の犯人を知っていて、休暇中にそれを調べていたこと、そして、犯人に肉薄しすぎたために殺されたことを確信する。しかも、その犯人はスヴェドベリの顔見知りであると推理する。ヴァランダーはスヴェドベリの交友関係を洗うが、寡黙な彼の友人は少ない。

ヴァランダーは、スヴェドベリの唯一の交友関係と思われる天体観測仲間のズンデリウスを訪問する。スヴェドベリが従兄弟の家で女性と同棲していたということに対して、ズンデリウスが怒りの表情を見せたことを、ヴァランダーは見逃さなかった。ヴァランダーは、写真の女「ルイーゼ」が鍵を握るものだと確信し、彼女の写真をマスコミに公開し、身元の確認を急ぐ。しかし、不思議なことに、ルイーゼの写真に対する反応は全く得られない。

八月十七日、土曜日の午後、教会での結婚式を終えたばかりの若いカップルが、記念写真を撮るために、写真家と三人で海岸を訪れる。砂浜でポーズと取る二人とカメラを向ける写真家。彼らに、それまで海で泳いでいた男がタオルを持って近づく。男は、タオルの下に隠し持ったピストルで、写真家とカップルを射殺して立ち去る。三人の死体は数分後に発見される。駆けつけたヴァランダーは、それが三人の若者を殺したのと同一の犯人の仕業であると確信する。

殺された三人の若者と、新婚の夫婦にはふたつの共通点があった。婚礼の衣装を含めて、彼らが仮装していたこと。また、若者も、新婚カップルも、彼らの計画を、家族にも知られないように秘密裏に進めていたことであった。犯人は、「祝い衣装」を着た人間を憎んでいるのか。三人の「夏至のパーティー」の場所は企画した四人の他は誰も知らないはずであった。新婚のカップルも、教会での結婚式と披露宴の間のわずかな時間をふたりだけで楽しむために、両親にさえ写真撮影の場所を明かしてはいなかった。しかし、犯人は、その場所と時間を事前に察知して待ち構えていた。「彼らの秘密の計画がどうして漏れたのか」「本来は誰も知りえない情報を知りえる人間は誰か」ヴァランダーの推理はその部分をえぐろうとする。ヴァランダーは、その秘密を解く鍵をどこかで仕入れたような気がするのだが、思い出せないことに焦りを感じる。

ヴァランダーは、第二の犯行現場での警察の捜索の様子を、「ルイーゼ」が見ていたことを知る。「ルイーゼ」が事件の核心にいることをヴァランダーは確信する。彼女がコペンハーゲンに現れたという知らせを、ヴァランダーはデンマークの警察から受ける。ヴァランダーはコペンハーゲンに急行して、バーで「ルイーゼ」の横に座り、彼女と接触しようとする。しかし、トイレに立った彼女は忽然とバーから姿を消してしまう。

イサを探すために島に渡った際、そのボートの運転手と交わした会話がヒントになり、ヴァランダーは終に、殺された人間たちの秘密を知りえる唯一の人間がいることに気づく。その人間とは・・・・

 

この物語を読んだ友人のひとりは「死臭のする物語」と評したが、それなりに面白く読めた。しかし、さすがに六百ページは長かった。また、殺される人間が八人と言うのも、ちょっと胸につかえた。犯人が最初から読者には分かっていて、その犯人と警察の接点が徐々に出来上がっていくという前三作とは異なり、今回は犯人とその犯行の描写は最小限に抑えられ、最後まで読み進まないと、犯人が誰であるのか読者にも分からない。その「謎解き」は面白かった。

今回もヴァランダーの周辺には色々と変化がある。最大のものは、彼が糖尿病と診断されることであろう。彼のこれまでの食生活を考えれば誰も驚かない帰結ではある。彼は同僚にそれを知られるのを嫌がる。「糖尿」と尋ねられて「血糖値が高いだけ」と言い直す心理が面白い。もうひとつの変化は、これまで、ヴァランダーの捜査のよき理解者であった検察官、ペア・アキソンがNGO活動のためにスーダンに渡り、その後任として、若くて、功名心に燃えるツルンベリが着任してきたことである。ヴァランダーは悉くこの若い検察官と対立し、彼にとってストレスの大きな種になる。その他、ラトヴィアのバイバとは別れ、父親の後添いのゲルトルートはイスタドを去り、娘のリンダはストックホルムで一人暮らし、別れた妻のモナは再婚が決まるという設定である。

今回も、ヴァランダーの捜査の基本となるものはふたつ、何かがおかしいという「直感」を彼独自の粘りで掘り下げること、また、数年前に死んだ同僚でヴァランダーが師と仰ぐリュドベリの言葉を思い出すことである。ヴァランダーはスヴェドベリの家で「何か」がおかしいと感じ、アン・ブリットは「ルイーゼ」の写真を見て「何か」が不自然だと感じる。そして、その「何か」が何であるかを、ことあるごとに取り出し反芻する。それで、彼はしばしば、以下のような状態に陥る。

「ヴァランダーは身体を起こして、机に腰をかけた。ひとりの鑑識課員が現れたが、彼は待つように合図をした。彼は考える必要があった。長い時間は要らない。少しの間、自分ひとりで考える時間が必要であった。全体の中の何かがおかしい。何かが、まったく間違っている。しかし、彼はそれが何かを言い当てることができなかった。」(74頁)

また、誰かが傍に隠れている、誰かに見られているという直感も彼は大切にする。今回も、殺人現場である自然保護区、深夜、警察の現場検証を見守る「誰か」の存在を身近に感じ、彼はそこの警察犬を向かわせる。しかし、彼の直感は単に山勘、霊感というものではなく、長年の経験、鋭い観察に裏付けられている。

今回も「早すぎる返事は嘘」という彼の経験則、あるいは定理が生きる。人間は、嘘をつく場合、それが良く考えられたものであればあるほど、それを嘘と悟られないために必要以上に心の準備をしようとする。それが、早すぎる返事となって現れるというのである。

「『これまで法律に触れるようなことをしたことがありますか。』

『いいえ。』

返事が早すぎるとヴァランダーは思った。早すぎる返事は正しくない。彼は、その部分を更に掘り下げることを決めた。

『質問には正直にお答えください。でないと、警察までご足労願うことになりますよ。』」(382頁)

このような描写が、随所に現れる。

また、何年も前に死んだ同僚のリュドベリの言葉が、ヴァランダーの心の中に何度も現れる。例えば、以下のような。

「全ての副次的なことを漉し去れ。現場には必ず犯行の痕跡がある。それは影のように残されている。それを見つけなければならない。」(113頁)

リュドベリは、同時に良き相談相手でもあった。ヴァランダーはしばしば、誰かに話すことにより、自分の考えをまとめようとする。彼は、かつてはリュドベリに期待していたその役割を若いアン・ブリット・ヘグルンドに期待する。

今回の事件も含めて、ヴァランダーの扱う事件は、社会とその中に生きる人間の心理を反映して、どんどんと複雑なものになっていっている。マンケルが、それを「鍵」に例えているのが面白い。

「時々、彼は自分の持つ鍵束のことを考える。毎年毎年鍵が増え、新しい暗証番号が増えていく。そして、その全ての鍵と錠の間にヴァランダーがどうしても溶け込めことのできない社会が姿を現してくる。」(194頁)

