エピローグ

 

ルワンダの美味しいコーヒーを飲んで一服。

 

日曜日の夕方、Gさんと空港で別れる。

「有難う、お世話になりました。」

「いや、こっちも楽しかった。」

そんな言葉を交わして、僕はターミナルビルに入っていった。実際、Gさんは僕と妻の滞在中の予定を完璧にオーガナイズしてくれていた。僕たちは、彼の敷いてくれたレールの上を走っているだけでよかった。コーヒー農園、国立公園での動物との出会い、湖畔、隊員さんとの楽しい会話・・・この旅行記を終えるに辺り、改めてGさんにお礼を言いたい。

「ありがとう!」

ルワンダはまた訪れてみたい。Gさんの任期中にもう一度くらい来ると思う。ルワンダで良かったのは、何と言っても治安の良さと、人々の控えめな態度だった。他のアフリカの国々では、夜はともかく、昼間でも独りで外を歩けない国が多い。常に警戒心を持って行動しなければならないのは疲れる。また、アジアやアフリカの国では、物売りがしつこい。断ってもずっと付いてきて煩わしい。ルワンダでも、

「バナナ買ってよ。」

と声を掛ける人はいる。でも、

「今はいい。」

と断ると、それ以上は言ってこない。街を歩いていて緊張しなくてもいい、それが好きだった。次回までにルワンダの絵葉書が出来ているとよいのだが。

この旅行は、色々な意味で、「ライフチェンジング」、つまり、僕の人生観を変えるものであった。特に大虐殺の背景と過程を知ることができたのがよかった。大虐殺の背景には、永年に渡るプロバガンダと洗脳があったのだ。僕は、如何にプロバガンダが巧妙なものでも、「本当にそうだろうか?」と常に距離を置いて考える姿勢が大切だと思った。周りの人々が皆それをやっていることが、必ずしも正しいとは限らない。僕は残りの人生を、そんな姿勢を持って生きていこうと思った。もちろん、それが難しいことであることも承知しているが。

日曜日の午後八時にキガリを発ったKLM機は、一時間足らずでウガンダのエンテベに着陸した。そこで、半分くらいの乗客が入れ替わり、真夜中の少し前、エンテベを離陸、月曜日の朝七時にアムステルダムへ到着した。そこから、別の飛行機で、ロンドン・シティー空港へ飛び、着いたのが英国時間の八時半。午前中に家に戻る。しかし、僕はその日の午後、自宅に泊まることなく、出張のために列車でパリに向かわねばならなかった。パリで二泊した後、水曜日の夜英国に戻り、二週間ぶりに自分のベッドで眠った。二十四時間で、キガリ>エンテベ>アムステルダム>ロンドン>パリと移動したときは、かなり疲れた。そんな無茶をして、身体がもつかもちょっと心配だった。しかし、幸い、風邪も引かず、体調も崩さす、僕は家に帰ることができた。正直、ホッとした。この旅行記、半分はルワンダにいるときに書いたが、残りの半分は、その出張中にパリのホテルや駅、列車の中で書かれたものである。

最後に、ルワンダで働いておられ、色々と興味深いお話を聞かせてくださった協力隊の隊員の皆さんが、今後も健康で暮らされ、無事任務を遂行されることを祈って、この旅行記を終えたい。

 

ルワンダは今後ずっと「地上の楽園」であり続けて欲しい。

 

<了>

 

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