スウェーデンの推理小説、原作と映像化

Swedish Crime Fiction

Novel, Film, Television

 

スティーヴン・ピーコック

Steven Peacock

 

2014Manchester University Press

 

<はじめに>

 

スウェーデンの推理小説について強い興味を持っている私が、小説以外に最初に読んだ本である。ここ五年ほどの間に、北欧からの推理小説(Criminal Fictionなので厳密に言うと犯罪小説なのだが)とそれを原作にした映画、テレビドラマが英国において大きな人気を博している。その秘密を解き明かそうとしたのが、この本である。

 

Forbrydelsen」でサラ・ルンドを演じるソフィ・グロブル

 

<前書き>

 

 英国において、スウェーデン並びに北欧の推理ドラマの人気に火をつけたのが、「ヴァランダー(Wallander)」シリーズである。主人公は、スウェーデンの作家ヘニング・マンケル、(Henning Mankell)の描く警察官クルト・ヴァランダー(Kurt Wallander)BBCで、スウェーデン製作のテレビシリーズが2005年から2010年まで放映され成功を収める。その後、名優ケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)を主人公に配した英語版も2008年からBBCで製作されている。その後、スウェーデン版の初期シリーズも放映された。

 北欧の推理ドラマとして注目されたもうひとつのシリーズが、デンマークの「Forbrydelsen」(英国でのタイトル「The Killing」)である。コペンハーゲンを舞台に、女性刑事サラ・ルンド(Sarah Lund)が活躍するこのシリーズは、2007年に英国で放映されるや、一種の社会現象となった。その後、「Forbrydelsen II」(2009年)、「Borgen」(2010年)、「The Bridge」(2011年)、「Sebastian Bergman」(2012年)などのデンマーク、スウェーデン製作のシリーズが、英国のテレビを賑わせている。これらの一連のドラマは、「ノルディック・ノワール(Nordic Noir)」と呼ばれるようになった。もともと「フィルム・ノワール(Film Noir)」とは、1940年代から1950年代にかけて米国で作られた、「マルタの鷹」等の犯罪を題材にした映画である。

 スウェーデンではもともと1960年代から、警察小説が好まれていた。しかし、スウェーデンのような小さな国で書かれた小説が、米国、ヨーロッパの大国を席巻するというのは、一種のパラドックスでもある。スウェーデンの推理小説、推理ドラマの人気への発端が、ヘニング・マンケルの「ヴァランダー」シリーズだとすれば、そのピークと考えられるのが、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作(Millennium Trilogy)」であろう。2010年はまさにスティーグ・ラーソンの年であった。彼は既に2004年に死去しており、自分の書いた小説が成功を収めたことは知らない。彼の死後、2005年にスウェーデンで出版された彼の小説は、2008年英国で翻訳出版され、「列車に乗ると乗客の殆どが読んでいる」と言われるほどのブームを巻き起こした。2009年より、スウェーデン版の映画がミカエル・ニクヴィスト(Michael Niqvist)とノーミ・ラパス(Noomi Rapace)の主演で製作され、世界中でヒットした。「ドラゴン・タトゥーの女(The Girl with the Dragon Tattoo」は2011年、ハリウッドにおいてダニエル・クレイグの主演でリメイクされたが、残念ながらこれは成功したとは言えなかった。

 誰もが、スウェーデン推理小説の創始者と認めるのが、シューヴァル/ヴァールーの夫婦作家である。(Maj Sjöwall / Per Wahlöö)彼等は1960年代から1970年代にかけて、十作の「マルティン・ベック(Martin Beck)」シリーズを発表した。このシリーズは全て映像化されている。この点、このシリーズが現代警察小説の原点という価値だけでなく、外国でも映像化された最初のスウェーデンの作品として価値がある。その後、ホカン・ネッサーの「Van Veeteren」シリーズも2005年にテレビドラマ化された。このシリーズ、架空の国、架空の街を舞台にしているのが特徴である。また、女性作家による女性を主人公にした作品も人気を博した。オーサ・ラーソン(Åsa Larsson)が2003年に発表した、女性刑事、レベッカ・マルティンソン(Rebecka Martinsson)を主人公としたシリーズ、「Solstrom」はじめ数作が英国で放映されている。この他の女性作家、女性の主人公では、ヘレネ・ツルステン(Helene Tursten)の「イレーネ・フス(Irene Huss)」シリーズ、リザ・マルクルンド(Liza Marklund)の「アニカ・ベングゾン(Annika Bengtzon)」シリーズがテレビドラマ化され、放映されている。これらの中で、特にリザ・マルクルンドの作品は好評を博し、その後の女性を主人公にしたシリーズの草分けとなった。その他、イェンス・ラピドゥス(Jens Lapidus)の「ストックホルム三部作(Stockholm Noir Trilogy)」がスウェーデン版のテレビドラマで人気を博した後、ハリウッドでの映画化が予定されている。2010年以降では、2012年に英国で放映された、「セバスティアン・ベルグマン(Sebastian Bergman)」シリーズが好評を博した。