同僚のマルティンソンの十一歳の息子ダヴィットが、将来、自分も警察官になりたいと言い出す。父のマルティンソンは、ヴァランダーに、警察官の仕事について、息子に説明をしてくれるように頼む。エピローグで、ダヴィットは幾つかの質問を用意して、ヴァランダーを訪れる。十一歳にして、彼はなかなか鋭い質問をヴァランダーに浴びせる。ヴァランダーはダヴィットの質問にできるだけ正直に答えようとする。その答えが、ヴァランダーの経験、悩み、自負、ひいては彼の存在の本質のような気がした。

 

 

「防火壁」Brandvägg 一九九八年

 

一九九七年十月六日の深夜、イスタド。ショッピングセンターの現金引出機の前で、コンピューター技術者のテュネス・ファルクが死亡しているのが発見される。彼は残高照会の紙を握り締めたまま死んでいた。イスタド警察は、彼の死を、心臓発作による自然死として処理する。

その頃、イスタドの町では、これまでの常識では考えられない事件が起こっていた。十九歳のソニア・ヘクベリと十四歳のエマ・ペルソンという二人の少女が、タクシーの運転手をナイフとハンマーで襲い、殺害したのである。ヴァランダーはふたりの少女を尋問する。そして、ふたりに罪の意識が見られないことに驚く。少女のひとり、年上のソニアは、付き添いの警察官の隙を見て警察署から逃亡、行方不明となる。

十月七日の夜、イスタドを含むショーネ地方一帯が大規模な停電に見舞われる。原因は、イスタド近郊にある変電所での異変であった。変電所に駆けつけた職員は、変電所の門が破られているのを発見する。更に、建物の中で、感電して黒焦げになった死体を発見する。送電が停止はその死体であった。そして、死体は、警察から逃亡した少女、ソニアのものであった。

奇妙な事件は続く。現金引出機の前で死んでいた、ファルクの死体が、病院の死体安置所から持ち去られる。死体のあった場所には、代わりに、事故のあった変電所から盗まれたリレーが置かれていた。まるで、停電やソニアの死とファルクの関係を暗示するかのように。ファルクの死体は、数日後に再び、現金引出機の前で発見される。しかし、死体からは両手の指が切断されていた。

ヴァランダーはファルクが事件の鍵を握ると考え、夜、独りで彼のアパートに出向く。翌日、再びファルクのアパートに居たところ、ドアのベルが鳴る。ドアを開けたヴァランダーを何者かがピストルで撃つ。とっさに身を投げ出したヴァランダーは、危ういところで助かる。

ファルクは住居としてのアパートの他に、仕事場としてもう一部屋を借りていた。その部屋の中にはコンピューターが置かれていた。そのコンピューターの中に一連の事件の謎が隠されていると読んだヴァランダーは、コンピューターの天才青年、(実はハッカーとして米政府のペンタゴンに進入して実刑判決を食らい、刑務所から出たばかりの)ロベルト・モディンの協力を得て、ファルクのコンピューターの中身を解読しようとする。しかし、それは幾つもの防火壁、ファイアーウォールに守られた極めて堅固なシステムであった。ロベルトは、ファルクのシステムの中で「二十」という数が、重大な意味を持つことを発見する。しかし、それが何を表すものかは分からない。

ファルクは離婚していた。元の妻が、ファルクの遺品の中から、一冊のアルバムを見つけ出す。そのアルバムには、彼が結婚する前に、アフリカのアンゴラで撮った写真が収められていた。また、ヴァランダーはファルクの仕事場から、同じくアンゴラのルアンダから出された絵葉書を発見する。差出人として「C」とだけ署名されていた。ヴァランダーは、事件がアンゴラとも関係することを予感する。

奇妙な事件は更に続く。ソニアの元ボーイフレンド、ヨナス・ルンダールも謎の失踪をする。そして、彼は、数日後、ポーランド行きのフェリーの機械室で、エンジンの歯車により切り刻まれた無残な姿で発見される。

ヴァランダーと警察は、次々と起こる奇妙な事件を互いに関係付けることができない。ヴァランダーは捜査を進める中で、正体不明のアジア人の男の姿が見え隠れする。二人の少女は、タクシー運転手を殺害する前、食堂でひとりのアジア人と出会っていた。また、捜査を続ける警察を監視する男もアジア人であった。ヴァランダーはそのアジア人に迫ろうと試みる。

舞台は変わってアンゴラ。元世界銀行職員カーターは、ファルクと共謀して、世界経済を混乱に陥れる計画を練る。ファルクのコンピューターの中には、世界経済の中心にあるコンピューターシステムの幾つかを攻撃するウィルスのプログラムが仕組まれていた。ファルクの突然の死により、カーターはパートナーを失うが、彼は単独で計画を進める。十月二十日にその攻撃が開始されることになっていた。

カーターは、スウェーデンの警察が、ファルクのコンピューターを解析することにより、その計画に肉薄していることを知る。カーターは、アジア人の殺し屋フー・チェンをスウェーデンに送り、計画を邪魔するものを片付けるよう命じる。

困難な捜査を進めるヴァランダーに対して、更に新たな障害が発生していた。タクシー運転手を襲った少女のひとりの取調べ中に、自分の母親を攻撃しようとした少女をヴァランダーが止めに入った。少女に平手打ちを食らわせているところを、たまたま警察署にまぎれこんだ新聞記者に写真を撮られてしまう。そして、その写真が、警察官の暴力行為の現場として、新聞紙上に掲載されたのである。オンブズマンによる内部捜査の間、警察はヴァランダーを職務停止にしようとする。

もうひとつは、同僚への不信感である。上司で署長のリサが、新聞写真の一件で、自分を疑っていることを知り、ヴァランダーは衝撃を覚える。また、これまで、彼に協力的だった同僚のマルティンソンも、ヴァランダーの陰で、彼の悪口をリサやアン・ブリットに告げて回っていることを知る。ヴァランダーは激怒する。困難な立場に追い込まれたヴァランダーであるが、ひとつの心の安らぎを見つける。新聞の「交際欄」に応募したところ、マルメーに住むエルヴィラ・リンフェルトという女性が接触してくる。ヴァランダーはエルヴィラと会い、彼女と打ち解ける。話し相手ができたことを率直に喜ぶ。それさえも、彼の周りに巧妙に張り巡らされた罠だと知らずに・・・

 

これまで、マンケルの犯罪小説のパターンは、犯人の動きと、警察の動きが、平行して描写されていた。読者は犯人の動きを知りつつ、警察が犯人に肉薄していく様を体験することができた。つまり、読者には、犯人やその行動が明らかにされていることが多かった。換言すると読者には「筋」が見えていた。

今回の「防火壁」では、それがない。第二部の最初にカーターが登場するまで、読者は次々と起こる奇妙な出来事が、誰によるものか、何のためのものか知ることはできない。これはマンケルの新しい試みであろう。しかし、いくら次々と事件が起こると言っても、個々の事件がちょっと現実離れしすぎていて、飛躍した「筋」を追いかけていくのに苦労をする。

コンピューター犯罪という、新しい「ネタ」を取り入れようとする、マンケルの姿勢には敬意を表する。しかし、コンピューターの専門家のひとりとして見ると、カーターとファルクの計画は、少々非現実的でチャチな感じがする。コンピューターやそのプログラムに対する表現も、曖昧で、所々おかしく感じた。まあ、皆が専門家であるわけではないので、仕方がないことだが。

