エピローグ

 

伝統的なシンガポールの街並み、ショップハウス。

 

またまた、「ドアツードア」でちょうど二十四時間の旅の後、僕たちは、英国はハートフォードシャーの自宅に辿り着いた。シンガポールで、時差ボケが抜けないで困ったと書いたが、良い事もあった。英国に戻ってからは、逆時差ボケが全くなかったのだ。着いたその日の夜から、僕は北京語のオンラインレッスンに出席したが、全然眠くなかった。

前回、シンガポールに行ったときには、体調を崩し、早目にも英国に戻ることになった。今回は、無事健康で戻って来た、とその時は思ったのだったが・・・

シンガポールから戻って三日目、ホースサンクチュアリに行くために朝自転車で坂を登っていると、急に胸が痛くなった。病院に行くと、「狭心症」、心臓に血液を送る血管が詰まる病気であるとの診断。その後は、静かに暮らしながら、専門医からの連絡を待っていた。ところが、数日後、夜眠っているときに再び、胸が痛くなり、救急車で病院へ。そのまま入院。二日間、点滴と心電図につながれたた状態のまま、絶対安静で過ごした後、三日目に、血管の詰まった部分に「ステント」という金属製のバネのような物を入れる、手術を受けた。詰まった部分を押し広げ、また細くならないようにステンレス製の器具を入れておくのだ。手術は手首から差し込んだカテーテルを通して行われ、傷は手首だけだった。局部麻酔の手術だったので、自分の胸に管が差し込まれ、ステントが置かれる様子はX線で撮影され、その画像を、モニターを通じて「ライブ」で見ることが出来た。結構面白く、自分に何が起こっているのかが良く分かり、納得の行く画像だった。

「そう言えば、シンガポールで歩いているとき、なぜか息苦しかったよな。」

と思い返す。そのとき、もう既に、冠動脈が九十パーセント以上、詰まっていたのだった。完全に詰まると命がないため、かなり危ない所だったわけだ。「シンガポールへ行くと体調を崩す」というジンクスは今回も生きていた。まあ、心臓の血管の狭窄は二十年前から少しずつ進んでおり、今回、たまたまそれが限界に達したということなのだが。

 手術の翌日に退院。それから、しばらくの間自宅療養を余儀なくされた。この旅行記の大部分は、その自宅療養中に書かれたものである。

「シンガポールに行く前にも、色々あったけど、帰ってからも、色々あったなあ。」

本当に、色々なことが詰まった、「中身の濃い」、ここ一か月だった。

 

また来年・・・

 

<了>

 

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