 この本は、英国でもDVD等で手に入る作品を中心に、テレビ、映画化されたものを中心に述べる。その中でも、ダヴィド・フィンチャー(David Fincher)版のスティーグ・ラーソン原作「ドラゴン・タトゥーの女(2011年)」、ロルフ・ラスゴルド(Rolf Lassgård)主演のマンケル原作「ヴァランダー」シリーズ、シューヴァル/ヴァールー原作で、マルティン・ベックを主人公とした映画「屋根の上の男(The Man on the Roof)」を例に論を進めていきたい。

 まず、ジャンル、表現方法、美術等の形式について述べたい。次にスウェーデンの国そのものを分析してみたい。スウェーデンの社会的、政治的な背景と特に福祉国家の現状について。更に、スウェーデンを取り巻く世界からの影響について考察してみたい。考察は、米国、英国、および他のヨーロッパ諸国に限定したい。これらのことを五章に分けて論じる。

第一章は、国、ジャンル、制度について述べる。スウェーデンの推理小説のおける社会的な位置、福祉国家の実態、またテレビや映画産業の様子を考察したい。

第二章では社会と家族に焦点を当てる。「福祉国家」としてのスウェーデンの社会がどのように機能しているのか、また現代のスウェーデンにおける家族関係の実態などを探る。

第三章では、スウェーデンの風土と環境について述べる。スウェーデンの大部分は、寒冷で森と湖の広がる土地である。しかし、ストックホルムなどの大都会もあり、そこでは「ドラゴン・タトゥーの女」に出て来るような都会の密室性も見られる。更に、ヴァランダー・シリーズの舞台となるイスタードは、国境の町という風景を呈する。同時に、スウェーデンは、高度な工業を持った国でもある。小説ではハイテクを駆使した舞台装置が使われることが多い。

 第四章では、セックスと暴力について述べる。性的にオープンな国であると考えられているが、その実態を探ってみたい。

 第五章は、五つのインタビューからなっている。最初の二つは、テレビ、映画のプロデューサーであり、後の三つは作家である。

 さて、ここで問題となるのは、この本の筆者が、オリジナルのスウェーデン語ではなく、英語での翻訳を基礎にしていることである。しかし、この点については、テレビドラマ化、映画化された作品を基に論じるので、オリジナルが一度「映像化」というプロセスを経ていることになる。それを踏まえると、英語での理解が、それほど障害となるとは思えない。 

英語版「ヴァランダー」で主人公を演じるケネス・ブラナー

 

<第一章>

 

 スウェーデンは小さな国である。「小さな国」の定義とは、人口や面積だけではなく、他国との関係が薄い、他国への影響が少ないという意味もある。1930年代、スウェーデンとノルウェーでは、社会民主党政権の下、理想主義を掲げて、福祉国家を目指した。また、政治的には「中立」を大前提としていた。しかし、その中立主義も、第二次世界大戦の際に揺らぎ、戦後、傷跡を残すことになる。1940年、ナチスドイツがノルウェーに侵攻したとき、スウェーデンは「中立」を理由に隣国を助けなかった。スウェーデンはその後、その罪の意識に苛まれることになる。また、どこまで自分達が「中立」でいられるのかという不安、動揺が国民に広まる。そんな中で、ナチスに同調する人たちも現れる。もともと、スウェーデンにも、反ユダヤ主義の意識や、精神異常者に強制的に不妊手術を施す法律等、人種差別、淘汰の思想はあった。第二次世界大戦勃発時、スウェーデンはドイツ軍の国内通行を拒否するが、後にその圧力に屈して通行を認める。第二次世界大戦中、中立主義は危機に立たされる。戦中のナチスに対する関与が、「ドラゴン・タトゥーの女」等の例でも分かる通り、度々スウェーデンの推理小説で取り上げられるテーマとなる。「ドラゴン・タトゥーの女」では、ヴァンガー家のメンバーが、1930年代にナチスに入党し、戦後もファシストのメンバーとして暗躍する姿が描かれている。このように、戦争中のナチスへの傾倒、その後の転向、あるいは隠匿をテーマにした物語は多い。