この作品がシリーズの最後のものであることを暗示するものが二つある。ひとつは、ヴァランダーの同僚の離反と、最後に語られる娘リンダの決心である。これまで鉄壁のチームワークを誇ってきたヴァランダーの捜査班、ハンソン、マルティンソン、アン・ブリット、それに前作で亡くなったスヴェドベリ、それに署長のリサ。彼らの関係に亀裂が生じる。今回、ヴァランダーが本当に信用しているのは唯一アン・ブリットのみ。部下を信用しきれないリサ、それに失望するヴァランダー。ヴァランダーの強引な捜査方法を陰で批判するマルティンソン、彼を殴りつけるヴァランダー。勤務時間に、競馬の予想と馬券の購入に忙しいハンソン。彼らのチームワークはこれで終わりを告げ、この後は、彼らがそれぞれの道を歩んでいくのであろうか。

「防火壁」それはコンピューターの中だけではない。自分の周りにもあると、ヴァランダーは感じる。目に見えない高い壁が、同僚との間に冴え聳え立っていたのである。

ヴァランダーの娘、リンダが、最後に自分も警察学校に入り、警官になると宣言する。時代の交代を感じさせる出来事である。しかし、彼女の決心は、これまで警察の殺人課の警視としてヴァランダーが歩んできた困難な道に対する、最高の報酬であると私は思った。

 

 

「ピラミッド」Pyramiden 一九九九年

 

ヴァランダーが警察に勤務を始めてから、長編第一作「顔のない殺人者」の舞台となる一九九〇年までに起こった事件を扱った短編、中篇集である。クルト・ヴァランダーが主人公となるシリーズ長編の最終作「防火壁」が書かれた後に、時代を遡るように書かれている。

後年に離婚するヴァランダーの妻のモナ、第一作の後にガンで亡くなる師のリュドベリ、同じく同僚で、第七作で事件に巻き込まれて殺されるスヴェドベリなども登場する。当然のことながら、皆若い。しかし、彼らの後年の運命を知ってしまっているがゆえに、読んでいて少し変な気分がした。

どんな気分かと言うと・・・

筆者の子供時代、大抵の映画館は「入れ替えなし」であった。休日の映画館は混んでいたので、前の回が終わる前に映画館に入って、席が空いたらすぐ座れるようにしたものである。そうすると、映画の最後だけを少し見てしまう。映画が始まるときに、既に最後のシーンを見て、結末が分かっているというのは、変な気分であった。この本を読んで、その時の、映画館での変な気分を何十年ぶりかに思い出した。

 

ヴァランダー最初の事件

一九六九年、マルメーの警察に勤め始めたばかりの二十一歳のクルト・ヴァランダーは、防犯課に配属されており、反戦デモの警備などに借り出されていた。彼は捜査課への転任を望んでおり、近くヘンベルク警視の率いる捜査課に転籍することになっていた。

ヴァランダーはモナと付き合い始めたが、すれ違いばかりで、彼女との仲はぎくしゃくしていた。彼の父は、これまで住んでいたマルメーの住居を引き払い、田舎に引越ししようとしていた。ヴァランダーと父親の関係は、ヴァランダーが警察官になるという決意を述べてから、冷え切ったままになっていた。

ヴァランダーの住むアパートの隣の部屋に、ハレンと言う名の、元船乗りの孤独な老人が住んでいた。ある日の午後、非番で昼寝をしていたヴァランダーは、隣の部屋の奇妙な物音を聞く。開いているドアから隣の部屋に入ると、ハレン老人が頭を撃たれて死んでいた。倒れた彼の手元にはピストルが転がっていた。

ヘンベルクと捜査班は、老人の死を自殺として片付けようとする。しかし、何者かが、事件の後、老人の部屋に深夜侵入して何かを探し回っていたこと、また、その後、何者かが老人の部屋へ放火をしようとしたこと、そして、老人の胃のなかからダイヤモンドが見つかったことから、事件の捜査はそのダイヤモンドを巡る他殺説に転じる。

ヴァランダーは独自に老人の行動を追う。そして、老人が、近くのキオスクで、定期的に女性に電話をかけ、タクシーでその女性の家を訪れていたことを知る。タクシー運転手をしている友人の協力でその女性の家を突き止めたヴァランダーは、独りでその家を訪れる。そこでは、女性が首を絞められて殺されていた。

ヴァランダーは、本来の職務から逸脱しているのを知りながら、独自に事件を調べ始める。

 

覆面をした男

一九七五年。ヴァランダーは近々マルメー警察署からイスタドに移ることになっており、家族を既にイスタドに住まわせていた。結婚して六年が経ち、娘のリンダが産まれてはいたが、ヴァランダーと妻のモナ仲はうまくいかず、彼らは些細なことで口喧嘩を繰り返していた。

クリスマスイヴ、帰りがけにヴァランダーは上司のヘンベリにあることを頼まれる。マルメーとイスタドの間にある村で食料品店を営む女性から、怪しい人物が付近をうろついているという通報があった。おそらく老女の思い過ごしであろうと思うが、見てきてくれないかというものであった。

ヴァランダーはその食料品店へ入る。店の中では老女が殺されていた。何者かがヴァランダーを背後から殴り、彼を縛り上げる。その男は覆面をし、ピストルを持っていた。ヴァランダーは、モナが帰りの遅い夫に気づいて警察に連絡を取ってくれることを祈りつつ、その覆面男に説得を試みる。

 

海岸の男

時代は更に進み一九八七年。ヴァランダーは妻のモナと別居を始めていた。ひとりの身なりのいい男が海岸の村からイスタドに向かうタクシーの中で息を引き取る。解剖の結果、その男の体内から、遅効性の毒薬が見つかった。男はタクシーに乗る前、何者かに毒を盛られていたのだ。

ヴァランダーは殺された男の身元を調べる。彼はストックホルムから来た実業家であった。誰もが彼のことを優しい人物だと評する。

男の息子が、数年前ストックホルムの路上で何者かに殺され、その犯人が挙がらないまま、事件が迷宮入りしていたことに、ヴァランダーにはひっかかりを覚える。

男は休暇を取り、イスタドを訪れ、毎日タクシーで海岸へ来ていた。ヴァランダーは男がそこで誰かと会っていたと確信して、海岸沿いの家々に聞き込みを始める。

ヴァランダーは海岸で、犬を散歩させている退職した老医師に出会う。ヴァランダーは、医師に殺された男の身なりを伝え、見なかったかと尋ねる。老医師は否定をするが、ヴァランダーは彼の表情に、例によって「何か」おかしいものを感じる。

 

写真家の死

一九九八年の深夜。イスタドで長年写真屋を開業するジモン・ランベルクがアトリエで何者かに撲殺される。彼は、客からも、知人からも、穏やかな人物だと評されていた。一方、彼は深夜アトリエで、政治家や有名人の顔写真を醜く変形させ、それを一冊のアルバムに残していた。そこにヴァランダーは怪物のように変形した自身の顔も発見する。

事件の数日後、深夜、写真屋の店舗に誰かが入っていったという隣人の通報を受けたヴァランダーは、店の前で待ち伏せる。出てきた男をヴァランダーは追うが、逆に殴り倒される。翌朝、男が隠れていたと思われる場所から意外なものが発見される。それは教会で使われる讃美歌集であった。

