「書道家の秘密」

Das Geheimnis des Kalligraphen

ラフィク・シャミ

Rafik Schami

 

2008

 

<はじめに>

 

 シリア出身でドイツの作家、ラフィク・シャミの描く、一九五〇年代のシリアのダマスカスを舞台にした物語。書道家の若くて美しい妻が失踪した事件から物語は始まる。しかし、そこに至るまでには、十年以上の伏線があった。それが順に語られる。回教国の文化と、アラビア語の歴史を知る上でも、好都合な本である。

 

 

<ストーリー>

 

一九五七年四月、シリア・ダマスカスの著名な書道家、ハミド・ファルシの若くて美しい妻、ヌラが失踪した。ダマスカスの人々が出会うと、しばらくその話題で持ち切りだった。

 ヌラはモスクの説教師であるシャイヒ・ラミ・アラビの娘として生まれた。アラビには先妻の間に男の子がいたが、どれも頭が悪く、父親は聡明なヌラを可愛がった。ヌラは本に興味を持ち、次々と父親の書架にある本を読んだ。ヌラの母は、読み書きができず、保守的で、迷信深い女性だった。母親は、ヌラを良い男性に嫁がせることだけを考えていた。ヌラが中学校に行きたいと言ったときも、母親は

「女は家事ができればいい、女に学問は必要ない。」

と反対した。父親は妻を説得して、ヌラは中学校に通うようになる。しかし、ヌラが高校に行きたいと言ったとき、父親は妻の説得に屈して、ヌラを高校に行かせず、仕立屋で働かせることに同意する。ヌラは、十五歳で、ダリアという女性の経営する仕立屋で働き始める。そして二年後にはすっかりと仕事を覚え、ダリアの店の有能な縫子となる。

 ヌラは激情家であった。彼女は中学校に通っている頃、道の途中にあった家具屋で徒弟として働く青年タミムと仲良くなる。彼らは兄妹を装って、手をつないで外出し、キスもする。しかし、船乗りになる夢を持ったタミムは、ある日店を飛び出し、ギリシアの船に潜り込み、シリアを去る。

 ヌラはその後、隣家に越してきた一家の、息子の一人とも懇意になる。その男は、ヌラにある日、

「夜に屋根の上で待っていてくれ。」

と言う。ヌラは一晩中屋根の上で彼を待つが、男は現れない。彼女は、青年に弄ばれていたことを知る。彼女は、翌日から熱を出して寝込む。そんな彼女の行動を心配した母親は、娘を早く結婚させてしまおうと画策する。折しも、書道家のハミド・ファルシが相手を探しているということを聞いた母親は、その縁談を進める。

 ハミド・ファルシと結婚したヌラだが、専制君主的な夫の下で、次第に夫と結婚生活に対する失望を深めていく。

 

 サルマンは、一九三八年、ダマスカスにキリスト教徒の息子として生まれた。彼を出産後、母親は寝付いてしまう。父親は彼を可愛がろうとせず、酒に溺れる。母親は数年後に日常生活を送れるほどに快復するが、アルコール中毒の父親は妻に暴力を振るう。サルマンは細くて、耳が立っているという風貌から、学校でも苛めの対象となる。サルマンの話し相手は、三歳上の従姉のサラであった。聡明で、学校の教師になることを目指すサラは、学校の嫌いなサルマンに、根気よく読み書きを教える。学校では、年上の同級生、ベンヤミンだけが、唯一彼の話し相手となった。

 酔った父親の暴力から逃れるため、サルマンと母は、近くに隠れ家を見つける。しかし、そこも父親に知られるところとなり、父親はそこに押し入り、母親の髪の毛を持って引き回す。サルマンはそのとき、家の前に、傷ついた子犬がいるのを見つける。彼はその犬をフリーガーと名付け、世話をする。成長したフリーガーは凶暴だがサルマンには忠実な犬となり、ある時はサルマンと母親を父から守り、あるときは、サルマンを苛めようとする少年たちを追い払う。