1986年、オーロフ・パルメ首相が暗殺される。それまで「開かれた政府」をモットーにしていた北欧諸国は、首相にボディーガードさえつけていなかった。首相が公衆の面前で暗殺されるという事件で、スウェーデンの安全、中立が、それほど強固なものでないことが露呈した。また、パルメ暗殺の犯人は結局捕まらなかった。そのことは、警察、国境警備などのシステムに対する国民の不信感を高めた。人々は、「開かれた自由の国」というイメージが崩れたこと、また外からの脅威が迫っていることを感じ、不安感を募らせた。このような国民の不安感、国家権力に対する不信感は、推理小説の中にも色濃く反映している。奇しくも、シューヴァル/ヴァールーは、彼らの最後の作品「テロリスト(Terroristerna1975年)」の中で、パルメ事件の十年以上前に、首相暗殺のシーンを描いている。

1990年、世界的な環境の変化に適応するため、「新しい民主主義」が模索され、企業の民営化などが押し進められたが、必ずしも成功しなかった。そんな中で、「安全、繁栄、寛容」などの謳い文句は、偽善的なものになりつつあった。1995年、スウェーデン政府は、これまでの「中立」の国是を破り、EUに加盟する。EUへの加盟に対していまだに賛否両論があるが、ともかくスウェーデンは国際化の波に洗われることになる。これまでの「中立主義」(「孤立主義」と言ってもよいが)は、政治だけではなく、人々の心の中にもあった。グローバル化の中で、これまでと同じように、他人と一定の距離を置いて付き合うことは難しくなっている。その困難さを、マンケルやラーソンは描いている。

1960年代から、「491(1964)等、若者の犯罪をテーマにした映画が作られた。社会のシステムがいかに若者の犯罪の土壌を作り、また国際化が、いかに外国への逃亡を容易にしているかが描かれている。また、スウェーデンの風景として、マンケル等が描く「凍り付いた風土」が描かれることも多い。また、スウェーデンで製作された映画が、他国でも上映されるという国際化も生まれた。「491」は同時に、スウェーデンの国家権力の腐敗も描いている。国家権力による、あるいは国家権力を背景にした人物による迫害というテーマは、ラーソンのミレニアム三部作に登場するリズベト・サランダー(Risbeth Salander)が少女時代に受けた数々の仕打ちなどで描かれている。

ジョン・スカッグス(John Scaggs)によると、「推理小説」というジャンルは、エドガー・アラン・ポーに始まり、その後百五十年間に渡り、重要なジャンルとして存在してきた。特に、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間は「黄金時代」と呼ばれている。当時はもっぱら犯罪の捜査、解決の過程に重点が置かれていた。「推理小説」のジャンルの特定は難しく、ジェーン・オースティンの「エマ」も、事件の発生と解決という点で、「推理小説」に入るという人もいる。また、「ホラー小説」との線引きも難しい。犯人への接近、手掛かり、隠蔽、登場人物の秘密の暴露、人間関係等が、「推理小説」の特徴として挙げられる。1920年代は、ハードボイルド映画の時代であった。カリスマ性のある探偵が(たいていは無口である)独りで事件を解決していく。しかし、それが警察の集団としての捜査を描く構成へと変わっていく。個人プレーからチームプレーへの移行である。スウェーデンの「推理小説」は、ハードボイルドとチームプレーの混合形であると言える。

犯罪小説が映像化される際、ホームズやポアロは強烈な印象を視聴者に与えるべく類型化された。スウェーデンでの最初の成功は、ボー・ヴィーダーベリ(Bo Widerberg)の「屋根の上の男」(1976)であると言ってよい。リアリスティックであると同時に表現主義の傾向を色濃く出している。そして、社会への失望、スカンジナビアの憂鬱も色濃く出している。