穏やかな人物として評される写真家のランベルクであるが、彼の妻の証言により、次第に彼の多重人格が明らかになってくる。彼は数年前にオーストリアにバス旅行に行き、その後性格が激変し、妻との関係も絶っていた。

彼には、身体障害のある娘がいた。彼はその娘を施設に預けていた。ヴァランダーはその施設を訪れる。そして、その娘を定期的に訪れる謎の女性がいることを知る。その女性こそ事件の鍵を握るとヴァランダーは確信する。

 

ピラミッド

密かに低空でスウェーデンに侵入、何かを投下して帰る小型飛行機がある。その飛行機は荷物の投下を終えた後、墜落して炎上、乗っていた二人の男は焼死体で見つかる。

ヴァランダーは、麻薬取引容疑でホルムという男を取り調べている。彼が、麻薬の密売人であることをヴァランダーは確信しているが、証拠不十分で釈放せざるを得ない。 

イスタド市内で手芸材料店を営む老姉妹の家が炎上する。姉妹は何者かにピストルで首を撃ち抜かれた後、店に放火されていた。世間に対しては、細々と店を営んでいるように見えた老姉妹であるが、実際には隠れた顔を持っていた。現場検証の際、ヴァランダーの同僚ニュベリは、地下室から厳重な耐火金庫を発見する。中からは多額の現金が発見された。また、旅行会社の社員の証言から、老姉妹がスペインにある自らの豪邸を定期的に訪れていたことを知る。彼女たちは、どこからそれだけの金を得ていたのか。

ヴァランダーの父は、突然ピラミッドを見るためにエジプトに旅立つ。そこでピラミッドによじ登ろうとして警察に逮捕される。ヴァランダーは父親を救うためにカイロに向かう。カイロから帰ったヴァランダーを待ち受けていたのは、ホルムが何者かに首を撃たれて殺されていたという知らせであった。

落ちた飛行機、殺された老姉妹、同じく殺されたホルム、この三角形を繋ぐものは何かとヴァランダーは思い迷う。一見三角形に見えるピラミッドは実は四辺を持つということをヒントに、ヴァランダーは隠されたピラミッドの一辺に迫っていく・・・

 

マンケルは本書の前書きで、八作の「ヴァランダー・シリーズ」の長編について、「ヨーロッパの動揺を描いた小説」であると総括している。「九十年代、ヨーロッパの法治国家に何が起こったか」「法治国家の基盤が揺るぎ始めた今、民主主義はどのように生き延びていけばよいのか」、マンケルはそれについて書きたかったという。そう言えば、マンケルは、ヴァランダーをはじめとする、登場人物に「時代が変わった」「もう俺たちの時代じゃない」と繰り返し述べさせている。

また、前書きの中で、マンケルは読者からの手紙について述べている。読者からの手紙の中で最も多かった質問は「ヴァランダーは、このシリーズの始まる前に、何をしていたのか」と言うものであったという。そして、その読者の疑問に答えるべく、時代を遡る形で、マンケルは作品を書き始めた。これは「ヴァランダー・シリーズ」の最後を飾る作品である。しかし、「換言すれば、この作品はエピローグではない、プロローグである。最後に書かれてはいるものの。」と作者自身はこの作品を位置づけている。

前書きの最後に、作者は嬉しいことを書いている。八作目の最後で、娘のリンダが、警察官になる決心をしたことについてである。ヴァランダーがリンダの決心を肯定的に受け止めたのは、

「多分、リンダの決心は、ヴァランダーのこれまでの警察官としての職業生活に対して贈られた一種の勲章であるから」

であるという。これには全く同感である。

「最初にはただ霧があった。」

「ヴァランダー最初の事件」の書き出しである。「最初に光ありき」という聖書の創世記の書き出しや、「最初には言葉があった」ヨハネの福音書の書き出しを思い出させる。

第一作で、ヴァランダーが駆け出しの警察官であった頃、ナイフで刺され、瀕死の重傷を負ったことが述べられているが、そのいきさつが明らかになる。

駆け出しの警察官ヴァランダー生活は公私とも波乱含みである。警察官になると告げて以来冷え切った父親との関係、付き合い始めたもののモナとの間には誤解とすれ違いが続く。ヴェトナム戦争反対のデモの警備に借り出され、街ではデモに参加した少女にあからさまに非難を受ける。彼は制服を着る必要のない捜査課への転出を希望していた。

しかし、読者は、父とのその関係はその後二十年以上続くことを知っている。モナとは結婚し、十数年後に離婚することも知っている。そして、ヴァランダーが、殺人課の警視として、輝かしいキャリアを積むことを知っている。しかし、読者は知っていて、ヴァランダー自身は知らないという、小説と主人公読者としては極めておかしな状況におかれているのである。

「覆面の男」に登場するアフリカから逃げてきた若者は、「白い雌ライオン」の中に現れる南アフリカの青年マバシャを思い出させる。この若者のイメージを、後年のマバシャに使用したのでは、と一瞬考えてしまったが、すぐにその間違えに気がついた。この作品の方が後なのである。物語の時代と、書かれた時代が折り合わないというのは、本当にややこしい。

「ピラミッド」で、父はエジプトを訪れる。第六作の「五番目の女」で、ヴァランダーは父親の長年の夢を実現させ、ローマを訪れる。私は、その時が父親の始めての海外旅行かと思っていたのであるが、実は、父親は一九八九年に既にエジプトを訪れていたのであった。

ヴァランダーは、八冊の長編で「単独で行動してはならない」という、捜査の鉄則を何回も破り、その結果、何度も窮地に陥る。彼の若い頃は、やっぱり同じであった。逸る心を抑えきれず、単独行動を取り、最後はナイフで胸を刺されて、瀕死の重傷を負う。しかし、後年も、彼はひとりでラトヴィアに乗り込むなど、相変わらず、同じ行動を取るのである。

最初にも書いたが、年代順になっている小説は、その年代に沿って、読むのが自然だと思った。

 

 

「霜の降りる前に」Innan frosten 二〇〇二年

 

プロローグの舞台は、いつものように、時間的にも空間的にも遠く離れている。一九七八年のアフリカ、ガイアナ。カリフォルニアから移住し、集団生活を営むカルトの一団がある。その首領ジム・ジョーンズはある日、信徒全員に集団自殺を強要し、それに同意しない信徒たちを皆殺しにする。全員が死亡したと思われる中で、ひとりの男が脱出に成功していた。

 

<第一部>

二〇〇一年八月二十一日の夜、スウェーデン、イスタドの近くの海岸で、白鳥にガソリンをかけて火をつける男。火をつけられた白鳥は火だるまとなって飛び上がり水面に落ちる。男は、自ら警察に通報する。

リンダ・ヴァランダーは警察学校を終え、父、クルトの働くイスタド警察署に配属される。正式の勤務は九月八日から。ストックホルムから戻ったリンダは、父と一緒のアパートに住んでいるが、暇を持て余している。彼女は、高校時代の友人たちと出会い、その中でも特に仲の良かったふたり、ツェブラとアンナと再び交際を始める。

