同窓会に出るぞ

 

ロンドンは九月に入ってしばらく暖かい日が続いた。

 

ロンドン・オリンピックも終わって、ちょっと気が抜けた八月の中旬のある日、中学の同窓会の案内がメールで来た。差出人は僕らの学年の「永久幹事」、ホリケンである。「同窓会」、う〜ん、実に懐かしい響きだ。三月に亡くなった父のことで、今年はもう一度京都に帰らなくてはいけないし、都合をつけて出席してみようかなと思う。

「この前、中学の同窓会に出席したのはいったい何時だろう?」

と考える。確かまだ大学生の頃だった。つまり、今からもう三十年以上も前。同窓会は九月二十二日。ちょうどお彼岸。亡くなった父の墓参りにも良い頃だし、暑い日本の夏も終わっているだろう。僕は「出席」の返事をホリケンに書いた。

同じ中学校の出身で、ロサンゼルス在住のユーコにも声を掛けてみる。

「海外組ふたりで一緒に出ない?」

彼女もその気になっている。しばらくして、彼女も飛行機の切符を取ったと連絡があった。

同窓会に出ることは楽しみだが、一抹の不安もある。三十数年ぶりに同級生に会って、ちゃんと会話が成り立つかということ。共通の話題なんか、全然ないんじゃないかという心配である。テレビの番組の話や、子供の学校の話をされたらどうしよう。

海外に何十年も住んでいて、たまに日本へ帰り、ずっと日本に住んでいる誰かと話す。僕と話し相手の住んでいる環境は行って帰ってくるほど違っている。だから、何を語るにもまず背景説明から始めなければならない。長い背景説明が終わって、「さあこれから本題」というときに、話す方も聞く方も疲れ切ってしまっている、そんな苦い経験がよくあるのだ。だからこそ、同じ「海外組」で「前置きなし」で話せるユーコが来てくれるのは心強い。

僕は父の病気見舞いと葬式のために昨年から五回も日本へ帰っている。しかし、ユーコは二〇〇六年以来、六年ぶりの日本だという。

「六年ぶりに『祖国の土を踏む』ってどんな気持ちだろう?」

僕は想像する。事実、出発の日が近付くにつれ、彼女の気持ちの高揚が、メールを読んでいても伝わってくる。

さて日本に旅立つためには、飛行機の切符を取ると同時に、会社の休暇も取らなければならない。

「父の遺産の整理をするために九月の終りに京都に戻ってきます。」

と僕は職場でT部長に言った。

「立派な邸宅を相続して、それに満足して、もうこっちへ戻ってこないんじゃないの。」

T部長は冗談で言う。

「いえいえ、僕の実家は星一徹と星飛雄馬が住んでいたような裏長屋ですから。」

これは謙遜でもなんでもない。本当に棟割長屋なのだ。

「でも、庭に小判か何か、隠し財産が埋まっているかもしれませんよ。」

と部長は更に突っ込んでくる。

「その場合は即、退職願をメールで送りますね。」

 

久々にユーコと会う。嵐山渡月橋にて。

 

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