スウェーデンは小さい国である。またそこで作られる映画もマイナーの域を出ない。国内だけでは、非常にマーケティングが困難である他、金に糸目をつけないハリウッド映画の侵入という背景もある。1960年代から80年代に始まった新しい映画会社は、これらのハンディキャップに立ち向かい、逆にそれを利用しようとした。彼らは技術の進歩を利用し、ドキュメンタリースタイルを導入、また政府の援助を取り付け、コマーシャリズムに走らない映画作りをした。また、デンマーク等の他国との共同制作を進め、視聴者を増やす努力をした。更には、テレビ、劇場映画、DVDを巧みに組み合わせた、フレキシブルなマーケティングをした。例えば、ラーソンのミレニアム三部作は、第一作は劇場映画で、次はテレビでという風に企画された。(第一作の大成功により第二作以降も結果的に劇場映画になったが。)また、テレビのミニシリーズにも焼き直され、茶の間の視聴者に見やすい配慮もなされている。また、新たなデジタルチャンネルを通じての放映も、成功を収めている。

「ドラゴン・タトゥーの女」の一シーン。

 

<第二章>

 

「スウェーデン・モデル」と呼ばれる体制は、社会的な平等を保障する国家と、自立した個人のバランスの上に成り立っていると言える。一般的に言うと、どの作家も映画のプロデューサーも、「個々の登場人物の心理と感情」と「社会的な機構」の関係を基礎としている。また主人公たちは特定の社会的なグループに属している。家族もその社会の中のひとつの単位である。

「スウェーデン・モデル」は次第に危機に陥る。ひとつの原因は1980年代以降、資本主義的な傾向が強まることにより、社会的な「平等」を保つことが難しくなったことによる。また、自己中心さ、個人主義が同時に入ってくる。ラピドゥスの「Easy Money」では、金を得るために麻薬の取引に手を出す若者が描かれ、シューヴァル/ヴァールーは資本主義に流され、金のために犯罪に走る富裕層を描いている。もはや、助け合ってより良い社会を作っていくという理想は幻想になりつつある。マンケルは「一歩遅れて(Steget efter 1997 )の中で」「夏至の宴を楽しむ若者を皆殺しにする」犯罪者を描いている。これは、スウェーデンの良き伝統が、外からのものによって脅かされることを表していると言えよう。

また、移民の増加により、スウェーデンの国民の均一性が失われ、それが社会不安を巻き起こしている。1950から60年代の経済移民、1970から90年代の政治的な亡命者の受け入れの結果、スウェーデンの人口の20パーセントが、「外国人」であると言われている。マンケルの作品は、移民も含め、外国からの脅威と、それに対する人々の不安を描いている。また外国人ではなくても、ラーソンの描くサランダーは、これまでの伝統的なスウェーデン人の類型から逸脱した、「外国人」であると言える。

一般的に言って、推理小説において犯罪は、「閉じられた社会」の中で起こることが多い。それは捜査段階において、捜査の対象が広がり過ぎるのを防ぐ目的だと思われる。また、閉じられた世界では、ストレスが溜まりやすく、犯罪の動機を作りやすいこともあるだろう。閉じられた世界の代表的なものが、マスコミ、警察、そして家族であろう。

新聞社、テレビ局のハッキング事件が取りざたされているが、マスコミ、プレス極めて閉じられた世界であると言える。そして、最近は、警察に代わって、ジャーナリスト、記者に事件を解決させるパターンが増えてきている。リザ・マークルンドの描くアニカ・ベングゾン、ラーソンのミカエル・ブロムクヴィストなどがその例である。いずれにせよ、自由に動き回れるジャーナリストに、ある種の倫理観を期待したい。警察はまさに閉じられた世界の最高峰である。その中でもヴァランダーのように、上司とも同僚ともなかなか上手にやっていけない、一匹狼的な警官が主人公になることが多い。スウェーデンの警察は、1965年に全国で統一された。その結果、官僚主義が蔓延し、地方分権であったときのように、フレキシブルな捜査が出来なくなったという嘆きを、シューヴァル/ヴァールーは登場人物に言わせている。また、警察の無力と、警察への捜査協力を拒む、社会の無関心さも、度々テーマとして取り上げられている。