ある日、アパートを訪れたリンダに、アンナは奇妙な話をする。アンナが前日、マルメーにあるホテルのロビーでお茶を飲んでいたとき、窓越しにひとりの男が目に入る。アンナはその男を見つめ、その男もアンナのことを見つめ返した。そして、アンナはその男が、二十四年前、母と自分を捨てて失踪した、父親、エリック・ヴェスティンであると確信していた。

リンダは半信半疑で話を聞き、翌日もアンナと会う約束をして別れる。しかし、翌日、アンナのアパートを訪れたところ、アンナは消えていた。リンダは数日間、アンナを待つが、彼女は現れない。心配になったリンダは、警視である父親に相談する。父は取り合わない。リンダは独自にアンナの捜索を始める。

イスタドの近くで、今度は、牛にガソリンをかけ焼き殺すという事件が発生。白鳥に続き、動物をサディスティックに殺害する事件が続く。

中世に使われた「踏み分け道」を研究するビルギッタ・メドベリ。彼女はある日、森の中に使われていない小道を見つける。その道を辿っていくと、谷に行き当たり、そこに一軒の小屋が建っていた。彼女はその小屋の中を覗き見る。そこには開かれた聖書があった。そのとき、小屋の中にその住人が戻ってくる。ビルギッタはその男により殺される。

 

<第二部>

リンダは、アンナの行先を知るために、アンナの母、ヘンリエッタを訪れる。ヘンリエッタはアンナが父親を見つけたという妄想に陥るのはいつものことで、娘のことは心配しなくて良いとリンダに答える。リンダはヘンリエッタが何かを隠していることを直感する。リンダは深夜再びヘンリエッタの家に向かう。そして、ヘンリエッタと話す男の後姿を見る。

殺されたビルギッタ・メドベルクの死体が小屋で発見される。しかし、胴体は消え、彼女の頭部と両腕だけが残されていた。手は祈るときにするように組まれていた。死体の傍には、聖書が残されていた。そして、その中のヨハネの黙示録の一部が手で書き換えられていた。

ここで、ガイアナで起こったカルトの集団自殺事件のたったひとりの生存者のその後が明らかになる。その生存者は、二十四年前に失踪したアンナの父親であった。彼は、ガイアナから米国に入る。そこで、かつて自分が属したカルトの首謀者、ジム・ジョーンズの研究者である女性スー・メアリーと知り合う。彼はスーのアシスタント兼実質的な夫として、クリーブランドで二十年間を過ごす。そして、スーの死後、彼は故郷とスウェーデンに戻っていた。

アンナの行方を追うリンダは、アンナの部屋の中で、町外れの教会の裏にある建物へ行く地図を発見する。リンダがその建物を訪れると、中では、数十人の男女が暮らしていた。その建物の外で、リンダはひとりの男の姿を見る。リンダはその男がアンナの父親ではないかと疑う。

翌日その建物をリンダが再び訪れると、もぬけの殻であった。リンダはその建物を仲介した不動産屋を訪れ、トルゲイル・ランガスという名のノルウェー人がその建物を所有していることを知る。その男の住所はコペンハーゲンになっていた。リンダはその住所を訪れるが、目的の男はそこに住んでいない。帰ろうとするリンダを何者かが襲う。リンダは、

「トルゲイル・ランガスの身元を探るのを止めろ。」

と男に脅迫され、殴り倒される。リンダはデンマークに警察に救助され、父親とシュテファン・リントマンにより、スウェーデン連れ戻される。

リンダはアンナの日記の中にヴィグステンという名前を見つけ、その名前がコペンハーゲンの例の住所にあったことを思い出す。リンダは再びコペンハーゲンに向かい、ヴィグステンを訪れる。ヴィグステンは元音楽家のかなりボケの進んだ老人であった。リンダはそのヴィグステン老人の家に、もうひとりの住人がいること察知する。

イスタドの街で、ペットショップが放火され、中にいた動物たちが焼け死ぬ。犯人らしき男が目撃される。その男は火を放ったあと、「神の思し召し」とノルウェー訛りで叫んでいた。

 

<第三部>

エリック・ヴェスティンの回想。

ガイアナの殺戮から逃れ、クリーブランドで暮らすようになったエリックは、町のスラムで、酒に溺れ身を持ち崩していたノルウェー人、トルゲイル・ランガスに出会う。エリックはトルゲイルを更生させ、自分の開いたセクトの一番弟子にする。トルゲイル・ランガスが道に迷ったビルギッタ・メドベルクを殺したこと、エリックとトルゲイルが共謀して、ペットショップに放火したことなどが、エリックの回想で明らかになる。

リンダが父といさかいを起こし、アンナのアパートに逃げ込む。そこにはアンナが帰っていた。アンナは、マルメーの街で見つけた父親を探すために家を空けていたこと。結局父親は見つからず、あきらめて帰ってきたことを話す。しかし、リンダはアンナの話が真実でないと直感する。

クルト・ヴァランダーは動物の生贄、残された聖書などから、事件に宗教的なものを感じる。アンナの父親、エリック・ヴェスティンが密かにスウェーデンに戻ってきた目的は何なのか。それが次第に明らかになる。そして、これまでの事件は、もっと大きな計画の序曲にすぎないことも・・・

 

父と娘はやはり似ていた。父のクルト・ヴァランダーも、「捜査中はひとりで行動してはいけない」という警察の鉄則を無視して、しばしば単独行動を取る。その結果窮地に陥ることもあるし、また、その結果犯人に肉薄できることもある。クルトは、捜査班にチームワークを要求するものの、基本的には一匹狼なのだ。

リンダも同じである。今回も、親友のアンナの跡を、父親の助言を無視して、単独で追いかける。その結果窮地に陥ることも、その結果犯人に肉薄することも、全く父親と同じである。

父と娘は同じ職場では上手く行かない。私事になるが、妻が一時期自分の子供にピアノたちを教えようとした。結果は最悪。子供は泣き出すし、妻は怒り出すし。それで、うちの子供たちは、別のピアノの先生についた。つまり、公私の「交」の場で、親子関係は基本的に悪い方にしか働かないである。肉親に対しては、他人には普通に働く、忍耐力、自制心がうまく機能しないである。

リンダはしばしば父親と対立する。一度などは、家を飛び出して、もう帰らないことを誓う。そのときリンダは親友のアンナのアパートを訪ねこう言う。

「父と私は糞の山の上で戦っている二匹の鶏のようなもの。」(314頁)

過去に起こった出来事が、リンダの目から違う角度から改めて語られるのが面白い。クルトと妻のモナの不和、リンダの自殺未遂など、これまでのシリーズで父、クルトの視点で語られていた。今回、娘、リンダは改めてその出来事を語る。

リンダは十代のとき、飛び降りて死のうと思い、高速道路に架かる橋の欄干に立つ。そのとき、若い女性警官の説得により、自殺を思いとどまる。リンダが警察官を志した理由のひとつがその事件であることも分かる。

ひとりの人間に対する評価が、父と娘で完全に異なっているのも面白い。その良い例がアン・ブリット・ヘグルンドである。アン・ブリットはこれまでクルトの視線から、容姿もよく、聡明で、クルトの一番の相談相手として肯定的に描かれていた。しかし、リンダの目には、「太り始めた、意地の悪い、中年のおばさん」としてしか映っていない。

