スタファン・ヴェステルルンド

Staffan Westerlund

1940年〜2012年)

ウプサラ出身、環境法弁護士、作家

 

スウェーデンの週刊紙「Sydsvenskan」電子版、2012512日付より

 

一九八四年に、スウェーデン推理作家アカデミー賞を受賞したスタファン・ヴェステルルンドであるが、この作家について何か書くのは、もう「グリコ」状態、「お手上げ」。スウェーデン語のウィキペディアのページさえも、わずか一行しか記述していないのだ。

 

「スタファン・ヴェステルルンドは一九四二年三月五日ストックホルムで生まれ、二〇一二年三月二十二日にビェルクリンゲで死亡した、スウェーデンの作家と弁護士である。 彼は一九九二年にウプサラ大学で環境法の教授になった。」(1

 

一応、彼が、弁護士の傍ら、執筆活動をしていたことが分かる。

「作品から」と思っても、この人の本は現在一冊も英語訳やドイツ語訳で手に入らない。かつて翻訳されたかどうかも不明である。

 唯一、発見できたのは、ヴェステルルンドのかつての友人、カール・G・フレデリクソン(Karl G. Fredriksson)が、スウェーデン語のウェッブサイトに、ヴェステルルンドに対する回顧記事を書いていたこと。それを引用してみる。

 

「スタファン・ヴェステルルンドは、一九四二年、ウプサラで生まれ、犯罪小説作家のシェル・エリクソン、アイスホッケーのコーチであるクーレ・リンドストレーム、同性愛問題の活動家であるシェル・リンダーなどを輩出したイメルゴタン通りで育ちました。私と彼は一九四七年、幼稚園で友達になり、ヴァクサラスコラン小学校、教会付属の実業学校でも一緒でした。私は、夏の間、彼の家族がいたグレスレを訪れ、そこで明るい夏の夜に、エユルヴ・グラン(Øyulv Gran)、ステイン・リヴァートン(Stein Riverton)、上席裁判官フィンチ(訳中:作者不明)、バークリー・グレイ(Berkeley Gray)などのアリバイ小説や、探偵小説の本を読んで、一緒に時を過ごしました。後に有望な作家になるヴェステルルンドは、数々のトリックを書く能力を、この早い時点で学んだと私は信じています。

その後私たちは別の道を進みます。高校で彼は『ラテン語系』のコースに入り、私は『実業系』のコースを専攻しました。大学入学後、ヴェステルルンドの興味は、大聖堂の事務官という父親の影響で、一時神学を学び始めましたが、結局は法律を専攻しました。動物、特に鳥に大きな興味を持っていたので、環境法に従事し始めたことは、彼にとっては自然なことでした。一九七五年、彼は「環境への危機」というタイトルで学位論文を書き、環境問題の議論に火をつけています。彼は環境問題の先駆者と言え、彼がその分野を作ったと言っても誇張でないと思います。一九九二年に、環境法の教授が最初に創設されたとき、当然のこととして、彼がそれに任命されました。

ヴェステルルンドが、『ベラ・ヴォルターゲ、ミステリー賞』を彼が一八九三年に受賞して、作家としてのブレイクを果たすまで、彼の私の接点は殆どありませんでした。環境問題の弁護士となり、同時に犯罪作家になった彼は、エキサイティングなプロットを作成する能力を発揮し、自然や動物への愛と、当局や企業活動による自然への脅威、それに対する憤りを組み合わせで、ユニークな作品群を完成しました。彼は商業的にあまり成功せず、彼はほとんど一人で彼のジャンルの中で活動をしていたように思えます。

Svärtornas år』(十八歳の年/1984)、『 Sång för Jenny』(ジェニーへの歌/1985)、 Större än sanningen』(真実よりも大きなもの/1986)は、ヴェステルルンドと同じ怒りを持った、彼の分身であると言ってもよい、女弁護士、インガ・リザ・エステルグレンを主人公にした佳作であります。『十八歳の年』、『真実よりも大きなもの』は共にその年の『スウェーデン犯罪作家アカデミー賞』を受賞しました。ヴェステルルンドは一九八九年にスウェーデンの犯罪作家アカデミーのメンバーに選出され、二〇〇一年から二〇〇四年までは会長を務めていました。」 

 

ヴェステルルンドは、環境問題の弁護士で、環境の破壊と戦う、女弁護士を主人公に配した小説を書いていたのだった。また、そのようなテーマで犯罪小説を書いていた作家は、当時は唯一無二であった。(それ以降の作家をみても、思い浮かばない。)かなり、彼の活動がクリアになった。

「是非、本も読んでみたい。」

と言いたいが、長文のスウェーデン語はちょっと無理だろう。いずれにせよ、ここまでの情報を提供してくれた、ヴェステルルンドの友人、フレデリクソン氏に感謝したい。ウィキペディアでは出生地がストックホルム、フレデリクソン氏の追悼文では出生地がウプサラになっているが、親友の記憶を信じて、ウプサラ出身と記載させていただく。

 

作品リスト:

フィクションのみ、ヴェステルルンドにはこの他、膨大な、環境法に関する著述がある。

l  Institutet(研究施設)1983

l  Svärtornas år(十八歳の年)1984

l  Sång för Jenny(ジェニーへの歌)1985

l  Större än sanningen(真実より大きなもの)1986

l  Att bara försvinna(消えるだけ)1987

l  Baktändning(バックファイヤー)1988

l  Skymningsläge (berättelser)(トワイライトモード、短編集) 1990

l  Ljusa sjöar(明るい湖)1992

l  lösningen(ゼロ・ソリューション)1994

l  Rörligt mål(動く標的)2003

 

***

 

1Wikipedia, the free encyclopedia, スウェーデン語版‘’ Staffan Westerlundの項より引用。

2http://deckarakademin.org/hem/deckarakademin/ledamoter/staffan-westerlund/の内容を私がスウェーデン語より翻訳。

 

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