個人の解放が叫ばれるスウェーデンにおいても、家族は犯罪小説で大きな役割を果たしている。ラーソンのサランダーとザラチェンコの父娘関係の他、ヴァランダーでも家族が丁寧に描かれている。また、企業の集中化が進んだ結果、社会が、一部の家族、一族によって牛耳られているという構図も描かれている。ラーソンの描く、ヴァンガー家がこの一例である。また、スウェーデンの推理小説の殆どの主人公が幸せな結婚生活を送っていない。マルティン・ベック、クルト・ヴァランダー等は離婚し、特にヴァランダーは妻だけではなく、娘や父親ともしっくり行っていない。

シューヴァル/ヴァールー。

 

<第三章>

 

登場人物やストーリーがスウェーデンのどのような空間、場所と関わり合っているのだろうか。スウェーデンには大きく分けて、三つの空間が存在する。人気のない延々と広がる大地、混み合った都市、そして国境である。それに加え、現在重要な位置を占めるのがサイバースペースである。作者はこれらの空間を説明するのに、しばしば小説に地図を挿入する。

まず、スウェーデンは英国以上に島国であると言える。ストックホルムでさえ、何百という島から構成されている。それゆえ、デンマークのコペンハーゲンとスウェーデンのマルメの間に架かる、長大なエレズンド・ブリッジは、スウェーデンを外国とつなぐ象徴的な存在として、小説の中でもしばしば取り上げられている。スウェーデンには、人口密度の低い土地に広大な森が広がっている。これは犠牲者の死体を隠すのにも、犯人が隠れるにも、絶好の条件だと言える。

ヴァランダーの「ピラミッド」、低空飛行でレーダーの網を潜り抜け麻薬をスウェーデンに運び込む飛行機が登場する。スウェーデンは、人気のない国境地帯、それと海という「簡単に越えられる国境」に囲まれている。つまり、金さえあれば、国境を越えて物や人を運び込む、運び出すことが極めて簡単な国なのである。同時に、国際化社会となり、金を外国に持ち出す、投資することはいとも簡単になっている。また消費財だけではなく、犯罪も外国から流入し、スウェーデン国内でも、犯罪が大都市から地方都市への拡散を見せている。

工業製品と同じように、スウェーデンの小説、映画も輸出されている。BBCにおける「ヴァランダー」シリーズ、ハリウッド版「ドラゴン・タトゥーの女」等、リメイクされる場合が多い。その際、空間と場所がどのように扱われるのかは興味深い。「ドラゴン・タトゥーの女」等は「007」風のタイトルバック等になっている。しかし、登場する新聞、雑誌、テレビの音声、標識などがスウェーデン語のままであることが興味深い。語られている言葉が全て英語であるにもかかわらず、なのである。

舞台、ロケーションは、地域性を醸し出し、しかも主人公と周囲の不協和音を出すために選ばれることが多い。舞台の選定は、スウェーデンの地域性を露出させ、それを利用するためのものである。刑務所など特殊な場所を舞台にしたり、海外に舞台を移したり、社会的政治的効果のために重要な場所が選ばれたりもする。「屋根の上の男」で男がビルの屋上から警察のヘリコプターを撃ち落とすなどの舞台はまさに社会的、政治的な意味を持っている。

スウェーデンの犯罪映画において「都市」は、シニカルな雰囲気の場所として登場することが多い。人々が流れ込んで埋没していく場所として、嘘の渦巻く場所として描かれている。映画「タクシードライバー(Taxi Driver 1976年)」で主人公がニューヨークの街を「汚物入れ」に例え「洗浄」が必要と言うように、1960年代のストックホルムがシューヴァル/ヴァールーによって描かれている。また、映画においても都会の醜さを強調する映像が用いられることが多く、車がその象徴として扱われていることが多い。

反対に車が都市からの遠さを強調する小道具として使われていることが多い。人里離れた家、村、町が密室ミステリーの舞台になる。閉じられた空間は、犯人の外からの侵入を困難にし、そこにいる人物により緊張感を与える。その例が、オーサ・ラーソンの小説に登場するキルナ(Kiruna)であろう。北限の町で、これ以上北に人は住んでいない。しかし、そんな街にも、観光やビジネスで外界との交流があることが紹介されている。