日本でも問題になった過激なカルトをテーマにしている。コンピューター犯罪を取り扱った「防火壁」、人種差別問題を取り扱った「白い雌ライオン」、東西の壁の崩壊を取り扱った「リガの犬たち」などに続き、そのときの社会の問題を主題にしている。そう言う意味では、マンケルの本領発揮という作品である。

リンダはシュテファン・リントマンに好意を抱く。捜査中に彼と一緒に車に乗っているとき、そのままホテルに入り、彼と寝ることを妄想するほどに。もし、このシリーズの続編が書かれたら、そのときはリンダとシュテファンは同棲しているか、結婚しているのだろうか。

読んでいて少しショックだったシーンは、リンダが母親のモナを訪れた際、モナが素っ裸で、昼間からウォッカをビンごとガブ飲みしているところである。これまで、モナは常に気持ちの上では、元夫のクルトより優位に立っていたのに。ここへきて、離婚による敗者と勝者の関係が、逆転する。

リンダの隠れた才能も面白い。ふたつの殆ど同じ絵を比べて、一瞬にしてその違いを見抜くこと。それて声帯模写。この才能が、今回は事件の解決にわずかながら役にたつのである。

「霜の降りる前に」というタイトルについて。

「霜が降りる」ということは、リンダにとって何を意味するのであろうか。

「もうすぐ秋だ、とリンダは思った。現在、私の人生の前には、目前に差し迫ったたくさんの出来事が待っている。その中でも急を要して大切なもの、それは、五日後にこれまでの見えない制服を本当の制服に着替えること。そしてアパート。そうしたら父と私はもうお互いにいらいらしなくてすむ。もうすぐ秋だ。もうすぐ初めて霜の降りる朝を迎える。」(323頁)

初めて霜の降りる秋の日、それは、リンダが警察官として、新たな人生を歩み出す、スタートの日なのである。

 

不安に駆られた男Den orolige Mannen  二〇〇九年

 

一九八三年早春、スウェーデン国会議事堂内の自室で、首相オロフ・パルメは激怒していた。彼は前年の総選挙に勝ち再び首相の座についたばかり。彼の前には同じく前年の一九八二年に起こった国籍不明潜水艦の領海侵犯事件の報告書がおかれていた。それは、国防大臣のスヴェン・アンダーソンの書いたものであった。ことごとく自分を無視して行動するアンダーソンを、パルメは許すことができなかった。しかし、内閣のバランス上、アンダーソンを外すこともできない。パルメの怒りを知る者は、廊下を通りかかった用務員だけであった。

二〇〇三年、五十五歳になったクルト・ヴァランダーはそれまで住んでいたイスタド市内のアパートを売り払い、海を見下ろす丘の上に立つ古い農家を買い取り、そこに移り住む。モナと離婚して既に十五年が経っていた。彼は年齢が進むにつれ、自分が父親に似てきていることを感じていた。彼はユッシという名の犬と暮らし始める。糖尿病である彼は、毎日血糖値を測り、自分でインシュリンを注射することを余儀なくされていた。

ヴァランダーが農家に住みだして四年後の二〇〇七年の春、娘のリンダが電話で至急会いたいと言ってくる。彼等は海岸で会う。同じくイスタド警察署に勤めるリンダは三十六歳になっていた。リンダはヴァランダーに、自分が妊娠していること、父親はハンス・フォン・エンケという、コペンハーゲンで働く金融ブローカーであることを告げる。

二〇〇七年八月、リンダは女の子を産んだ。ヴァランダーは初めて祖父になった。ハンス・フォン・エンケは金回りが良く、ふたりは大きな家を買う。そこでヴァランダーはハンスの両親と初めて出会った。ハンスの父ホカンは引退した海軍軍人、母のルイーゼは語学の教師をしていた。ヴァランダーはふたりと打ち解けることができた。

ヴァランダーの逮捕した殺人事件の犯人が裁判にかけられ、懲役八年を言い渡される。残忍な罪を犯した人間が、わずか八年しか服役しないことに対して、ヴァランダーは無力感と空虚感を覚える。彼はイスタドの町のレストランへ行き酒を飲む。翌日出勤したヴァランダーは、自分がピストルをレストランに置き忘れたことに気付く。彼はその不祥事のために、上司より一週間の自宅謹慎を言い渡される。

ヴァランダーは自分の犯したミスが信じられない。彼は時々自分の中に黒く覆いかぶさるような陰があることを感じていた。娘のリンダは父親が働きすぎであること、また余りに孤独な生活をしていることを案じ、気分転換にストックホルムで行われるホカン・フォン・エンテの七十五歳の誕生日に来ないかと誘う。ヴァランダーも娘のアイデアに同意する。

海軍軍人であったホカン・フォン・エンテの誕生日のパーティーは、多数の元同僚や友人を招いて盛大に行われた。パーティーの途中、ホカンはヴァランダーを窓のない小さな一室に誘う。そこで、ホカンは自分が潜水艦の指令本部で働いていたときのことを話す。

一九八二年、スウェーデン海軍の演習が行われた。当時はまだ冷戦の名残のある時代、バルト海では西側と東側の海軍力が拮抗し、互いに探り合っている時代であった。そのとき、国籍不明の潜水艦が、スウェーデンの領海に深く侵入する。スウェーデン海軍はその潜水艦を湾の奥に追い込み、まさに攻撃を加えようする。しかし、攻撃開始の直前、攻撃中止の命令が最上層部から発せられ、その潜水艦は逃れ去る。ホカンはその命令が誰によって、何のために発せられたのかを解明しようとしたが、上司から納得のいく説明は得られなかった。 

話をしているホカンは、常に誰かを恐れ、不安に駆られているように見えた。突然ドアが開く。ホカンは胸ポケットからピストルを取り出す。ヴァランダーの不安に只ならぬものを感じ、彼が何故、自分にそんな話を始めたのか、いぶかしく思う。

ホカンとヴァランダーが話をした三ヵ月後、ホカンが散歩の途中で、突然行方不明になった。腕の骨を折り仕事を休んでいたヴァランダーはその知らせを受けてストックホルムへ向かう。ホカンの妻、ルイーゼの依頼で、ヴァランダーは私的に調査を開始する。しかし、ホカンの突然の失踪を予告するようなものは何も見つからない。ルイーゼはホカンが殺されたのではないかと言う。ヴァランダーも、ホカンが身の危険を感じていて、誕生日の夜、自分何かのメッセージを伝えようとしたのではないかと思う。

ヴァランダーはホカンの友人、ステン・ノーランダーと会う。ノーランダーもかつて海軍軍人で、一九八二年の国籍不明の潜水艦の追跡行動に参加していた。ノーランダーはホカンが潜水艦の逃亡を許した人物を追求し、ついには当時の首相オロフ・パルメにまで会っていたことを告げる。しかし、結局誰からも納得の行く説明は得られず、ホカンは海軍内で干されてしまうことになったという。

ヴァランダーは更に、ホカン失踪事件を担当する刑事イターベリに会う。イターベリは、日中に街を歩いていたホカンを見たという目撃者が誰一人いないことを不自然だと述べる。また、ホカンはパスポートも金も持っていなかった。ホカンの失踪について、何のヒントも得られないまま、ヴァランダーはイスタドに戻る。