 ある日、サルマンとベンヤミンがフリーガーを連れて川沿いを歩いていると、フリーガーが突然水に飛び込む。犬は、溺れていた一人の男を岸まで引っ張ってくる。引き上げられた男は、カラムという名のカフェの経営者であった。彼は「恋愛関係のもつれ」から自殺を企てたという。カラムは自分を救ってくれたサルマンに感謝し、自分のカフェで働くことを勧める。サルマンはカフェで働き始め、チップとしもらった金を溜める。彼はその金で母親に服を買ってやる。しかし、母は間もなく病気になり、その薬代を工面するために、サルマンはカラムの家を訪れる。そして、そこでカラムが同性愛者であり、「恋愛関係のもつれ」は若い青年をめぐるものだったことを知る。薬のおかげで母親は小康状態となる。これまでサルマンの先生代わりであった、サラは結婚して、ダマスカスを出ていく。

 カラムはサルマンに、書道家のハミド・ファルシが走り使いを求めていることを伝え、その面接に行くことをサルマンに勧める。書道に興味のあるカラムは、「書道家の秘密」をサルマンに探らせようという意図もあった。サルマンは、無事面接に合格し、ハミド・ファルシの弟子となる。一九五五年のことであった。彼は、師匠に気に入られ、次第に仕事を覚えていく。サルマンは工房で覚えたことを、週に一度カラムに伝える。弟子になって数か月後、サルマンは昼前に師匠の昼食を家まで取りに行くという役割をおおせつかう。師匠の家の扉をノックすると、中から若い女性が顔を出す。サルマンはその女性の美しさの虜となる。

 ヌラとサルマンは、毎日昼食の受け渡しの際に顔を合わせるようになる。ある日、ヌラはサルマンを家に入れ、彼に食事を与え、その後、彼にキスをする。カラムはサルマンがもっと長い時間ヌラと過ごせるように、サルマンに自転車を貸し与える。その自転車を使うことで時間を稼いだサルマンは、ついにヌラと肉体関係を持つようになる。

 

 ナスリ・アバニはダマスカスで名の知れた金持ちで、好色家であった。彼は三人の妻を持ち、その他数人の妾を持ち、また多くの売春婦たちとも関係していた。彼は、女性に対するラブレターの代筆を、ときどきハミド・ファルシに依頼していた。彼はあるとき、アルマスという十五歳の少女を好きになり、関係を持つ。それが少女の家族に知れるところとなり、彼はアルマスを四人目の妻としてアルマスを迎えざるを得なくなる。結婚後、ナスリはアルマスと両親のために家を買ってやる。その家を訪れたナスリは、塀の向こうの隣家に、美しい女性が住んでいるのを見つける。ナスリはハミド・ファルシに、いつものように、恋文を依頼する。隣家の美しい女性に出すために。

 一方、ハミド・ファルシもナスリを利用しようとしていた。ハミド・ファルシは、正しいアラビア語を次の世代に残すために、書道の学校を設立したいと、常々思っていた。そのスポンサーになってくれと、彼はナスリに頼む。ナスリはそれを受け入れ、自分の持家の一軒を、無料で学校のために貸し出すことを約束する。それに報いるために、ハミド・ファルシはナスリの見初めた美しい女性に対して、最高級のラブレターを書くことを約束する。ナスリはそのラブレターの封筒に金貨を入れて、隣家に投げ込む。しかし、それを妻に見つかり、ベランダから突き落とされ、足を骨折する。

 サルマンは、書道家たちの「秘密結社」と「ムハマド・イブン・マクラ」という人物について調べてくれるようにヌラに依頼する。ヌラは「秘密結社」については知らないと言うが、ムハマド・イブン・マクラについては調べた。ムハマド・イブン・マクラは十九世紀、アラビア語の近代化に尽力した書道家であるが、保守的な人々に陥れられ、手首を切断されるという刑を受けた。実際、ハミド・ファルシが学校を設立してやろうとしていることは、ムハマド・イブン・マクラの志を継いだ、アラビア語の改革であった。しかし、秘密裏に進められているはずの準備が、何者かにより反対派に漏れていることが明らかになる。二十世紀においても、アラビア語の改革に反対する保守派が多かったのだ。ハミド・ファルシも、弟子が何者かに襲われるなど、数々の脅迫を受ける。それでも、ハミド・ファルシは文部省や、スポンサーの間を駆け回り、学校設立の準備を進める。