サイバースペースは、スティーグ・ラーソンのミレニアムシリーズを始め、多くの小説に登場する。匿名性の世界、同時にいくつもアイデンティティーが持てる世界、そして他人の秘密を簡単に知ることができる世界である。また、暴露も簡単だが、同時に秘匿も簡単な世界である。背景にあるのが、スウェーデン人が、新しいものにすぐ飛びつく人種であることが背景になっている。例えば、スウェーデンは1967年、右側通行を左側通行に一斉に切り替えている。新しいことに余り抵抗のない民族なのである。しかし、新しいシステムは全てが有機的に働いてこそ機能が発揮されるが、そこに描かれていることは、最新技術のちぐはぐな導入ばかりである。また、コンピューターを使った犯罪、ハッキングも描かれている。ミレニアムのサランダーのように、現実社会から引き籠り、サイバースペースに生きる人物も登場する。 

ヘニング・マンケル。

 

<第四章>

 

推理小説で扱われる犯罪は、別に殺人でなくてよいのだが、そのインパクトから言って、殺人事件が扱われる場合が多い。殺人こそ、人間が道徳、法律、心理、肉体の一線を越える場所である。最近はありとあらゆる殺人が描かれている。特に、女性に対する残虐さが増している。人間の肉体的特徴は、主人公の性格や精神的な状態を表す手段として好んで使われる。例えば、肥満で、糖尿病を持ったヴァランダーは、福祉国家からのはみ出し者であると言える。また、彼の過去のトラウマも表している。また、体型の描写が、その人物の内面的な描写の代わりに使われることもある。例えば、サランダーのように。死体を切り刻んでバラバラにするという話も多い。同時にテレビなどでは、死体の一部分をアップで写すことにより、映像的に殺人の特徴を暗示することがある。臓器移植、臓器売買も多くの小説のテーマになっている。

スウェーデンは性的に解放された国であるというイメージが他の国には強い。しかし、これは、1960年代から、スウェーデンのポルノ映画が世界的に成功したことの名残であろう。現在のスウェーデンの犯罪とのつながりにおいては、ノーマルなセックスよりも同性愛が絡んでいることが多い。そして、性的な暴力が、過激に描かれるようになってきている。その暴力は個人によるものと同時に、国家権力、あるいはそれを背景にした者によることが多い。

リザ・マークルンド。

 

<第五章>

 

<スウェーデンの映画会社、イエロー・バード(Yellow Bird)社幹部へのインタビュー>

 

デ・アゴスティーニが欧州穫国の多くのメディアを買収し、Zodiakグループを作った。イエロー・バード社は2007年にその傘下に入った。ベストセラー(結果的に推理小説が多いのであるが)の映像化をメインの仕事である。会社創設時には、ヘニング・マンケルが加わり、彼のヴァランダー・シリーズの映像化を最初の仕事にした。つまり、ヴァランダーを使って会社を伸ばそうとの戦略であった。ヴァランダーの後のミレニアム三部作の映像化も成功を収めた。しかしミレニアム三部作が六十ヶ国に売れることは予想外であった。その後、英語版でケネス・ブラナー主演のヴァランダー・シリーズの制作にも参加した。ふたつのシリーズの成功には、もちろん本が読まれ、ストーリーが知られているという点は大きい。しかし、それと同時に、クルト・ヴァランダー、リズベト・サランダーという強烈な個性を持った主人公の魅力もある。このふたつが英国でも成功を収めた最初のスウェーデンドラマとなったが。スウェーデンのドラマはドイツで既に人気があった。おそらく、吹き替えが自然であるのと、文化的にドイツ語圏に近いからであろう。イエロー・バード社の戦略は、まずシリーズの第一作を劇場映画として作り、その数か月後から、第二作以降を、月に一度程度の間隔でDVDとして発売するというものである。その後、有料テレビ、無料テレビという順に放映されるのが普通である。最初の作品は、金をかけて作り、大々的に宣伝する。そこである程度の投資を回収し、二作目以降を作っていく。しかし、その作品が他国に売られると、その国々での伝統的な方法で公開されることになる。BBC版のヴァランダー・シリーズは、舞台から、背景を全てスウェーデンとして作られた。原作が余りにもスウェーデンの政治、社会と密着しているため、他国に置き換えるのが困難と考えられたためである。BBCはデジタル撮影で、HDで作られた。現在は、リザ・マークルンド、ヨー・ネスベー(Jo Nesbø)、ヘレネ・ツルステンの作品の映像化に取り組んでいる。作家が映像化に参加するのが大きな特徴である。作家とプロダクションが密接な関係であることが大切だと考えている。