イスタドに戻ったヴァランダーをスティーブン・アトキンスというアメリカ人が訪れる。彼はホカンと昔からの友人、ホカンとルイーゼは十回以上、アメリカのアトキンス夫妻を訪ねたことがあるという。アトキンスは、ホカンとルイーゼに女の子がいると言う。これまで、誰もがホカンには一人息子がいるだけと信じていた。

ホカンに続いて、妻のルイーゼも行方不明となる。家政婦が訪れると、ルイーゼは姿を消していた。ヴァランダーは休暇を取り、ホカンとルイーゼの足取りについて私的に捜査をすることを決心する。

ヴァランダーは、ハンスに、姉妹のいることを知っているか尋ねる。これまで自分は一人っ子であると信じていたハンスは衝撃を受ける。ステン・ノーランダーだけは、その娘の存在を知っていた。ハンスより十歳以上年上の娘は、生まれたときから障害があり、今は施設に住んでいると証言する。ヴァランダーがホカンの家を捜しても、娘の存在を暗示するようなものは何ひとつない。ヴァランダーはどうしてホカン夫妻が、娘の存在を隠していたのか不審に思う。

ヴァランダーはホカンとルイーゼの娘、シグネの収容されている施設を探し回る。そして、ついにその施設を見つけ、そこを訪ねる。シグネは一九六七年生まれで四十一歳であった。ホカンは、行方不明になるまで、定期的に重度の障害を持つシグネを見舞っていた。しかし、妻のルイーゼは一度として来たことはなかったという。シグネを訪れたヴァランダーは、彼女の病室の本棚の奥から、ホカンの隠したファイルを発見し、持ち帰る。

ヴァランダーはホカンのファイルの中身を読む。それは、国籍不明の潜水艦に対する、ホカンの独自の調査の記録であった。ホカンは当時の資料を集められるだけ集め、それにコメントを書き綴っていた。そして、ホカンは彼なりに、潜水艦を逃がす決定をした人物に、見当をつけているようであった。ヴァランダーはその資料の中に、漁船とふたりの男が写っている写真をみつける。ヴァランダーは、その漁船の持ち主に会ってみようと思う。

ヴァランダーは写真に写っていた漁船の船体番号から持ち主を捜しだし、その男に電話をする。フォン・エンテを知っているかというヴァランダーの問いに、男は知らないと答える。その早すぎる答えに不審を感じたヴァランダーは、その男に会ってみることにする。

現在その船の持ち主であるルンドベリは、死んだ父親が生前、網にかかった鉄でできた円筒を引き上げたと述べる。そして、その後、スウェーデン海軍が、辺りをくまなく捜索していたと述べる。おそらく、海軍はその円筒を捜していたのかも。その円筒は今も残っていた。ヴァランダーはその円筒をイスタドに持ち帰る。

ヴァランダーがイスタドに戻ると、別れた妻、モナが彼を待っていた。モナはアルコール中毒で、感情の起伏が激しい。モナは一晩泊まっただけで、翌朝ヴァランダーの家を去る。ヴァランダーはリンダとハンスを呼んで夏至のパーティーを開く。そこに再びモナも招待される。しかし、最後はヴァランダーとモナが口論を始め、怒ったモナは立ち去る。

海軍の本を見ているうちに、ヴァランダーはアメリカの潜水艦の写真に、自分が持ち帰ったのと同じ円筒が写っているのを発見する。それは、どうやら、海底ケーブルに取り付ける盗聴装置のようであった。ヴァランダーはステン・ノーランダーに電話をし、その円筒を一度見てくれるように依頼する。訪れたノーランダーは、それが盗聴装置であることを確認する。ノーランダーが去った後、ヴァランダーはインシュリンのショックで倒れる。しかし、電話に出ない父親を心配してかけつけたリンダに発見され、ことなきを得る。

ルイーゼの死体が森の中で発見される。彼女は大量の睡眠薬を飲んでいた。争った痕跡、外傷もないところから、警察は自殺として片付けようとする。しかし、リンダは、ルイーゼの性格からして、自殺はありえないと断言する。ヴァランダーはルイーゼの死体の発見された場所を訪れる。彼も、ルイーゼは他殺ではないかと疑い始める。ルイーゼのハンドバッグは二重底になっており、そこからロシア語の文書が撮影されたマイクロフィルムが発見される。ルイーゼはスパイだったのか。

ヴァランダーは東ドイツからの亡命者であるエバーを訪れる。エバーはかつて東独の秘密警察の一員であった。エバーは東独秘密警察が暗殺用に、睡眠薬自殺と見分けのつかない薬品を開発していたこと、今度のルイーゼの死にもその薬品が使われた可能性の強いことを示唆する。

そこまで来て、ヴァランダーは、自分が何か大切なことを見落としている、何か根本的な思い違いをしている気がしてならなかった。リンダは父親に、ホカンとルイーゼはかなりの大金を持ち、その運用を息子のハンスに任せていること、またルイーゼが飛び込みのコーチとして、頻繁にスウェーデンと東独を行き来していたことを話す。ヴァランダーは、ホカンとルイーゼの過去を洗い出そうとする。海軍クラブに出入りしていた共産党員のウェートレスは、ホカンは政治には関わりを持たないタイプの軍人であったと証言する。

ヴァランダーの前に、バイバが現れる。彼女は、ヴァランダーが捜査でリトアニアのリガを訪れた際、警察官である夫を殺され、その後ヴァランダーと恋に落ちた相手であった。痩せて憔悴した様子のバイバは、自分が癌に侵され、死期が近いこと、死ぬ前にもう一度会いたい人間を訪れていることを話す。ヴァランダーはリンダを呼び寄せる。バイバとリンダがその時初めて顔を合わせたのであった。バイバは一晩ヴァランダーの家に泊まっただけで、翌朝秘かに出発し、イスタドからポーランド行きのフェリーで帰途に着く。

数日後、リンダがヴァランダーを訪れる。リンダはマドンナのコンサートのためにコペンハーゲンに行っていた。そして、そこでホカンを見かけたという。ホカンは生きていたのだ。リンダの夫ハンスはコペンハーゲンで働いているが、自分が父親とコンタクトしていたことを否定する。ヴァランダーは、ホカンの失踪を助けた人間、組織があることを確信する。

ヴァランダーにバイバが死亡したという知らせが入る。彼女は、ポーランドでフェリーを降りてから、車を運転してリガに向かう途中、交通事故で死亡したという。ヴァランダーは葬儀に参列するためにリガに向かう。ヴァランダーはそこでバイバの娘に会う。ヴァランダーは葬儀の前から酒を飲み、葬儀の後、逃げるように飛行機に乗り、スウェーデンに戻る。

ヴァランダーは、ホカンの隠れている場所に、ある種の確信を抱き始める。彼は、北へ向かい、とある海辺の街でモーターボートを借りる。ヴァランダーは夜の闇に紛れ、ひとつの小さな島に近付き上陸する。そして、その島に建つ小屋の中でホカンを発見する。その島は、円筒形の盗聴器が見つかった海域のすぐ近くにあるものであった。

