オーケ・エドヴァルドソン

Åke Edwardson

1953年〜)

エクシェ出身、ジャーナリスト、作家

 

2008年撮影、ウィキペディアより。

 

オーケ・エドヴァルドソンは会話を文字にすることの名手である。おそらく、彼の小説の三分の一くらいは会話であると思う。そして、それが、現実感溢れる、流れるような、会話なのだ。小説の中の会話、特に推理小説の中の会話は、どうしても説明的になりがちである。実際、声に出して読んでみると不自然なものも多い。

「わざとらしい。」

「そんな持って回った言い方をするかよ。」

と、感じてしまう。しかし、エドヴァードソンの描く会話は本当に自然である。会話を文字にするという点での作者の才能には、感嘆せざるを得ない。その会話は、読者に、読んでいるというよりも、聴いているという錯覚を与え、読者に、あたかも取調室や、裁判の法廷にいるような臨場感を与えている。

小説中の会話の得意な人は。劇作家の背景を持つ人が多い。しかし、エドヴァルドソンはジャーナリストであった。ヘニング・マンケル、シューヴァル/ヴァールー、リザ・マークルンド、アルネ・ダール、スティーグ・ラーソン等は、皆ジャーナリスト。エドヴァルドソンもジャーナリストとして長いキャリアがある。彼は一九五三年、イェンケーピングの近郊で生まれている。ジャーナリストとして、国連の記者として中東、キプロスなどで働いた後、フリーのジャーナリストとなり、イェーテボリ大学で、ジャーナリズムの教鞭も取った。二十年のジャーナリストとしての生活の後、エドヴァルドソンは一九九五年から犯罪小説を書き始める。一九九七年より始まった、「警視エリック・ヴィンター」シリーズは好評を博し、一九九七年に「天使とのダンス(Dans med en ängel)」で、二〇〇一年には「天国は地上にある(Himlen är en plats jorden)」で、二度、「スウェーデン推理作家アカデミー賞」を受けている。「エリック・ヴィンター」シリーズは、二〇一九年現在、十六作が発表されている。注目すべきは、二〇〇八年から二〇一二年まで、四年間の空白があることだ。彼は、当時、

「このシリーズは打ち止めだ。」

とインタビューに答えている。しかし、四年後、エドヴァルドソンは再びシリーズを書き始める。その四年間、ヴィンターはスペインのマラガに居たことになっている。(1)

「世界の終わりの家(Huset vid världens ände)」は二〇一二年に、四年間の沈黙を破って発表された作品である。一度引退を決意し、スペインに隠遁していた警視エリック・ヴィンターがイェーテボリ警察に復帰、その最初の事件を描く。ヴィンターは、スウェーデンの警察小説の主人公の例に漏れず、公私に悩みを持った人物である。

母親と子供二人が殺され、幼児だけが残されたという事件を扱っている。なかなか容疑者が見つからないという展開ではない。怪しい人物は次々と見つかる。まずは被害者の女性の夫、次に犬を譲り受けた男、新聞配達の男、隣人、被害者の女性の上司、被害者の同僚・・・誰もがそれなりに怪しく、犯人であってもおかしくない展開。ネタバレになるが、そんな展開の時は、かえって他に犯人がいるというオチがつくものである。

この展開、デンマークで製作され、英国で人気を博した、ソフィー・グロベールが女性刑事サラ・ルンドを演じる「キリング」の展開と似ている。毎回、別の人物が容疑者として現れ、それなりに怪しく、犯人のある可能性が述べられる。しかし、本当は誰が犯人なのかは最終回まで持ち越されるという展開である。

この小説も、極めて会話の多い書き方である。大部分は、警察官が尋問している様子を、そのまま書いている。読者は自分がその尋問に立ち会っている、あるいは陪審員としてその尋問の録音を聴いているような気になり、臨場感が盛り上がる。

「マルコニ・パーク」(Marconi Park)」は二〇一三年に発表された次作である。今回も、小説の三分の一以上が会話である。そして、その会話が、現実的で、流れるよう。その会話の内容だが、実は、半分以上が「嘘」なのである。一連の殺人は、何年も前に起こった、ある出来事に対する復讐劇であることは容易に想像が付く。そして、その出来事に、複数の人間が関与していることも。容疑者たちは、その事件への関与が、警察や世間に明らかになるのを防ぐため、嘘をつきまくる。そして、その嘘をつくときの、一瞬のためらいが、エドヴァルドソンの描く会話から手に取るように分かる。例えば、時間稼ぎ。

「誰々を知ってますか。」

と言う質問に対して、

「何故俺が彼を知ってなくてはいけないんだ。」

「それが、俺にどんな関係があるんだ。」

とか、やたらと反問が入るのである。もちろん、その間に質問された人間は、どのように嘘をつくか、言い逃れるかを考えているのである。

エリック・ヴィンターは、ウィスキーを愛し、ジャズのコルトレーンを愛し、家族を愛し、しかし、犯人を追うときには全て忘れてしまうという設定だ。犯人逮捕のためなら、規則無視の単独行も厭わない点、マンケルのヴァランダーと似ている。今回も、イェーテボリ市内を縦横無尽に、自転車による追いつ追われつの大捕り物が展開され、それがクライマックスとなっている。

エドヴァルドソンの作品、スウェーデンの他に、ドイツでは結構人気があり、読まれている。しかし、それ以外の国では余り知られていないのが残念である。

 

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(1)  ウィキペディア、英語版、「Åke Edwardson」の項。

 

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