 

<英国のレフト・バンク(Left Bank)社幹部へインタビュー>

 

同社は四年半前にBBCも出資して設立され、どこの国に出しても恥ずかしくない、高品質の番組を作ることを目標としている。BBC版のヴァランダー・シリーズの制作に携わった。この企画は、同社、ケネス・ブラナーの会社、イエロー・バード社の共同制作である。会話のみが英語で、環境は全てスウェーデン語である。スウェーデン化を狙い、最初の作品の冒頭で、黄色い菜の花とバックの青い空でスウェーデンの国旗を表している。英語圏へ順調に売れているが、同じ名前で別のスウェーデン版があるので、国によっては混乱を招く恐れがある。

 

<作家ヨハン・テオリンへ(Johan Theorin)へのインタビュー>

 

スカンジナビアの推理小説が、欧米で高い人気を誇っている原因は、高い品質、スカンジナビアの事物が知られるようになったこと、作品がアメリカナイズされていないという点が挙げられると思う。何がスウェーデン的かという問いには、自分がその中にドップリといるので答えにくいが、静かな環境ということが言えると思う。シューヴァル/ヴァールーは、「殺人を応接間から引っ張り出しそれが本来あるべきスウェーデンの裏通りにぶちまけた」ことに意義がある。とにかくリアルに感じる。スウェーデンは本来武器の所有も許されない安全な国であったはず。オーロフ・パルメの暗殺は、それを覆した点で、意味が大きい。翻訳は、人間の感情は皆同じで。都市と田舎という構図はどこにもあるはず。翻訳されたものは、どこの国でも受け入れられるはず。スウェーデンは孤立から国際化への変化を遂げたと言われるが、歴史的に見て、常に他国の影響を受けてきた。福祉国家の崩壊はヴァランダーのテーマのひとつになっているが、社会福祉や警察はまだまだ機能していると思う。自分は、複数のジャンルにまたがる作品を残そうと努力している。映像化については、短時間で目的地に到着できる「特急列車」のようなものだと思っている。最近ジャーナリストを主人公に使う風潮が出ているが、自分はそれを追いたくはない。

 

 

<作家マリ・ユングステッド(Mari Jungstedt)へのインタビュー>

 

スウェーデンの推理小説が、ここ数年人気を博していると言うが、シューヴァル/ヴァールーから良く読まれていて、特に新しいものではないと思う。社会的な要素が強いのに加えて、女性作家の作品は日常的な人間関係が良く描かれているのが人気の原因だと思う。また、土地と密着した地域性を前面に出していることも大きい。スウェーデンが人口の割に、有名な企業、スポーツ選手などを排出していること、北の国に対するエキゾチシズムも人気の原因だと思う。シューヴァル/ヴァールーやマンケルの成功の原因は、興味深い登場人物、効果的な語り口、それと社会背景の組み合わせにあると思う。自分の小説も、生まれ育ったゴットランドの子供の頃の体験を基にしている。ともかくリサーチが大切で、全体の半分の時間を調査に使い、調査のためならどんな所でも訪れる。

 

<作家ヨン・アドヴィデ・リンドクヴィスト(John Advide Lindqvist)へのインタビュー>

 

自分は歌の歌詞を小説の中に織り込むのが好きだ。それはその歌を知っている読者が、歌を思い起こすことにより、私と同じフィーリングを持ってくれるのを期待してからだ。まず音楽で、その作品の基調となる雰囲気を作ってしまう。スウェーデンの作品にじゃ独特のムードはあると思う。何せ長くて暗い冬、人々はどうしても「考えすぎて」しまう。スウェーデンの風景を描写することは、作品の雰囲気作りに大切なことだと思う。風景の描写は、映画のBGMのようなものだ。スウェーデンは孤立しているとは思わない。これまでも第三世界の人々や、独裁国家で難渋する人々に手を差し伸べてきたのだから。パルメ首相の暗殺は、「神話」として、スウェーデンの残り、これからも引用されていくと思う。マンケルのように直接政治的なメッセージを作品の中に盛り込もうとは思わないが、結果として、副作用的なメッセージが入ることはある。

 

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