ホカンは、ヴァランダーに自分が身を隠した事情を話す。一九七〇年代の終り頃、ホカンは自分が家に持ち帰って金庫に入れておいた軍の機密書類を誰かが読んだ形跡あるのを発見する。それができるのはルイーゼだけだとホカンは考える。ホカンは妻が東側のスパイとして活動をしているのではないかと疑う。その疑いを明らかにするために、ホカンは罠を張る。軍事演習も前に彼は、偽造した計画書を家に持ち帰る。そして、東側の監視船がその誤った情報に基づいて行動していることを確認する。情報が、彼の家から妻を通じて漏れていることをホカンは確信する。その頃、海軍内にソ連のスパイがいること、またスパイが女性であるという噂が広まっていた。彼は、妻がそのスパイであると確信する。彼は妻に問い質すが、ルイーゼは知らないと言い張る。

ホカンが身近にいるスパイの存在に気付いてから、彼は誰かに尾行、監視されていると感じるようになる。その圧迫感がだんだんと高まり、身の危険を感じたホカンは、失踪を装って島へ来ることにより、その見知らぬ追跡者から逃れようとした。ホカンはルイーゼの死は自分とは関係なく、自分もルイーゼの失踪と死を知って愕然したひとりであると述べる。ヴァランダーはホカンの言葉を信じながらも、何かひっかかりを感じながら帰路につく。

ヴァランダーはホカンの隠れ家を誰にも口外しないことをホカンに約束し、息子のハンスと娘のリンダにも、ホカンが無事でいることだけを告げる。ヴァランダーは自分の同級生に「海軍オタク」の男がいることを思い出す。その男は死んでいたが、その妻が彼の集めた膨大な海軍に関係する資料を守っていた。ヴァランダーはその未亡人を訪ねて、ホカンの過去について調べる。ヴァランダーの目に、ホカンが海軍の視察団の一員として、米国を訪れたときの写真が目に止まった。ヴァランダーの心のひっかかりは、それにより大きくなる。

ヴァランダーはホカンより手紙を受け取る。ベルリンに住む米国人、元スウェーデン大使館員のジョージ・タルボットなる人物を紹介したいという。タルボットはCIAの一員であり、当時のスウェーデンの事情をよく知っており、ヴァランダーの情報収集と捜査に必ず役立つ人物であるとホカンは述べていた。ヴァランダーはベルリンにタルボットを訪れることにする。

ベルリンを訪れたヴァランダーにタルボットはスウェーデン海軍内部にいるスパイについての歴史を語る。スパイがいるという噂はずいぶん以前からあった。しかし、それが具体的な情報となったのは一九八七年、リンデというロシアのKGBのメンバーが西側に亡命したことによる。彼は、西側で活動しているロシアのスパイの名前を知っていたのだ。しかし、彼をもってしても、スウェーデン海軍内部のスパイの名を明らかにすることができなかった。

ヴァランダーはスウェーデンに戻る。彼は、娘と一緒にアル中の治療施設にいるかつての妻モナを訪れる。彼はベルリンから帰ってから、いよいよ何かが正しくない、大きな思い違いがあるという気持ちに囚われていた。そして、遂に彼はその気持ちを具体的なものにすることができた。彼は娘のリンダにも告げず、自分の疑問に終止符を打つべく、北へ車を走らせる・・・

 

これで「ヴァランダー・シリーズ」も最終回である。ヴァランダーは、「還暦」を前にして、記憶が突然途切れるという症状に襲われる。自分が何故ここにいるのか分からない、自分が一体今何をしようとしているのか分からない、そんな状態にしばしば置かれる。彼はそんな状態に陥った中で、自分のピストルをレストランに置き忘れるという失態を犯す。娘のリンダは「働きすぎ」だと言う。彼は医者を訪れるが、加齢によるものだと言われる。記憶が途切れるという症状以外にも、「老い」の症状がヴァランダーを追いかけていく。彼自身、自分が老齢に蝕まれ、それが自分の「隠れた敵」であることを自覚し始める。

一九四八年生まれ、この小説が書かれたとき、正にヴァランダーと同じ六十歳を迎えたヘニング・マンケルが書いているだけに、「老い」と「死」に直面していくヴァランダーの描写は、身に迫る、すさまじいものがある。また、それを読んでいる私自身が同じ問題を抱えているため、それは読んでいて心に突き刺さる描写である。この年齢になると、「老い」と「死」の影に、絶えずつきまとわれる。

いよいよ最終回だけあって、この物語にはこれまで登場してきた人物が次々と登場する。アルコール中毒になったモナ、癌に侵されて余命幾許もないバイバ、また死んだ父親や、師匠のリュドベリも回想シーンとして登場する。モナと会ったヴァランダーは、一瞬であるが、彼女と「よりを戻す」ことを考える。しかし、次に瞬間にそれを否定する。

「人生で後戻りはできない。素朴な気持ちでそうなって欲しいとどれだけ望んでも。人間はたった一歩でさえも時間を遡れないのだ。」(242頁)

癌に侵されたバイバは、「イタリア製の靴」のハリエットを思い出させる。「靴」と言えば、ヴァランダーは死んだルイーゼの靴が脱いで遺体の横に揃えてあったことに目を留め、彼女の死が他殺ではないかと思い始める。マンケルの小説を読むと、「イタリア製の靴」や「豹の目」においても、靴の描写が多い。彼が、「靴」に興味を持ち、それを題材に使うようになったきっかけを聞いてみたい気がする。

ヴァランダーは、死んだ父とは必ずしもしっくりといってはいなかった。しかし、彼は自分が年齢を重ねるにつれ、外見、考え方とも、父親に似てきた気がする。この点、私も父の死に接して、同じようなことを考えていた。私は父親とは性格がまるで反対だと思っていたのだが、最近、父親と似てきた自分を感じる。ヴァランダーの父親はアルツハイマーであった。ヴァランダーの恐れは「自分もアルツハイマーになり、記憶を失っていくのではないか」という点である。その答えは最後のページにある。

ホカン・フォン・エンテは海軍の軍人であり、かつて潜水艦の艦長であった。従って、この本を読むと、少なくともスウェーデン海軍の機構、組織、演習の様子がよく分かり勉強になる。しかし、それを知ったとしても、日本人として別に何の得にもならないと思うが。

また、この小説の興味は「スパイ」は誰であるか、という点である。冷戦時代の東西の「スパイ大作戦」の背景を知ることができる。スウェーデンという国は、狭いバルト海を挟んで、旧ソ連や東ドイツと非常に近い位置にある。それだけに、スパイの活動が活発な場所でもあったのだろう。「亡命したスパイ」というモティーフは、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作」でも見られるものである。

冒頭に当時の首相、オロフ・パルメが登場する。私は彼を「一九八六年に暗殺された首相」としてしか知らなかった。スウェーデンの戦後の歴史をもう少し知っておれば、この小説をもう少し楽しめるかもしれない。一応、「ヴァランダーは政治に興味がない」ということになっており、政治的な背景にはかなり詳しい説明が付けられているので、それは助かる。

原題の「不安に駆られた男」は、もちろんホカン・フォン・エンテを指している。彼は、ヴァランダーに最初に会ったときから、「誰かに追われている」という印象を与える。それが本物なのか、演技なのかというのが、このストーリーの重要な点であることを述べておく。

「ヴァランダー・シリーズ」の前作が出てからちょうど十年、久しぶりに懐かしい「友達」に会ったような気がする。そして、その「友達」に、

「自分はもう長くない。君に会うのもこれが最後だ。」

と宣告されたような気分だ。私にとって、「面白い、面白くない」を超越した、かなり衝撃的な本であった。

 

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