 骨折が治り、再び妻の家を訪れたナスリは、例により隣の家の美しい女性を覗き見するために妻の家を訪れる。そして、そこで彼女がハミド・ファルシといるのを見る。その女性が、ハミド・ファルシの妻であることを知らないナスリは、激怒し、嫉妬に狂う。一九五七年の三月、書道学校は開校した。しかし、その開校式に、最大のスポンサーであるナスリは現れなかった。

 サルマンの母が亡くなり、その翌日、サルマンはハミド・ファルシの工房からクビを言い渡される。アラビア語改革派の情報を保守派に流していたのはサルマンではないかと疑われたからだ。しかし、サルマンはその「スパイ」が、カラムであることを知る。サルマンが持ち帰った情報をカラムは記録し、写真に撮り、それを売っていたのだ。サルマンは何故、カラムが自分をハミド・ファルシに紹介したのか、その真意を知る。

 一九五七年の四月、サルマンとヌラはダマスカスを逃れ、アレッポに向かう。ダマスカスを去る前、ヌラは別れの手紙と共に、ナスリが彼女に寄こした手紙をも父親に託す。ハミド・ファルシがその日の夕方家に戻ると妻の姿がない。間もなく手紙を携えたヌラの父親が現れ、ヌラが失踪したことを知る。そして、ナスリが自分の妻に恋文を送っていたことも知る。彼は怒りと復讐心の虜になる。開校したばかりの学校に、何者かが押し入り、学校は破壊され、閉校に追い込まれる。ハミド・ファルシはそれもナスリの仕業であると考える。

 ハミド・ファルシは、ナスリを何とか見つけ出そうとする。ナスリは親戚や友人を頼って逃げ回る。しかし、最後に、カラムがハミド・ファルシにナスリの手口と居所をハミド・ファルシに密告し、ハミド・ファルシはナスリを四番目の妻、アルマスの家で発見、彼を滅多刺しにして殺害する。ハミド・ファルシは逮捕され、終身刑を受けて服役する。

 刑務所の中で、ハミド・ファルシは、有名人ということで優遇される。最も良い部屋を与えられ、書道の道具も持つことを許される。また、彼に同情的な刑務所長の依頼で、書類を作成も引き受ける。彼の手元には、彼の子供の頃に撮られた一枚の写真があった。その写真の中に、彼は、祖父、父母、叔父や叔母たちと写っていた。彼の祖父は実業家であった。彼の父は、祖父の意思に反して、ビジネスの道に進まず、書道家となった。しかし、努力をすることの嫌いな父は、書道家としては二流であった。ハミド・ファルシ自身も、書道家を志す。彼は毎日たゆまない修練を続ける。息子の書道家としての才能に気付いたハミド・ファルシの父は、当時、最高の書道家として名をはせていたセラニの元へ息子を連れていく。セラニもハミド・ファルシの才能を認め、彼を弟子にする。彼は二十歳前にして、セラニの工房を切り盛りするようになる。

 ハミド・ファルシは密かにアラビア語の改革の案を練っていた。彼はある日、師匠のセラニに自分の考えを告げる。師匠も、若い頃、全く同じ考えを持っていたことをハミド・ファルシは知る。師匠のセラニは、改革には、保守派、過激派の反対、妨害が予想され、自らが暗殺される覚悟も必要であると、ハミド・ファルシに警告する。師匠の元から独立したハミド・ファルシは、同じ志を持つ書道家と「秘密結社」を作り、アラビア語の改革の実行に移る。幸いにして、政府、文部省も、彼の考えを受け入れ、シリアの学校で教えるアラビア語が変更されることになる。しかし、セラニの予言通り、保守派の反対は強く、ハミド・ファルシは何度も嫌がられ、妨害を受ける。それにもめげず、ハミド・ファルシは学校の設立に漕ぎつける。

 ハミド・ファルシは前妻を亡くしてから、しばらく独身で過ごした。しかし、病気になったことを機会に、妻を娶る決意をする。彼は、ダマスカスでは有名な説教師であるシャイヒ・ラミ・アラビの娘であるヌラと再婚する。しかし、細身でボーイッシュ、読書を趣味とする彼女は、自分の好みでないことが分かる。彼は次第に、豊満で愚鈍なヌラの母の方に惹かれていく。彼は、ヌラの失踪が、反対派による誘拐事件ではないかと感じ始める。

 刑務所の中で、比較的恵まれた暮らしをしていたハミド・ファルシであるが、それも長くは続かなかった。政権が交代し、刑務所長が更迭され、新しい刑務所長が赴任した。彼は農民の出身で、学問を憎み、本を憎んでいた。ハミド・ファルシはあらゆる特権を取り上げられ、他の凶悪犯と一緒の雑居房に入れられる。そして、そこで彼は発狂し、精神病院に収容され、そこで彼の消息は途絶える・・・

 

 

<感想など>

 

 この物語は二つの「核」から出来ている。一つの「核」は、回教徒の人妻ヌラと、キリスト教徒の青年サルマンの恋の物語である。同時に、もう一つの核として、アラビア語の改革運動と、それを進める書道家ハミド・ファルシがある。ヌラの生い立ちと、サルマンの生い立ちが別々に語られ、それがどこで一緒になるのかと思って前半を読んだ。

アラビア語の歴史が分かる本でもある。アラビア語は聖典「コーラン」が書かれた言語である。それだけに、日常的な情報の伝達という実用的な側面と同時に、多分に宗教的な側面を持っている。それゆえに、その改革には、宗教的なバックグラウンドを盾にした、保守的な人々の猛反対があった。しかし、「聖なる言葉」であるアラビア語も、何度か改革が加えられ、現在に至っているようである。日本語が、候文>文語体>旧仮名遣い>新仮名遣いと改革されたように。そして、その改革が、「書道家」によってなされてきたという事実も面白い。本の後ろに、書道家の作品が載っているが、どれも素晴らしいものである。私は日本の書道をかじったことがあるが、アラビア語の書道はまさに芸術だと思う。しかし、書道家は、単なる芸術家ではなく、同時に研究者、国語学者、言語学者でもあったのだ。

 アフガニスタン出身の作家、カレド・ホセイニの「千の輝く太陽」でもそうであったが、イスラム圏における、女性の待遇について知るきっかけを与えてくれる。一言でいうと、女性は夫の従属物として扱われている。一九五〇年代の話であるので、現在は女性の地位も少しは上がってきているかも知れないが。この物語の中では、三人の女性が、そんな社会の中で三通りの生き方をする。

先ずは、ヌラ。激情家である彼女は、若い頃から読書に勤しみ、何人もの男性と恋に落ち、最後は夫を捨てて、貧しく、容貌もイマイチの青年、しかも宗教も違うサルマンと出奔し、別天地で新しい暮らしを始める。

それに対して、サルマンの従姉のサラは、若い頃から読書に勤しみ、女性の地位の向上を願うところまではヌラと共通している。しかし、彼女は比較的操縦しやすい男性を見つけて結婚し、沢山の子供を設け、しかし自分は教師としてのキャリアを磨き、最後は、シリアで指導的な女性教師となる。つまり、現状の社会の中で、それなりに自分の夢を実現しようと努力し、成功する。

最後は、ヌラの母親である。彼女は終始、女性の幸せは結婚にある、女性に学問は必要ないと信じ、その枠から出て行こうとしない。彼女は、ヌラが高等教育を受けることに反対し、娘を仕立屋に奉公に出し、十代で結婚させる。

もちろん、この三人の女性は「典型」として、ある程度デフォルメして描かれているのだろうが、イスラム諸国における女性の生き方に対する可能性を考える上での指標になると思う。

おりしも、現在内戦で混乱の最中にあるシリアのダマスカスを舞台にしている。(二〇一三年現在)シリアでの内戦終結と、その後の民主化を祈らざるを得ない。

 

20137月)

 

書評ページ